ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 131

☆ モードの帝王☆

2006.12.26号  

 ジョルジオ・アルマーニは1934年7月11日にイタリア・ピアチェンツァに生まれる。70才を過ぎたにもかかわらず、冬でも濃紺のTシャツを着こなし、エネルギッシュな活動を展開している。白髪・紅顔でほとばしる男らしさは、多くの女性ファンからも支持を得ている。しかし、一部にはゲイらしいとの噂もある。ミラノ大学で医学を志したが、兵役のため大学を離れ、そのまま退学に至った。兵役終了後はミラノの百貨店「ラ・リナシャンテ」でバイヤーとして57年から64年まで勤めた。65年、31才の時にセルッティ社のメンズウェア「ヒットマン」のデザイナーにスカウトされる。68年には10才年下の、セルジオ・ガレオッティと出会い独立を促される。70年に独立してフリーのデザイナーとなり、75年にセルジオ・ガレオッティとの共同出資で「GIORGIO ARMANI SPA」社を、資本金1万ドルで設立した。その後、ジュニア部門の「GIORGIO ARMANI JUNIOR」、下着部門の「GIORGIO ARMANI INTIMO」、アクセサリー部門の「GIORGIO ARMANI ACCESSORIES」などを次々と発表する。贅沢な素材を使い、シルエットの美しさに加えて、テクニカルなカッティングと着心地の良さを追求し、一躍スターダムにのし上がり、79年にニーマン・マーカス賞を受賞した。

 81年「装うことで、楽しく遊ぼう」をコンセプトに、セカンドラインとして若者向けに「EMPORIO ARMANI」を発表し、続いて同年「ARMANI JEANS」も発表した。82年には米週刊誌「タイム」の表紙を飾った。表紙にファッション・デザイナーが起用されたのは、クリスチャン・ディオールに次いで二人目であった。85年に共同出資者であるセルジオ・ガレオッティが、白血病のために死去する。会社設立後はガレオッティがマネジメント担当をしていたため、アルマーニ本人はデザイン活動に専念する事ができた。ガレオッティの死後はアルマーニ本人が、マネジメント担当もしなければならなくなり、ビジネス面でのハンドリング能力に疑問を持つ人達も多く、何度もアルマーニ社買収の噂が絶えなかった。しかし、多くの人達の疑問は杞憂に終わった。80年代後半にはソフトスーツを考案して、一大ブームを巻き起こした。いわゆるキャリア・ウーマン向けに、紳士服のパターンを生かし、女性の美しさを表現したスーツは、今までに増して多くのファンを獲得した。91年にはカジュアルな「ARMANI EXCHANGE」を発表。00年A/Wコレクションからは、メンズ・レディスを統合したビジネスライン「ARMANI COLLEZIONI」をスタート。02年にはロレアルグループから、メイクアップブランドとしてコスメも発売。05年にはパリ・オートクチュールのS/Sコレクションのトップをきって、「GIORGIO ARMANI PRIVE」を披露した。その後もオートクチュール・ジュエリー「PRIVE」の展開を計画するなど、広範な活動振りは衰えを見せない。

 ハリウッドではプロデューサーや監督が、俳優に出演依頼をするときの決め台詞は「アルマーニを着せるから」と言って口説き落とすとか。ハリウッドではアルマーニが、超人気のようである。アカデミー賞の授賞式で、プレゼンターが着る衣裳のデザインもアルマーニである。スター達が着るタキシードは、男のカッコ良さの極みである。アルマーニは80年のリチャード・ギア主演「アメリカン・ジゴロ」の衣裳担当としてハリウッドへ進出した。その後は数多くの映画衣裳担当を務めた。84年の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」では殆どがアルマーニのスーツだった。「イアー・オブ・ザ・ドラゴン」で劇中に出てくるニュース・キャスター役の女優は、元アルマーニのモデルだったこともあり、ため息の出るような着こなしであった。その他にも「逃亡者」のハリソン・フォード、「アンタッチャブル」のケビン・コスナーやショーン・コネリーも着ていた。ショーン・コネリーは「ライジングサン」でも着ていたし、ケビン・コスナーも「ボディガード」で着ており、プライベートでもアルマーニの大ファンだという。クリントン大統領がアルマーニの大ファンだったこともあり、マイケル・ダグラスも「アメリカ大統領」でアルマーニを着ていた。「ヒート」では小柄なアル・パチーノもバッチリ決めていた。「グッドバイ・ラバー」や「スパイダーマン」ではエンポリオとジョルジオのツーラインのアルマーニが演出されていた。今ではハリウッドだけでなく、アメリカ中が異常なほどのアルマーニがブームになっている。先月イタリアの古城で挙げた、人気俳優トム・クルーズとケイティ・ホームズの結婚式では、二人の婚礼衣装をアルマーニがデザインした。ちなみに身長165儖未離肇燹Εルーズが、恰好よく着こなしているのだから、アルマーニのスーツは小柄な日本人にも合うかも知れない。ただし、庶民にはチョットお値段の方もハイグレードかも・・・。

 00年秋、ソロモン・Rグッゲンハイム財団の企画で「ジョルジオ・アルマーニ展」がスタートした。ニューヨークにあるソロモン・Rグッゲンハイム美術館で開催された同展では、一人の国際的なファッション・デザイナーの、キャリアと軌跡を辿る展覧会として、一躍脚光を浴びた。日本では大正時代に、帝国ホテルを設計したことで知られる、建築家フランク・ロイド・ライトの傑作と言われる美術館で、過去30年に渡るアルマーニの足跡が展示された。由緒ある建築物の空間と、洗練されたファッションとの融合は、各界の多くのファンから厚い支持を得た。アルマーニのデザインが社会に与えたインパクトや、映画界における役割などについても紹介された。翌年にはスペインのグッゲンハイム・ビルバオ美術館に会場を移し、展覧会は大成功を収めている。その後は世界5都市への巡回展がスタートし、ベルリン、ロンドン、ローマを経て昨年は東京・六本木ヒルズで、森美術館との共催、朝日新聞・テレビ朝日の後援、メルセデス・ベンツの特別協賛で開催された。多くのファンを集めた会場では、400点を超える衣裳やオリジナル・スケッチ、映像等によってテーマ別に展示されていた。一昔前には「ジャケットの帝王」と呼ばれていたアルマーニは、ジャンニ・ベルサーチやジャンフランコ・フェレと共に、ミラノモード界の3Gと言われて80年代後半のミラノを牽引した。なかでもアルマーニは「ミラノの帝王」とも呼ばれていた。そして、現在では世界のファッション界で「モードの帝王」と呼ばれるほどの評価を受けている。日本贔屓のアルマーニは活動拠点であるアルマーニ・テアトロの設計を、国際的建築家の安藤忠雄に依頼した。そして、安藤はコレクションを開催することも可能な、異彩な空間を演出してみせた。実業家としてのアルマーニは「5桁の価格のドレスを売るマーケットはまだまだ多い。購買力のある女性は、平凡な高級品からは差別されたいと考えている。彼女たちは自分の秘書が、自分と同じバッグを持っていることを喜ばないだろう」とコメントしている。そして又、いつまで現役を続けるかの問いに答えて「自分で物事の判断がつかなくなったら別だが、たぶん人生が終わる迄この仕事を続けるだろう。それは、ほかのデザイナーを迎えるには、うちはあまりにもアルマーニでありすぎるから・・」


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