ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 166

☆ 黒い恋人☆

2007.09.04号  

1947年、札幌市内に政府委託の澱粉加工工場が設立された。その後は事業内容を水飴やドロップなどの、菓子メーカーに転換。創業者の息子が大学へ進学する頃には、住み込み従業員だけでも30人を超え、事業は順調に拡大していった。しかし、67年に父との約束通り大学を卒業して札幌に戻り、会社に入るとパート従業員が数名という惨状だった。
時代は高度成長の波に乗り、急激に変化していた。消費者はシュークリームやケーキなどの、洋菓子を好むようになっていた。一袋百円だった菓子は、50円か40円でないと買って貰えず、買いたたかれた挙げ句に、十袋に三袋のおまけをつける“おとみさん”にしないと、取引さえ拒否されることもあった。
70年頃から「自分で値段を付けられる菓子を作りたい」と、昼間の仕事を終えてから寝ずに試作に取り組んだ。その頃の札幌は72年の冬期オリンピックを目前に、市内中心部では地下鉄工事が進み、新築ビルや広告看板で街並みも変わり、市民の意識も高揚していた。事業転換するには絶好のタイミングだと思った。
小麦や卵にバターなどの高級食材を使って、フランス語で猫の舌という意味の「グランドシャー」というクッキーを試作した。これを渦巻き状に焼き上げ、地下鉄の開通にあわせて「シェルター」という名前で売り出した。サクサクとした歯触りが好評で、当時の価格では1キロあたり500円が高級菓子の上限だったが、2000円で販売してもヒットした。
今度は、この菓子を元に新しい菓子造りに挑戦しようと決意した。

新しいクッキーの形をハート形やクローバー形などにして試行錯誤したが、最後は四角形に落ち着いた。この上にチョコレートをコーティングしてみたが、甘すぎて失敗だった。
二枚のクッキーの間にチョコを流すと、甘さもちょうど良く、摘む指もベトつかずに袋から取り出せた。だが、流したチョコがクッキーの端まで行き渡らない難点があった。鯛焼きの餡が尻尾まで入っていると嬉しくなるように、チョコもクッキーの端まであると、お客も喜ぶだろうと考えた。そこで、あらかじめ四角に固めたチョコを、焼き上げたばかりのクッキーに挟んでみた。クッキーの余熱でチョコが、端の方まで馴染んでいった。ようやく新しいクッキーの原型が出来た。
今度はネーミングである。北国の菓子を連想させる名前をいろいろ考えたが、イメージに合うモノが無かった。ネーミングに頭を悩ませていた頃、父が健康のために歩くスキーに凝っていた。スキーから帰宅した父は、家の外から雪が降ってきた事を知らせた。「お〜い、白い恋人達が降りてきたぞ〜」。時あたかも札幌冬季オリンピックの開催。そして、フランス・グルノーブル・オリンピックの記録映画が鮮明な記憶として残っていた。「白い恋人たち」として日本で公開され、大ヒットした作品だった。すぐに「白い恋人」と、他の業者が類似品を販売して、消費者が混同しないように「白い恋人たち」の二つを商標登録した。

7612月、満を持して「白い恋人」を発売した。消費者に高級菓子として認知して貰うには、販売先は土産物店ではなく、札幌市内の有名百貨店をターゲットにした。知名度がない会社にとって、取引口座の開設は容易ではなかった。市内にある取引先の北海道観光物産興社の口座を借りて、百貨店との取引がスタートした。
百貨店などで開かれる物産展の、有名菓子メーカーのブースでは、早々に売り切れている場合が多かった。知名度の高いメーカーでも、多くの数量を造っていないのが判った。
多く造れば、それだけ品質が劣化する可能性がある。それと「その場所に行かなければ、買うことができない」。ここにヒット商品を生み出す秘訣が有ることに気がついた。
発売当初は生産が追いつかず、仕方なく北海道限定販売としていたのだが、この経験から知名度が浸透してからも、限定販売に拘るようになった。何時でも手にはいる商品は、攻めの営業をしているようで、実は攻めていない。限定販売は最大の攻めで、営業戦略の武器であることに確信を持った。そして次は飛行機の機内食にターゲットを絞った。
千歳空港の全日空チケット・カウンターへ行き、機内食の商品仕入担当部署を尋ねた。アポなしの飛び込み営業である。熱意に動かされた旅客課の担当者は、真摯に対応してくれた。「御社のキャンペーンにピッタリの商品を、作って来たので試食して欲しい」と、持ち前の押しの強さで切り出した。担当者にとっては名前すら知らない会社であったが、クッキーに対する反応は良かった。さらに一度会社を見たいとまで言ってくれた。会社の雑然とした様子が脳裏に浮かび、一週間の猶予を貰って会社に戻った。早速、工場の改修に取りかかったが、業者に委託するほど経済的余裕はなかった。社員総出で掃除や整理整頓、汚れた壁や天井にペンキを塗って取り繕った。全日空の担当者には見栄えを急ごしらえで、整えたのは判ったはずだ。でも、一途に取り組む姿勢を評価してくれた。
7710月、二週間の限定で機内サービスに採用された。パッケージの裏に印刷しておいた電話番号に問い合わせが殺到した。翌年に再び機内サービスに採用され、全国的なヒットに火がついた。折しも北海道への観光ツアーが、ブームになり始めた頃で、会社が飛躍するきっかけとなった。

