ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 209

☆ 横浜名物・シュウマイ☆

2008.07.09号  


4月1日、「シュウマイ弁当」で名高い崎陽軒が、創業100周年を迎えた。看板商品の「シュウマイ」は「横浜の味」「横浜名物」として、今からちょうど80年前に誕生した。
「小田原のかまぼこ」「浜松のウナギ」のような、看板名物が欲しいと考えた当時の経営者・野並茂吉が考案し、現在では横浜を代表する名産品となった。
1908年、四代目・横浜駅長であった久保久行は、知人であった高橋善一(後の東京駅長)の勧めで定年退職後に、現在の桜木町にあった横浜駅構内での営業許可を、妻・コト(旧姓・野並)の名義で得ることができた。15年になり、横浜駅は平沼材木町に移転するのを機に、会社も匿名組合・崎陽軒と改組した。この時、支配人には野並茂吉が就任。崎陽軒の崎陽とは長崎の別称で、創業経営者の一人である久保久行が、長崎県出身であったことから、名付けられたと云われる。
23年には匿名組合を解散し、合名会社・崎陽軒を資本金20万円で設立。代表社員には野並茂吉が就任した。28年には横浜名物となるシュウマイを、独自開発して販売を開始した。
41年になって、横浜駅前支店を改組し、株式会社・崎陽軒食堂を設立し、野並茂吉が社長に就任。48年に株式会社・崎陽軒食堂と、合名会社・崎陽軒を合併し、株式会社・崎陽軒を設立し、代表取締役社長には野並茂吉が就任した。
50 年には戦争の傷跡が残る横浜に、明るさを取り戻そうと「シュウマイ娘」が登場。横浜駅ホームでシュウマイを売り歩いたシュウマイ娘は、崎陽軒ブランドを全国区に押し上げるほどの効果があった。このアイデアは東京・銀座でタバコの宣伝をしていた「ピース娘」を参考にしたものだった。晴れやかなコスチュームにタスキをかけ、手籠に入れたシュウマイを売り歩くシュウマイ娘たちも、たちまち横浜の名物となる。
64年になると東海道新幹線が開通し、全国にファンを広げていく。駅売りシュウマイの掛け紙には、新幹線の写真を背景に、ハネムーンらしきカップルが、シュウマイを仲良く食べる写真がレイアウトされた。CMソングの原曲となった“き〜よぉ〜け〜ん〜”の「シュウマイ旅情」も、誰もが親しめるメロディーとして大好評となった。

20年代半ば頃、野並茂吉は「崎陽軒の名物を考えださねば・・」と考え、そのアイデアを求めて南京町(現在の中華街)を食べ歩いた。気がつくと、何処の店でも“つきだし”にシュウマイがでた。シュウマイは日本人好みの味で、南京町の何処でも食べることができた。横浜の名物になる可能性を感じた野並は、早速「横浜風シュウマイ」の開発を決断。
当時の新入社員だった久保健と、彼が南京町から連れてきた呉遇孫という菓子職人、それに野並自身が開発に取りかかった。蒸し上がった試作品のシュウマイは、とてつもなく美味しかった。しかし、冷めた状態で食べると、味が半減した。
折箱に入れてシュウマイを売るには、冷めた時にも蒸し上がった時と、同じ味にしなければならない。三人が力を合わせて研究・開発を加速させて一年、ホタテの貝柱風味を使うことで、ようやく冷めても美味しいシュウマイが完成。独自の風味に仕立て上がったシュウマイは、冷めても美味しさが維持できていた。厳選された豚肉に、貝柱のコク味を組み合わせることで、互いの旨味が引き立て合った。駅売りにするためには、揺れる列車の中でも食べやすいように、一口サイズの食べやすい大きさにする工夫も凝らした。こうして横浜名物「崎陽軒のシュウマイ」が誕生した。揺れる車内でも食べやすいシュウマイは、土産や旅のおやつとして大人気となっていった 。


60年代後半、冷めても美味しいシュウマイを開発して40年、日本が戦後の復興から20年、経済はめざましい発展を遂げた。新幹線の新規開通・伸延など、国内交通機関も飛躍的な発展を遂げた。横浜から田舎にシュウマイを土産に持って帰りたいとの、消費者の声が相次いだ。崎陽軒にとっても全国の消費者に食べて貰うのは、創業当初からの夢であった。しかし、シュウマイは生ものである。二代目社長・野並豊は研究スタッフを集め、シュウマイの美味しさを長持ちさせる方法の研究をスタートさせた。そして、「真空バックシュウマイ」の開発に成功。「真空パック」という表現は、今では様々な商品に使われているが、この言葉を使ったのは崎陽軒が初めてであった。
長期保存の方法として、研究チームは缶詰・冷凍・真空包装というつの選択肢の中から、真空包装に着目したものの、当時はまだ誕生したばかりで、技術的には発展途上の段階だった。しかし、顧客志向のつよい二代目社長は、消費者にとつて最も利便性の高い真空包装を決断。蒸したてのシュウマイをフィルムに包んで、エア抜きをして殺菌。味と香りを封じ込め、簡単に温められるようにした。67年になって、ようやくシュウマイの真空パックが完成。そして、550人もの消費者モニターに試食調査を実施。美味しいと絶賛された真空パックシューマイは、常温で10日間、5℃以下なら一ヶ月保存可能な商品として、全国で販売されるようになった。現在では研究も進み、常温でヶ月程度の保存が可能で、電子レンジで直接温められるように改良されている。

崎陽軒にはシュウマイも食べたいけど、マスコットも欲しいというファンが大勢いる。
シュウマイの折箱の中に入っている醤油差しの「ひょうちゃん」である。普通の駅弁に入っているような、透明プラスチック容器ではなく、風格たっぷりの瓢箪型の陶器製である。

書かれているイラストは、笑い顔や怒った顔など、さまざまな表情が描かれており、折箱を開ける時の楽しみの一つにもなり、コレクターまで存在する。
55年に初登場し、漫画「フクちゃん」で有名な漫画家・横山隆一がイラストを描いた。「ひょうちゃん」という名前も、横山自身が命名したという。いろは48文字に因んで、48種類が描かれた。創業80周年に登場した「ひょうちゃん」は、イラストレーター・原田治が80種類描いたが、03年に初代「ひょうちゃん」が形を変えて復帰し現在に至る。
創業100周年を迎えた崎陽軒三代目社長・野並直文は、これまでの100年を礎に、次の100年に向けた会社の考えを「崎陽軒 100周年宣言」として発表した。
《崎陽軒はナショナルブランドをめざしません。真に優れた「ローカルブランド」をめざします》ローカルブランドに徹することにより、ナショナルブランドをも超える、ブランドとして存在しうると考えている。
《崎陽軒が作るものはシュウマイや料理だけではありません。常に挑戦し「名物名所」を創りつづけます》単に美味しくて安全なものを提供するだけでなく、駅弁は旅の思い出と一緒になることにより、食文化になっていったように、楽しみや思い出とつながり、名物名所と呼ぶにふさわしいものの創造を目指そうとしている。
《崎陽軒はお客様のお腹だけを満たしません。食を通して「心」も満たすことを目指します》港町横浜だからこそ生まれた海外の食文化と、日本の食文化の融合を「横浜料理」として確立することを目指している。シュウマイという中国料理を、冷めても美味しいという日本独自の、駅弁文化を融合させた崎陽軒だからこそ創っていけると考えている。




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