ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 220

☆ 御すのはお客様☆

2008.09.24号  

エルメスは馬具工房として創業したフランスの、老舗ファッション・ブランドである。
自動車の発展による馬車の衰退を予測し、鞄や財布などの皮革製品の製造販売に事業転換したことで成功し、創業以来170年の歴史を誇る。現在でもロゴには、創業時の馬具工房に由来する四輪馬車のデュックと、従者のタイガーが描かれており、主人が描かれていない。これは「エルメスは最高の品質の馬車を用意しますが、それを御すのはお客様自身です」との意味が込められている。
1801年、エルメスの創業者ティエリ・エルメスは、現在のドイツ・クレフェルドで生まれた。当時のクレフェルドはナポレオンによって、フランス領になっており、ティエリもフランス国籍であった。ティエリは13歳のときにパリに渡り、馬具職人の見習いとなった。
1837年になりティエリ36歳の時、パリのバス・デュ・ランバール通りに馬具工房を開いた。当時のフランスは産業革命による新興成金や、貴族達の間で高級馬具の需要が拡大していた時期であった。後にティエリはナポレオン三世などを顧客に持つようになり、さらに事業は発展を続けていくことになる。
1878年にティエリが死去すると、息子のシャルル・エミール・エルメスが家業を引き継ぐ。
1880年になり現在地フォーブル・サントノーレ24番地に移転。それまでのエルメスは下請的な事業だったが、顧客に直接販売するようになった。エミールは第二回パリ万博に鞍を出品し、馬具部門でグランプリを受賞する。これを契機にエルメスの名は、フランスだけでなく、ヨーロッパ各国の皇族や上流階級の人達に知れ渡るようになる。しかし、1886年にドイツで自動車生産が話題となると、瞬く間に自動車の評判が広がり、馬具工房のエルメスには暗雲が立ち込めるようになる。

1892年、後に3代目となるエミール・モーリス・エルメスは、商品の多角化を推し進めた。馬具の伝統的技術を用いて、ケリー・バッグの原形となる最初のバッグで「サック・オータクロア」が完成。1900年には、当時30歳のモーリスが、ヨーロッパ貴族や、ロシア皇帝ニコライ2世へ、馬具と鞄の売り込みに成功。1902年に2代目エミールから会社を受け継いだモーリスと、兄のアドルフは会社名を「エルメス兄弟社」に改称。翌年には札入れ、婦人用財布、バッグ類の製造に拡大。これを契機に、エルメスはファッション業界に近づいていく。折しも、アメリカでは1903年にフォードが自動車の販売を開始した。
1920年にはファスナーを初めてバッグに使用。後にシャネルがスカートにファスナーを使い、これが契機となって衣類にファスナーが使われるようになった。1922年にモーリスは兄が持つ、全ての所有権を買い取る。社名を「エルメス」に戻し、事業は順調に拡大した。
しかし、1929年の世界大恐慌、その後の第二次世界大戦と経営危機に陥るが、モーリスは商品開発の手を休めることはなかった。画家志望であったモーリスの娘婿デュマは、絹のスカーフをデザインし、もう一人の娘婿ゲランは香水を造り、優良顧客に進呈したという。
これにより、女性顧客層が一気に広がり、社交界に深く浸透していくようになり、二人の娘婿はフランス中に支店を拡大していった。
51年にモーリスが逝去した後は、ロベール・デュマ・エルメスが4代目に就任。デュマの死を受けて1978年に息子のジャン・ルイ・デュマが、5代目の会長兼最高経営責任者に就任。だが、健康上の理由から2006年1月に役職を降りてしまった。経営トップには創業して以来初めて、創業家一族以外であるパトリック・トマが就任した。

