ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 234

☆ 可愛さと実用のバッグ☆

2009.01.07号  

ファッション・モデルやタレントとして活躍し、最近ではクリエイターとして活動している神田うのが、昨年5月に初のオリジナル・ブランド「UNO KANDA」を立ち上げた。発表パーティーではビジネスバッグ、パーティー用バッグ、それに財布やパスケースなどの小物も含め54点が披露された。価格帯は7800円から10万円位という。そしてキーワードは「大人かわいい」だという。現在は立ち上げて間がないことから、アイテム数は限られているが、今後はアイテム数を増やして幅広い展開を計画している。
今回の発表パーティーでは自身の経験を生かし、ファッションショーの形式で披露された。
モデルが洋服に合わせて新作バッグを紹介。OLがパーティーに出席するときには、可愛さを強調したバッグ、ビジネスで持つときには実用的な大きさなどをアピール。
彼女のデザインするバッグは、アクセサリーのように洋服に合わせると、アクセントになるカラーが用いられており、“うのハート”や“リボン”などが可愛らしくデザインされている。バッグの内側には小物入れのポケットもついており、使い勝手にも考慮されている。
これまで彼女がデザインしたストッキングやウェディング・ドレス、ジュエリーなども、使い心地や実用性がしっかりと考えられている。もちろん見た目にも可愛くオシャレで、豪華さも表現されており、機能性とファッション性が兼ね備わっている。
「UNO KANDA」ブランドのバッグは、昨年の9月に高島屋・新宿店、10月に高島屋・東京店と横浜店、11月には有楽町・マルイ(丸井)でフェアーが開催され、今年から全国の百貨店や専門店で本格的に展開される。

 神田うのは14歳でファッション・モデルとしてデビュー、18歳からタレントとしての仕事を始めた。その後はテレビや雑誌などで超売れっ子となり、現在はファッションデザイナーとして、目を見張る活躍を展開している。
クリエイターとしてのスタートは、リアルフアーが大好きで、それが高じて1999年に毛皮メーカーとのコラボレーションで「コスタ・モーダ・ウノ」ブランドをプロデュース。これが世間から大きな注目を浴びたため、フランスの女優ブリジット・バルドーらの動物愛護運動家や、動物愛護団体から毛皮に関する公開質問状を送られるという、おまけが付いて現在はチョット下火になってしまった。その後にサングラス「U−NO」を発表。
彼女のデザイナーとしての才能を引き出したのは、何と言ってもグンゼとコラボレートした「トゥシェ・ウノコレクション」のストッキングや下着であろう。グンゼのイメージモデルをやっていたとき、センスの良いファッションを身に付けているのを見たグンゼの担当者から、柄ストッキングのデザインについてアドバイスを求められた。デザインのアドバイスをしているうちに、グンゼでトウシェ・ブランドの拡大戦略が持ち上がり、コレクションのデザインを彼女に依頼。商品化されるまでは試行錯誤の連続であったが、苦労の甲斐があって一つのブランドが、300万足売れれば大ヒットと言われる業界で、最初のシーズンでいきなり580万足をセールする快挙を成し遂げた。5年後には1700万足を超え、今でも記録を塗り替え続けるメガヒット商品になった。2005年春には南青山に、推定5億円とも言われる豪邸を建てた時には、パンスト御殿と言われて大きな話題となった。

 神田うのは1975年3月28日に東京・目黒区で、弟二人の長姉として生まれる。父親は東京大学大学院を修了し、当時の通商産業省に入省して技官となった。いわゆるキャリア官僚の裕福な家庭で育った。命名の由来は持統天皇の幼名「鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)」に因んだ。このことから幼少時には、両親や祖母から「姫」と呼ばれて育つ。
1歳から4歳までは父親がインドネシア・ジャカルタに赴任したため、海外での移住経験も持つ。帰国後は横浜市・栄区に居住し、1985年には川崎市・中原区に転居。学校も川崎市立木月小学校へ転入後、川崎市立住吉中学校へ進む。高校は制服が可愛いからとの単純な理由で、白鵬女子高等学校へ進学した。
5歳からは谷桃子バレエ団に所属し、1990年には東京新聞主催のバレエコンクールで入賞。
その後、パリのバレエ学校コンセルヴァトワールに合格したものの、全寮制が嫌で辞退。世界のプリマになる夢を断念した。しかし、1992年の中部全日本バレエコンクール・ジュニア部門で1位となり、東京全日本バレエコンクールでも入賞した経歴を持つ。
バレエで鍛えたルックスが周囲の関心を呼ぶようになり、子供の頃から街を歩く度に芸能関係の事務所から、スカウトの声が掛かっていた。彼女自身が芸能関係には興味が薄かったことと、家族が反対したため拒否していた時期があった。だが、ファッション好きだった彼女は、モデル事務所からのスカウトには興味を抱き、家族を説得して14歳の時にモデルとしてのキャリアをスタートさせる。広告などのモデルを経た後、17歳の時に雑誌・プチセブンのモデルとなる。19歳になった1994年頃からはTVのバラエティ番組にもレギュラーで登場するようになり、その後はドラマや映画、CMなどに数多く出演。NHKの大河ドラマにも出演したことがある。1995年には第33回ゴールデン・アロー賞新人賞を受賞するなど超売れっ子の活躍で、以後も数々の賞を受賞する。昨年は第1回シューズベストドレッサー賞の女性部門を受賞。2004年にはデザイナーとして、パリ・コレクションでのデビューを果たし、2006年にはニューヨーク・コレクションにもデビューした。

 タレントや女優としての活躍で知名度も高く、ファッション・センスも抜群。それにデザイナーとしての実績を持つ彼女を、他のファッション関係者が見逃す筈がなかった。近年はストッキング以外にもランジェリーやジュエリー、ウェディング・ドレスなどのデザインを手掛け、活躍の場をどんどん広げている。
クラウディアとジョイントした「シェーナ・ドゥーノ」ブランドのウェディング・ドレスも、最初は豹柄のドレスをデザインしたため、クラウディア側は腰を引いてしまった。しかし彼女は、何処にでもあるフリフリの付いたドレスなど創りたくないし、ありふれたものは自分も着たくないと主張。結果としてそのドレスは大ヒット商品となり、シェーナ・ドゥーノはウェディング・ドレス業界で、国内トップクラスのシェアーを誇るブランドに成長した。昨年6月にはシェーナ・ドゥーノの、和装ウェディングも新作発表。そのファッションショーの模様が、パリ本社のファッションTVで放映され全世界へ配信された。
セイコージュエリーとコラボレートしたジュエリー「デュノア」も絶好調である。
このような活躍をする彼女の思考を探ってみると「今はアイデアがどんどん出てきているので、お仕事をさせて貰っています。そのアイデアが出なくなったら、その時は辞める積もりです。ギュッと搾ったフレッシュ・ジュースは美味しいけど、搾っても搾っても出て来ないスカスカのフルーツは美味しくないですよね。デザインも同じで、何とか搾り出したアイデアでは、良いもができないと思います。美味しいフレッシュなジュースを、喉の渇いている人に飲んで頂きたいですから・・」。タレントとしての神田うのは、あまり好きじゃないと言う声も耳にする。しかし、タレントは所属事務所の経営戦略や、CMではスポンサーの意向、それと周りにいるスタッフにより、作られたキャラクターで活動する場合が多々ある。一方、デザイナーとしての仕事は、その人自身のポリシーとセンスがストレートに表現される世界である。今後、彼女がどのようなフレッシュ・ジュースを搾り出すのか楽しみである。


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