ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 203

☆ 熟成を待つ一億本☆

2008.05.28号  

 シャンパンの歴史を語るには、「モエ・エ・シャンドン」の歴史を知ることである。フランスのルイ15世の時代、シャンパーニュ地方エペルネで、クロード・モエが1743年にワインを貯蔵するハウスを持つようになった。現在では数あるハウスの中でも、最古の一つに数えられている。創業者のクロード・モエは、1716年には有力なワイン商人になっていたと云われ、ハウスを持つと貴族や有力者達の御用達を賜るようになった。ルイ15世はスパークリング(発泡)ワインの需要が伸びていることに着目し、モエに18世紀末までに、ヨーロッパ全土やアメリカ向けの、輸出用飲料として生産を拡大するように命じた。クロードの息子クロードルイ・ニコラ・モエの時代になり、有力な顧客の中にルイ15世の寵愛を受けていたポンパドゥール夫人がいた。夫人は毎年5月になると200本のシャンパンを、コンピエーニュの宮廷に運ばせていた。「飲んだ後も女性を美しく保つ唯一のワイン」と褒め称え、話題は一気に宮廷社交界に広がっていった。そして今日のモエ・エ・シャンドンの基を築いたのが、三代目のジャン・レミ・モエであった。ブリエンヌ・ル・シャトー兵学校で学んでいた時に、一人のコルシカ人青年と出会い、親交を結ぶようになった。この青年が後のナポレオン皇帝であった。皇帝は戦地に向かう途中、エペルネにあるモエ家に立ち寄って、シャンパンを飲んで英気を養ったという。モエ・エ・シャンドンを代表する製品の「ブリュット・アンペリアル」という名称は、ナポレオン皇帝(アンペリアル)とモエ家の関係を後生に伝えるものだった。モエのシャンパンはフランス宮廷で高い評価を得たことで、ヨーロッパ市場の制覇に乗り出し、ヨーロッパ各地の宮廷でも高く評価された。その伝統は現在でも続いており、イギリス、スペイン、ベルギー、スェーデン、デンマークなどの王室や、バチカンの御用達を賜っている。

 ジャン・レミ・モエは1832年に、自分のハウスを息子と、娘婿であるガブリエル・シャンドンに譲渡し、それぞれの名をとって「モエ・エ・シャドン」という社名とした。シャンパンはブドウの果汁を発酵させて、原酒となるワインを造ったあと、瓶詰めをして地下のカーブ(蔵)で発酵させる。フランスのAOC(原産地統制名称)の規格に従い、シャンパーニュ地方で造られたスパークリングワインのみが、シャンパンと名乗ることが許される。最高級品「ドン・ペリニヨン」の名は、17世紀末にシャンパンを考え出した修道士ドン・ピエール・ペリニヨンに由来している。ガブリエルはかつてドン・ペリニヨンがいた、オーヴィレール修道院の領地復元に、1823年から取りかかっていた。現在のモエ・エ・シャドン社のブドウ園は、気候や地形がワインに最も適している地域に散在しており、シャンパーニュ地方のグランクリュ(最特級ブドウ畑)を中心に、約1300ヘクタールの自社畑がある。ブドウ園の広さと採取されるブドウの品質では、有力ブドウ園の中でも、郡を抜いた存在となっている。エペルネにある本社・地下には、全長28劼砲盖擇屮ーブがあり、ボトルにして約1億本のワインが寝かされ、出荷できるまで熟成するのを待っている。

 LVMH(モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン)グループは、高級ブランド品を取り扱う企業の集合体である。1987年にルイ・ヴィトンとモエ・ヘネシーの合併により設立された。その歴史はわずか20年ではあるが、持ち株会社として傘下企業の多くは長い歴史を有し、フランスの文化と伝統を体現していることが特徴である。大部分の会社が19世紀に設立され、シャンパンやコニャックにいたっては、18世紀に端を発している。LVMHの事業は、5つのセクターからなっている。最大の事業グループは、ルイ・ヴィトンやロエベ、セリーヌ、ジバンシー、フェンディ、クリスチャン・ディオールなど、錚々たる服飾ブランドを擁するファッション&レザーグッズ部門である。バルファン・クリスチャン・ディオールやゲラン、パルフアム・ジバンシーなどを擁するパフォーム&コスメティック部門。タグ・ホイヤーやゼニスといった高級ウォッチに加え、老舗宝飾ブランドのショーメやフレッド、それにデビアスなどを擁するウォッチ&ジュエリー部門。世界最大のデューティーフリーチェーンであるDFSや、世界最初のデパートとして知られるル・ボン・マルシェなどを擁し、ブランドの流通コントロールと、リテーリングの強化を進めるセレクティブ・リーテーリング部門。それにワイン&スビリッツの部門がある。ワイン&スビリッツ部門は、シャンパンとコニャックの事業が中心となっている。シャンパン事業には、モエ・エ・シャンドン、ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン、ルイナールなどの企業(ブランド名でもある)があり、世界のシャンパン市場ではLVMHが絶大な地位を占めている。コニャック事業でも世界シェア41%のヘネシーが圧倒的な位置にいる。その他にも、ポーランドで600年もの歴史と伝統を誇るベルヴェデールが、世界初のラクジュワリー・ウォッカとして96年に登場。スコットランドで最も愛飲されているシングルモルトで有名な、1843年創立のグレンモーレンジも04年に傘下に入っている。07年度のワイン&スビリッツ部門の売上高は、日本円に換算して5200億円に達している。

 モエ・エ・シャンドンでは「さあ、あなたもモエ・エ・シャンドンと一緒に、素晴らしい時間を、さらに素晴らしくしてみませんか?」との言葉で、世界統一キャンペーンを行っており、大成功を収めている。この世界戦略では、LVMHグループとして有名服飾ブランドを多数擁していることもあり、パリやミラノで行われるファッションイベントを応援し、コラボレートさせている。創業以来、各国の王族やハリウッドスターたちを、楽しませてきたモエ・エ・シャンドンのシャンパンは、ひと時を特別な瞬間に変える魔法を持つ。社会的に重要な地位にある人達にとって、ステータスのある飲み物も重要なのだ。モエ・エ・シャンドンの社長兼CEOの、フレデリック・キュメナルは世界戦略の一環として、インタビューで日本のマーケットについて答えている。「日本のマーケットはアジア戦略にとって大変重要である。日本市場はアジアで最もヨーロッパの影響を受け、洗練された文化を有している。日本における販売もコンスタントに伸びており、日本の若者はラグジュワリーなシャンパンとも波長が合っている」「日本は多岐に亘る食文化の国でだ。フランス料理にもいろいろなスタイルがあるように、日本にも多くの料理がある。マグロの刺身にはロゼ・シャンパンがとても合う。マツタケやフグにはドン・ペリニヨン、天ぷらにはブリュット・アンペリアルが向いている。シャンパンの繊細さは日本の食材と、とても良く調和すると思っている」「私は大相撲が大好きだが、優勝力士にシャンパンで乾杯してもらおうとは思わない。何故なら日本酒で乾杯するのが伝統だからだ。私たちは日本文化からインスピレーションを受けている。日本文化によって養われていると言っても過言でないくらいだ。私たちは、これからも伝統を大切にして行きたいと思っている」モエ・エ・シャンドンのシャンパンが、日本のマーケットに初めて登場したのは1905年、大阪へ300本、神戸へ250本輸出されたという記録が残っているという。現在では、高級なレストランやクラブだけでなく、百貨店で買い求めて自宅で楽しむこともできる。


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