815日、北海道の大手菓子メーカーである石屋製菓(札幌市 石水 勲社長)が、本社工場で製造したアイスクリーム類やバウムクーヘンから、体調によっては食中毒を誘発する恐れのある、大腸菌群や黄色ブドウ球菌が検出されたことが、マスコミ各社から発表された。同時に「白い恋人」も賞味期限を改ざんして販売していたことも明らかになった。
北海道を代表する土産品「白い恋人」は、生産停止に追い込まれ、17日には優良企業である石屋製菓の石水社長も辞任に追い込まれた。
ことの発端は6月の自主検査で、アイスクリーム類に大腸菌類が確認されたが、機械の洗浄方法を、変えることで菌は出なくなった。その後に有効な再発防止の手段を執らなかった為、8月になって匿名の従業員から情報を受けた保健所が立ち入り検査に入った。加熱殺菌が不十分で食品衛生法の基準を満たしていないことが判明。
黄色ブドウ球菌は7月の自主検査で、バウムクーヘンから検出された。包装作業の際に従業員の手についた菌が、付着した可能性があるとされている。
「白い恋人」は30周年キャンペーン限定商品として販売したが、売れ残った商品を再包装する際に、本来の賞味期限を1ヶ月長くしたとされる。改ざんは同社役員の指示で行われたといい、6月下旬に匿名の人物より会社にメール通報が有ったが、この役員が黙殺。
後日の報道では、賞味期限の改ざんは96年頃から行われていたと言う。
こうした一連の不祥事発生に対し、会社は保健所への報告義務を怠り、幹部の隠蔽体質もあって、対策が後手に回ってしまった。「白い恋人」のファンからすると、このような会社の商品は安全性に信頼が持てず、「黒い恋人」と呼びたくなる怒りの心境である。
父から引き継いだ倒産寸前の菓子屋を、北海道の地場で育った有数の企業に成長させるには、筆舌に尽くせない苦労も有ったであろう。菓子業界での規模は小粒であっても、巧みな経営戦略で、今では抜群の知名度を誇るようになった。だが、連結売上高92億円(07
4
月期)、経常利益も安定して2割を超える優良企業に、慢心と油断が待っていた。
石水社長は会社の経営が安定すると共に、社外活動も積極的になった。Jリーグ・コンサドーレ札幌では、母体となっていた東芝のサッカー・チーム誘致にも関わり、石屋製菓はメインスポンサーにもなっている。また、札幌商工会議所の幹部としても多忙な日々を送り、今年4月の札幌市長選挙では、有力候補の後援会長として奔走した。
こうした活動で石水社長は、出社常ならずの状態であった。会社幹部は顔の見えないオーナー経営者に気兼ねし、悪い報告は伝わらなくなった。留守を預かる役員も、不祥事に対する判断が甘く、取り返しのつかない問題にまで発展させてしまった。オーナーであるワンマン社長が、経営を託す人材を育てないまま、社外活動に注力したツケが、社内の順法精神の欠如を招いてしまった。
大手菓子メーカー不二家の不祥事も、同じ北海道で起きたミートポープ社の不祥事も、内部告発が発端であった。ともについ最近のことであり、あれだけマスコミが報道していたにも拘わらず、対岸の火事として何らの教訓も得ていなかった社長を始めとする経営陣。
結局は主要取引銀行である北洋銀行から、後任社長を迎えることになってしまった。




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