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桃太郎のビジネスコラム 160

☆ 缶詰製造100年史☆

2007.07.24号  


日本における缶詰製造の歴史は、二人の若者が極寒の海を、一隻の帆船で航海したことから始まった。今年はサケ・マスの缶詰が生産されて100周年を迎える。
明治末期の1907年、堤清六と平塚常次郎の二人が、新潟港から北洋カムチャッカ海域に、
163トンの帆船「宝寿丸」で出航した。ロシアのカムチャッカ半島の漁港で紅ザケを買い付け、国内で売りさばいて得た資金を元にニチロの前身「「堤商会」を設立した。
堤商会は買い付けた紅ザケを、長期保存の利く缶詰作りに挑戦し、日本で初めて成功させた。当時は手作業で魚を缶に詰めていたが、6年後には日本で初めて衛生缶を使用した本格的な缶詰機械を設備し、サケ・マス缶詰の大量生産に乗り出す。これを機に北海道・函館に資本金200万円で日露漁業株式会社を発足させた。ロシアにも缶詰工場を増設し、サケの漁獲時期に合わせて量産体制を敷いた。
缶詰の商標は「あけぼの」印とし、始まったイギリス向け輸出には、英訳した「Day Break
を使用することにした。20年には現在のサケ缶ラベルの基本パターンができあがった。横に波打つ赤い3本のラインは、創業者堤家の暖簾をデザイン化したものであった。23年には東京・千代田区の丸ビルに本社を移転、33年には山田耕筰作曲の社歌を制定し、社業も順調に拡大していった。しかし、その後の第二次世界大戦で敗北したことにより、国外資産の全てを失うことになってしまった。

終戦の翌年には復興を目指し、北海道に稚内事業所(現宗谷工場)、山口県・下関に支社、神奈川県・久里浜に支社(現久里浜工場)、宮城県・石巻に支所(現石巻工場)などを開設し、その後の缶詰や冷凍事業などの食品加工基地となる。
47年には底引きトロール船、カツオ・マグロ船等で漁業操業を開始する。52年には講和条約発効によって北洋母船式サケ・マス、カニ漁を再開し、50年代は隆盛を極めるような発展が続いた。60年代から70年代には食品加工工場の増設や、外国企業との合弁会社設立、海外漁業基地など数々の施設を設置していく。69年には本社を、現在地である千代田区・新有楽町ビルに移転した。
80年代になるとキングサーモンの養殖や健康食品の開発に成功し。貿易においても世界各地に駐在所や合弁・事業提携などを行い、水産鮮冷品と加工食品を柱とする国際的な食品会社となった。90年には社名を日露漁業から「ニチロ」へ変更し、「食を通して健康で豊かな生活文化の創造に貢献する」ことをテーマに、国際的な事業展開をはかる。
00年には直営工場の全てにISO9000シリーズを取得し、食の安全・安心に取り組み、商品の品質向上に努めている。04年には国内直営工場の全てが、ISO14000の認証取得を完了し、環境問題にも積極的に取り組んでいる。

食品スーパーの鮮魚売り場ではチリ、ノルウェー、ニージーランドなどから、輸入された養殖サケが店頭を席巻し、日本産の天然サケが輸出されるという、奇妙な現象が起きている。輸出サケの主な行き先は中国で、現地工場に運ばれたサケは人海戦術でブロック状に再加工され、欧州連合などに輸出される。BSEや鳥インフルエンザの影響で、魚食ブームが進み、日本産の魚介類までがビジネスの対象となっている。
日本産サケの輸出は90年代中頃から始まり、年間3万トン程度の規模であった。それが数年前から急増するようになり、05年度では6万5千トンに達し、その大半が中国の加工工場へ向かっている。反面、国内消費は減少しており、現在はピーク時の半分程度の400億円まで落ち込んでいる。河川の汚染や乱獲で一時は漁獲高を減らしたが、川の浄化が進み、稚魚の放流も各地で行われるようになって漁獲も回復。96年には9000万匹が漁獲され、その後も資源量は安定してきたのに、国内消費は低迷した状態が続いている。
北海道近海の漁獲ピークは、サケが産卵のために戻ってくる秋である。この時期のサケは卵に栄養を取られるため、脂分は養殖サケの半分くらいしかない。かつては保存食として食卓に欠かせなかった塩引きサケも、健康ブームの中で敬遠されるようになった。代わって消費者に好まれているのが、色も鮮やかで脂の乗ったチリやノルウェー産の養殖サケだ。
ノルウェー産のサケは回転寿司のネタとしても人気が高く、規制が厳しくなっているマグロに代わって、サシミの主役になる日が来るかも知れない。日本は魚介類の巨大マーケットではあるが、既に市場が飽和状態となっている。世界的に見ても市場が脹らむのは、人口の割に魚の消費が少ないインドや中国などの新興市場となりそうだ。日本が世界を股に掛けて魚を買い漁っていると云われ、誰もが信じて疑わなかったが、近年はその構図も崩れ始め、漁食大国日本の足下が揺らぎ始めているようだ。

ニチロとマルハグループ本社は昨年末に、今年の10月1日付けで経営統合すると発表している。国内の水産業界は漁価の上昇と、国内市場縮小のダブルパンチを受けており、経営統合による体質強化を、迫られている背景がある。業界三位と一位の統合により、売上高一兆円規模となり、海外事業を強化して、グローバル企業として生き残る戦略である。
BSEや鳥インフルエンザの発生で、欧米や中国、インドなどでは魚を中心とした食生活に変化しており、需要が急増している。
海外水産物の買い付けでは、外国勢が高値を示し、国内の水産会社や商社が「買い負け」しているのが現状である。ニチロが主力事業としている缶詰でも、原材料となる米国産銀ザケの平均輸入価格は、05年でトンあたりイギリスの4557ドル、フランスの4410ドルに対し、日本は3335ドルで完全に競り負けている。
一方。国内の消費は減少を続けており、大手スーパーなどは再編が進み、バイイングパワーが強まっている。原料高を理由に値上げをするのは厳しい状態である。結果として水産会社や加工会社は利益を圧縮するしかない。国際的にも水産資源の保護が云われており、国内流通量が先細りとなり、原材料の一段高と利益の圧迫は避けられない。
国内の水産業界では、今後の事業展開において海外戦略を強化しなければ生き残れない。国内市場に安定供給するには、海外調達力の強化は急務となっており、統合する両社の海外売上高比率は06年3月期で、共に一割以下で海外展開の出遅れは否めない。今後は海外でのM&A(企業の合併・買収)を積極的に進め、養殖事業を含めた調達・生産から商品開発・販売までを一貫して展開するネットワーク作りを強化する必要がある。
今年5月からは外国企業が株式交換の形で、日本企業を傘下に収める「三角合併」が解禁された。各国による水産資源の争奪戦のなかで、高い技術を持ちながら時価総額が小さい会社は、敵対的買収の標的にされやすい。今回の経営統合は、株式時価総額が比較的小さい会社同士が、M&Aから身を守るための防衛策という側面もあるようだ。
ニチロは売上規模で約3倍もある業界最大手のマルハと経営統合して、鮭が鯨に飲み込まれてしまうとの論評もある。しかし、ニチロの経営陣は単独での生き残りは困難と判断し、統合を決断した。ニチロは缶詰製造から100年の節目に、再び荒海へ出航した。




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