ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 153

☆ タフな英国オヤジ☆

2007.06.05号  

 ポール・スミスは1946年7月5日に、イギリスのノッティンガムで生まれた。少年時代は自転車競技に憧れ、レーサーになることを夢見ていたが、不慮の事故により挫折してしまった。その後にアート・スクールに通う学生と知り合いになり、彼が関係する服飾の仕事に魅せられ、現在の仕事へとつながっていった。細身で神経質そうに見える風貌で、ロマンスグレーにボサボサなパーマにかけたスタイルは、どことなく大作曲家のベートーベンに似ている。ポール・スミスは本来云われるファッション・デザイナーとは違い、デザイン画は書かない。全体的なブランド・コンセプトや、イメージ・テーマを考え、実際に素材を選んだり、デザイン画を書いたりするのは、アシスタント・デザイナー達である。性格的にも多くのファッション・デザイナー達とは違い、大変な社交家であり、ユーモア・センスに富んだ、タフな英国オヤジでもある。70年10月に貯金の全てを使って、ノッティンガムにショップを開いた。始めの頃は、マーガレット・ハウエルやケンゾーの商品を取り扱っていた。その後は徐々に自らの名を冠したアイテムを扱い始め、後に好評を得る「ファイロファックス」「ボクサー・ショーツ」「8ボタン・ポロシャツ」などを世に送り出した。

 76年に初めてのコレクションをパリで発表した。82年には日本企業のジョイックス・コーポレーションと業務提携をして、日本市場に足掛かりを築いた。84年には南青山に直営のブティックをオープンさせる。91年には英国産業デザイナー賞を受賞し、11月には東京にフラッグ・シップ・ショップをオープンさせた。93年にはジーンズ・ブランド「ポール・スミス・ジーンズ」を発表。94年にカジュアル・ラインとして「アール・ニューボールド」を発表。S/Sコレクションよりレディース・ライン「ポール・スミス・ウィメン」を発表する。短期間に急成長を続けるポール・スミス・ブランドの快進撃はとどまることもなく、98年8月には「ポール・スミス・シューズ」を発表し、この年には「GQマン・オブ・ザ・イヤー」を受賞。又、94年よりBMW傘下に入っていたローバー社の小型車ローバー・ミニの内外装デザインを手がけた。名付けて「ポール・スミス・ミニ」は、販売台数1500台で、ボンネットの中心には独自のエンブレムが画かれ、虹色に配色されたボディ色に「ポール・スミス・ブルー」を選択することができた。イギリスの伝統的な基調を守りながら、ストリート感覚を加えた高級感溢れるモダンなスタイルと、ラディカルで遊び心をも加味したコレクションを展開している。

 ポール・スミス・ブランドは、比較的手頃な英国ブランドの洋服として、日本では絶大な人気を誇っている。虹色をデザイン化したペーパー・バッグも、ファッション性に富んでおり、若い女性客には好評を得ている。直営店のほかにも全国有名百貨店での、インショップも多数展開している。ポール・スミス社のビジネスにおいても、他の人気ブランドでも見られるように、日本のマーケットが占める売上規模が、ナンバーワンであることなどから、イギリス本国では日本のブランドと思っている人が、少なからずいるとのこと。日本における展開では、メンズはジョイックス・コーポレーションが、レディースではオンワード樫山がライセンス生産をしている。この二社との提携が成功し、輸出による外貨獲得に貢献したとして、エリザベス女王から「英女王輸出功労賞」を受賞するなど、現在では一大ファッション帝国を築き上げている。日本のマーケット以外は、メンズは英国ポール・スミス社、レディースのポール・スミス・ウィメンは、オンワード樫山のイタリア現地法人ジボ・コー社が製造販売している。日本以外で販売している製品の多くはイタリア製で、日本製と比較して素材やパターンメーキングのクォリティが高いものが多いが、販売価格も非常に高価となっている。もっとも日本製の商品は、日本のマーケット向けにデザインされた限定商品が主である。こうしたマーケットの内外におけるギャップは、特にメンズ商品で多く見られている。

00年7月にロンドンとパリで香水ブランド「ポール・スミス・パルファン」を発表。同年11月にはファッション・デザイナーとしてはハーディ・スミスに次いで二人目となる、サーの称号で呼ばれる「ナイト爵位」をエリザベス女王から授与された。01年2月にはイタリア・ミラノにショップをオープン。3月には東京・代官山にオープン。06年3月には海外との統一戦略の一環として、メンズ、レディース、アクセサリーの、全てのラインを取り扱う日本初の複合ショップ「ポール・スミス・スペース」を東京・神宮前にオープンした。ポール・スミス社は世界中の、それぞれの都市に合わせた個性的な路面店を成功させてきたが、東京においても東京のキャラクターを生かし、神宮前の住宅街に建つ地下1階から3階までの、四層を巧みに利用している。高級ブランドの成長にかげりが見える中、ポール・スミス社は順調な成長を続けている。幅広い年齢層や価格帯、着ていく場所までも想定して、対応したことが勝因となっているようだ。例としてウィメンズ・ウェアーの場合、ロンドン・コレクションで発表される高級な「ブルー」に加え、デニムなどカジュアルな「ピンク」、それにスーツ中心の「ブラック」の3ラインがある。ポール・スミス本人は「16歳から60歳までが私の顧客ターゲーット。モダンな着こなしとは、ミックスすること。頭から足先まで高級品で固める必要はない。いろんな選択肢がある方が楽しいよね」と語っている。但し、どの商品も一目でポール・スミスだと判る個性だけは、変わることなく主張している。ブランドを立ち上げて30年来、ポール・スミスの哲学は変わらない。クラッシックな伝統に、自分らしさを加えて、色づかいや細部へのこだわりだけは妥協を許さない。シンプルなジーンズに、手作業でステッチを入れていったり、ジャケットのボタンホールの色だけを変えたり、常に新しい個性を忍ばせている。又、伝説の英国バイクメーカーであるトライアンフと組んだデニム・ジャケットやアクセサリーなど、遊び心もチャメッ気たっぷりである。バーバリーやプリングル、ダックスなどの英国ブランドが、発表舞台をロンドンからミラノへ相次いで移すなか、ロンドンから離れないでいる頑固さも持ち合わせている。昨年の10月に、07年S/Sコレクションを紹介するために来日した。滞在中には仕事の合間を縫って、美術館やフリーマーケットに足を運び、ポケットにカメラとノートを抱えて精力的に動いていた。タフな英国オヤジは拡大成長を維持する源泉となっている。


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