エルメスのバッグは発注者か、最初の所有者の名が付いたモデルが多くある。比較的最近のものでは、スーパーモデルのエル・マクファーソンが発注した「エル」。これは巾着型で、底の部分には化粧品を入れるため、外から開閉可能な引き出しが付いているという。
日本人男性が発注した大型旅行鞄「マレット・タナカ」も知られている。しかし、何と言っても有名なのはケリー・モデルとバーキン・モデルであろう。
1935年に「サック・オータクロア」を原形とした定番商品「サック・ア・クロア」が発売された。女優グレース・ケリーは、このモデルのバッグを愛用していた。グレース・ケリーはカンヌ映画祭で知り合ったモナコ大王レーニエ3世と結婚。1956年の映画「上流社会」を最後に、モナコ王妃となった。元女優の王妃をライフ誌が写真に撮ろうとしたとき、長女カロリーヌ王女を懐妊中だったため、咄嗟にお腹を持っていたバッグで隠そうとした。この写真をライフ誌が、表紙に採用したことで世界的な話題となった。これを知った社長のデュマはモナコ王室に、このバッグの名前に王妃の名前を使用できないかと打診。これが了承されたことで、翌年「ケリー・バッグ」と改称された。
ケリー・バッグと同様に人気のあるバーキン・モデルは、デュマが飛行機の中で偶然に隣同士に、イギリス生まれの女優ジェーン・バーキンと乗り合わせた。彼女がボロボロな籐のカゴに、なんでも詰め込んでいるのを見て、デュマは整理せずに何でも入れられるバッグを、造らせて欲しいと申し出た。彼女も小さい旅行カバンが欲しかったことから、彼女自身がデザイン画を描き、エルメスにオーダーした。1984年にエルメスはサック・オータクロアを原形としたバッグを造った。このバッグをジェーンはことのほかお気に入りとなり、何時も持ち歩いていたことから有名になり、デュマはバーキンの名をつけて商品化した。彼女が持っているのは底辺が40僂離皀妊襪世、35僂30僂離皀妊襪發△襦

パリから車で30分ほどの、パンタンという小さな街にアトリエ・エルメスがある。ここにある「革保管部」に、材料となる革が保管されている。世界中から上質の革が取り寄せられ、温度や湿度に細心の注意を払って保管されている。
品質の高いバッグに革が使用されるとき、どの部位を使うかも重要なことである。牛革は肩部分のショルダー、背中部分のバット、腹に近い部分のベリーに分けられるが、エルメスが使用するのは丈夫なバットだけである。牛は放牧をされているので、傷がつきやすく、無傷なものは1万頭から30枚しか取れない。それほど高品質な材料を使っている。
ダチョウの革であるオーストリッチも、大きな突起のある部分しか使わないという。ダチョウの革の突起は、毛穴部分で羽のある部分にしかない。アリゲーターの場合は、同じワニ目でもクロコダイル科に比べ、幅は広いが扁平なため使いにくい革である。そして、大きな模様のある部分しか使用しないので、アリゲーター革の模様の中心をセンターに、左右対称に切り抜くため、1つのバッグを造るのに2匹のアリゲーターが必要となる。それ故、数十年程度ではダメにならないほど、丈夫なバッグが出来上がる。
エルメスでは品質の高さだけでなく、デザイン的にも優れたアイテムを発表している。現在はレディースをジャン・ポール・ゴルチェが担当。1952年にパリで生まれて、18歳でピエール・カルダンに採用され、1971年にジャン・パトゥのアシスタントとなる。1977年にプレタポルテにデビューした経歴をもつ。メンズ担当はヴェロニク・ニシャニアンで、パリ・オートクチュール専門学校を首席で卒業。1988年には若いクリエーターに贈られるパリ市長賞を受賞。ディテールに拘り、素材と色の繊細さを大切にするデザインが特徴だ。
2008-2009A/Wではヨージ・ヤマモトと、コラボレートしたショルダーバッグを発表。このバッグは「ヨウジ」というモデルとして、発売される予定である。
日本での展開は1983年に西武百貨店との合弁で「エルメス・ジャポン」が設立されたが、後にエルメスの完全子会社となる。旗艦店は東京・銀座にある「エルメス銀座店」である。
路面店としては東京・丸の内にある新東京ビル1F・2Fに「エルメス丸の内店」と、大阪・梅田の「梅田エルメス・ヒルトンプラザ店」がある。インショップとしては全国有名百貨店の、根幹となる店舗には比較的多く出店している。しかし、三越にはあまり出店していない。これは、岡田社長時代にネクタイを贋物と知りながら、販売されていた疑いがあった。贋物を正価で販売していたことや、本店直輸入のタグをつけて販売していたことが、フランス本社の逆鱗に触れたという。因みに、1971年に昭和天皇が訪仏した際、身につけたネクタイも贋物だったとされ、皇室御用達の三越日本橋店で購入したものだった。
エルメスは高い品質と、それを支える高度な技術と職人気質をもとに、170年を超える伝統を誇る。世界の誰もが超一流と認めるブランドである。




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