ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 242

☆ 日本最初の製帽会社☆

2009.03.04号  

 ジョージ・ブライアン・ブランメル(1778年〜1840年)は、別名ボー・ブランメル(伊達男ブランメル)と呼ばれ、大変なオシャレで毎日服装を変えるのに、2時間も掛けていたという。ブランメルは18世紀の終わり頃に、イギリスに始まった紳士服の基準を作った一人と云われている。19世紀を代表するイギリスのロマン派詩人バイロン卿をして「ナポレオンになるより、ブランメルになりたい」と言わしめた。ブランメルは「帽子の趣味によって、われわれは被っている人の心の中を知ることができる」と言い残している。
当時のヨーロッパでは、正装するときには必ず帽子が用いられていた。日本においても「冠婚葬祭」「衣冠束帯」などで云う「冠」とは、笠・頭巾・帽子などの冠り物のことである。
魏志倭人伝には「木綿を以て頭に招(か)け」とある。以来、日本人の歴史をみると、常に被り物を身につけてきた。603年に聖徳太子が定めた「冠位十二階」以降、被り物は階級を表すものであった。宮廷での正式な儀式には、今なお伝統が続いている。江戸時代の髷も被り物とする説がある。因って、武士と町人や農民とでは、髷の結い方が違っている。
現代においては洋の東西を問わず、帽子は多くの人達にオシャレ用品として愛されてきた。
昭和天皇は行幸の折には、必ずソフト帽を被って出かけられ、民衆の声には帽子を振って応えられていた。「男はつらいよ」の車寅次郎は、ソフト帽をチョット斜に被ってヤクザな男を気取っていた。ギャングの大ボスだったアル・カポネは、生まれ故郷のボルサリーノ(既号228.紳士の帽子 )製の帽子を愛用していた。イタリア・マフィアとの噂が絶えなかったフランク・シナトラ(既号212.アメリカン・トラディショナル)も、ボルサリーノの愛用者だった。ギャング映画でスターとなったハンフリー・ボガート(既号35.トレンチコートとボギー)の、帽子とトレンチコートの着こなしは、ダンディな男の極みであった。
ハードボイルドなスタイルで「ダンディな男は、コートの襟を立てるんだ」「ダンディな男は、じっとしてタバコを燻らせるんだ」「ダンディな男は、多くを語らず眉間にシワをよせるんだ」など、全てボガートが帽子を被って役作りをした時のイメージである。19世紀におけるダンディのカリスマが、ブランメルであるならば、20世紀のダンディのカリスマはボガートであろう。

 日本では文明開化により洋装化が始まった。明治維新後に日本の要人達は外交や視察のため欧米を訪れ、海外の要人達が正装する時には、帽子を身につけるのを目の当たりにしてきた。その中の一人であった財界の大御所・渋沢栄一(既号51.泊まりたいホテル)は、紳士の象徴として世の男性の、頭部を飾る帽子が重要なアイテムであることを認識した。
1889年に洋行帰りの渋沢栄一は、日本で最初の製帽会社・有限責任日本製帽会社を設立。
そして3年後の1892年12月に渋沢栄一は、益田克徳や馬場恭平らと共に、資本金3万6千円をもつて、東京府小石川村氷川下(現・文京区小石川)に、舶来山高帽子の国産化を目的とする東京帽子株式会社を設立した。トーキョーハットのブランド名で売り出した帽子は、和装から洋装への社会変化と共に、順調に業容を拡大していった。その後はファーの帽子工場を稼働させるなど、実用的な帽子からファッション性を重視したアイテムも取り入れられるようになった。先進的な事業は日本産業協会より、製帽事業の功績賞をうけるなどした。第二次世界大戦後の1949年には、東京証券取引所に株式上場を果たす。
1955年には強化プラスチック製の保安帽の製造を開始し、58年には工事用保安帽のJIS指定工場として認可される。その前年からは紳士用のカジュアルシャツや、ニットウェアーなどの企画生産・販売を始め、帽子を含めたアパレル事業として展開するようになった。
ローマオリンピックでは日本選手団の帽子を製造。東京オリンピックでは選手や役員の公式ブレザー用の帽子を納入。東京オリンピックで日本選手団が入場式に被っていた帽子である。1970年の大阪万博では万博帽子を販売するなど、帽子の老舗メーカーとして、幅広い支持を得ていた。しかし、時代の変遷に伴い新規事業として、1958年にマーキング用フェルトペン先の生産を開始し、文具事業を拡大していくようになる。事業内容の変化と主力マーケットを海外に移す事から、1985年には社名をオーベクス株式会社に変更した。

