ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 114

☆ B.C.B.Gの代名詞☆

2006.08.29号  

 セリーヌ・ヴィピアナは夫リチャードと、自分達の子供のために1945年パリにオーダーメイドの子供靴専門店をオープンした。店の名は靴のデザインを担当した妻の名前「セリーヌ」とつけた。子供靴はパリの革職人の技術を生かしたもので、パリの上流階級を中心にファンが拡がり、顧客である子供達の成長と共にアイテムも増えていった。デザイン的に素晴らしいだけでなく、靴の安全性については、整形外科の医学的観点から配慮し、素材については最高級の皮革を使用し、一流の革職人が造り上げた。このようなこだわりが、パリの婦人達からも関心を持たれるようになり、婦人靴の要望が相次いだ。59年には婦人靴の分野にも進出するようになった。この時、大ヒットしたのが馬具の轡(くつわ)型装飾金具のついた婦人用モカシン「インカ」だった。今では婦人靴の定番デザインとなっており、これを機にバッグなどの革製品全般を取り扱うようになった。65年には、新たな路線としてスカーフや香水に進出し、67年にはプレタポルテにも進出するようになった。衣服・バッグ・靴・アクセサリーなどを、幅広くトータルにコーディネートできるブランドとなり、その後の急成長の礎がととのった。この時期は、66年にイヴ・サンローランが先駆的に、プレタポルテ「リヴ・ゴーシュ」を開店し、それまでのオートクチュールが中心のファションから、プレタポルテへとモード界の比重が移り変わる過渡期でもあった。

 セリーヌはブランド・マーク(ロゴマーク)を戦略的に活用した。68年に馬車の柄とバックルのついたバッグ「サルキー」(一頭立二輪馬車)を商標登録した。71年にはパリ凱旋門広場(エトワール)を取り巻く鎖をデザインした「セリーヌ・チェーン」を登録し、チェーン柄のブラウス「エトワール」を発表して大反響を呼んだ。さらに、73年にはセリーヌ・チェーンの中央部の紋章をかたどった「ブラゾン」(紋章)を商標登録し、セリーヌは70年代のロゴ・ブームで急成長を遂げた。80年代になりバッグでよく使われていたブラゾンを幾何学的に並べた柄も登録し、レディス・ブランドで確固たる地位を築いた。80年代はパリのモード界が保守化していくなかで、正統派クラッシック、あるいは「B、C、B、G」(ベーセーベージェ=Bon Chic Bon Genre=フランス上流階級と品の良い暮らしの意味)が持てはやされた時代でもあった。このような時代背景のなかで、カジュアルとクラッシック、スポーティとエレガンスと云った一見対極にあるようなテーマを融合させたデザインを、一貫して提唱し続けたことで、セリーヌは「B、C、B、G」の代名詞と呼ばれるようになった。78年にセリーヌは、創業者一族のヴィピアナ家から、ベルナール・アルノー率いるファイナンシェ・アガシェが買収した。アガシェではアルノーがディオールから、ナン・ルジェをスカウトして新社長に据えた。当時はまだ30才代の女性社長が組織改革を進めるとともに、その経営手腕によりフランスの国内ブランドから、80年代になって世界的に有名なブランドへと成長させた。

 96年にセリーヌはアガッシュから、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン・グループ(LVMH)の傘下へ移った。LVMHはフランスの文化と伝統を体現していることが大きな特徴で、ドン・ペリニヨンなどを擁するワイン&スピリッツ部門を含め、一大ファション帝国を築き上げた。セリーヌはファション&レザーグッズ部門に属し、ルイ・ヴィトン、ロエベ、ジパンシー、フェンディ、ダナ・キャラン、クリスチャン・ディオール、ケンゾーなど錚々たるブランドが関連企業となっている。97年にニューヨークで活躍していた38才のマイケル・コースを、チーフデザイナーとして招いた。99年にはクリエイティブ・ディレクターに就任し、LVMHグループが念願としていたアメリカのキャリア層への進出を果たした。コースはディオール以上の成果を上げ、セリーヌの売上を倍増させたと云われる。05年S/S(Spring&Summer)から、05-06A/W(Autumn&Winter)のコレクションまで、クロード・モンタナのデザイン助手を務め、バーバリーのクリエイティブ・ディレクターに就任したこともある37才の、ロベルト・メニケッティがアーティステック・ディレクターを務める。ロベルト・メニケッティが2シーズン務めた後、弱冠32才の女性デザイナー、イヴァナ・オマジックが後任となった。セリーヌでは人選にあたり、女性のファションは若い女性の感性でデザインする事を希望した。オマジックは06年S/Sから本格デビューし、セリーヌ創設61年目となる重要な年の、パリ・コレクションの舞台は大盛況となった。クロアチア出身のオマジックは、イタリア・ミラノのデザイン学校を卒業後、ロメオ・ジリやプラダ・グループを経て、ジルサンダーやミュウミュウのデザイン・コーディネーターを務めた後の起用であった。

 セリーヌはマドンナやジェニファー・ロペスなど多くのファンから支持されている。日本でもフジテレビで大ヒットしたドラマ「白い巨塔」や、アメリカンファミリーのTVCM「よ〜く考えよ〜・・」等に出演していた矢田亜希子もブギーバッグの愛用者である。セリーヌは5月に“病気の子供達の将来を考える”ことをテーマに、チャリティを主催した。マドンナ、エマニュエル・ベアール、オードリィ・マルネイなど著名人19人の子供達に、キャンバス地のショルダーバッグを自由にデザインしてもらい、フランスのホテル・ブリストルでの夕食会でオークションにかけられた。チャリティの収益金はヴァネッサ・パラディが運営するチャリティ団体に寄付され、慈善活動も積極的におこなっている。セリーヌが日本に紹介されたのは60年代だが80年代には人気のブランドとなっている。97年には日本法人セリーヌジャパンを設立し、店舗展開を本格化させた。直営店として04年にオープンしたセリーヌONE表参道ブティックは、パリの本店と同じコンセプトで創られ、総面積は330屬塙馥盧蚤腟模のブティクで、品揃えも国内随一を誇る。05年には旗艦店となる銀座店を並木通りにオープンし、2フロアー総面積300屬竜模である。全国主要百貨店や高級シティホテル内にもインショップを多数出店している。


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