 オーロラ株式会社は1896年に洋傘卸売業として創業。1953年には東レと提携してナイロン製洋傘の国産化を実現するための研究開発を行った。それにより化学繊維を使用した洋傘は、人々の身近なものなった。1973年には洋傘業界初のライセンス商品として、ピエール・カルダン(既号187.ブランドの大衆化)との業務提携を実現。現在では多くの有名ブランドと提携したライセンス商品と、個性あふれるオリジナル商品を、高いデザイン力と優れた技術力で生産している。
創業当時から傘と同様に、和装用のショールなどの羽織物事業をスタートさせていた。1949年にはスカーフの営業を開始するなど、時代の変化に対応し、和装小物から洋装小物へと商品開発を変化させてきた。更に、和装小物で培ってきた技術を用いて、海外有名ブランドのライセンス契約による商品や、個性的なオリジナルデザインの商品を、ネックアクセサリーとして展開。これらはファッションアイテムとしてメンズ、レディースともに高い評価を得ている。
帽子事業は1994年にスタート。傘や小物用品でのライセンス生産の経験を生かし、当時としては画期的な服地を使用した帽子を製作するなど、帽子業界に新風を吹き込んだ。帽子事業においても、オリジナル商品の企画製造を行うと共に、多くの有名ブランドのライセンス生産・販売を行っている。2007年にはイタリア・ボルサリーノと提携し、オーロラ本社ビル内にボルサリーノ・ジャパン株式会社を設立し、代表取締役社長はオーロラ・若林康雄社長が兼務している。また、同年にはオーベクスよりトーキョーハット・ブランドの帽子事業を譲り受ける。1996年にはサングラス事業にも参入。
オーロラでは卸売業のため、一般消費者への直接販売は行っていない。オーロラ商品は全国有名百貨店、もしくは専門小売店での取扱となっている。本社は東京千代田区一番町に構え、札幌、大阪、福岡に支社を置き、東京・船堀と新潟に商品センターを持つ。海外にも1986年に台湾、1990年に香港、1993年にはシンガポールと上海に現地法人を設立。1968年には優良輸出企業として、当時の通産省より表彰されたこともある。
オーロラは日本のファッション界の、小物分野において業界を牽引している会社である。

 昭和初期の日本男子の冠帽率は95%だったと云われる。しかし、昭和40年頃(1965年)になると、帽子を被らない世代が多くなり、現在に至っては街で帽子専門店を見つけるのは困難なほど、無帽の時代になってきた。オシャレな一部の人達や、カジュアルな帽子を楽しむ若者達がいても、正装で帽子を被る人はほとんど見かけなくなってしまった。
新規事業として取り組んだ文具事業は、合成繊維製細字用ペン先の製造技術で特許申請。
ナイロン繊維ペン先を市場で拡販。ポリエステル短繊維束ペン先の製造開始。プラスチックペン先の新製法を開発。蛍光マーカー用の繊維束太径ペン先の開発。0.8丱廛薀好船奪ペン先を販売し極細ペン先の実用性を高めるなど、文具事業は順調に拡大し、現在では全世界に多くのシェアーを持つ、マーカーペン先等のペン先メーカーとして事業展開。
近年ではペン先製造技術を生かして、メディカル事業部で医療機器分野にも進出した。
一方、帽子関連の事業は2004年に保安用品事業から撤退。2007年には帽子事業をオーロラ株式会社に事業譲渡し、アパレル事業から完全撤退した。昭和天皇や政財界の重鎮に広く愛用されたトーキョーハットの、ブランド名は存続されることにはなったが、創業118年の老舗帽子メーカーの大きな決断であった。



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