ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 248

☆ 接着剤の代名詞 ☆

2009.04.15号  

 大正時代に国内で使われていた接着剤は、価格の高い外国製のものばかりであった。国内の化学工業は外国メーカーと比べて、残念ながら大きく遅れおり、実用にいたるものを造ることができなかった。国内メーカーが造る接着剤は、ご飯粒で代用されるような、糊の域をでないような代物で、接着力は雲泥の差であった。日本に接着剤が輸入されるようになったのは明治時代中頃で、品質はニカワをコロイド状にしただけの物であった。しかし、それさえも国内メーカーは、現状に甘んじていた。誰も国産化を目指す者がいない中で、海外メーカーの強力な接着機能に目を向け、生活必需品としての接着剤の重要性と市場の将来性をいち早く見抜いた男がいた。
今村善次郎は大正時代初期に、今村商店を開業してイギリス製の接着剤「メンダイン」などを取り扱っていた。善次郎は「生あるものは死し、形ある物は壊れる。壊れる限り補修する接着剤の需要は無限のものである」と考え、接着剤の将来性に着目。また、将来は生活必需品になると思われる接着剤が、外国製品に独占されている状況も我慢ならなかった。
善次郎は自らの手で国産化することを決意し、1919年(大正8年)から本格的研究を始めた。化学者でもない善次郎は、借家住まいの一室を研究室にあて、寝食を忘れて独学で研究に没頭。自宅の鍋や釜を総動員して、異臭を放つニカワや化学材料の調合を変えながら、煮炊きを繰り返す凄まじさであったという。試行錯誤の末に苦心が実ったのは、4年後の1923年(大正12年)であった。
 
 当時は慣用語として「接着剤」という言葉がない時代であった。一般家庭では「のり」、産業界では「接合材」「膠着材」と呼ばれていた。糊の持つ接着力のイメージよりも、さらに強力な印象を与えるような言葉を、思案の末に考え出したのが接着剤であった。「剤」に拘ったのは、有力な販売ルートが文房具店で、次に薬店であったことから、薬店で販売するには剤の方が良いと言うことになった。こうして接着剤という言葉は、今村善次郎が造った言葉だったのである。
商品名である「セメダイン」は、結合材の「セメント」と力の単位である「ダイン」(1997年以降はN=ニュートンを用いている)の、合成語であると一般的には言われている。
しかし、もう一方の説は、化学接着剤の国産化の夢に取り憑かれた善次郎は、当時の市場で最も売れていた接着剤が、イギリスの「メンダイン」という商品だった。善次郎はメンダインなどの外国製接着剤を市場から「攻め出す」という、外国製品駆逐の闘志を込めて、(メン)ダインを攻める。つまりセメダインと名付けたのだった。接着剤の鬼とまで呼ばれた、善次郎の執念がつけた名前でもあった。

世の中には、ある特定の商品目の中で、代名詞的存在となっている商品が幾つもある。
「ホッチキス」は紙にコの字型の針を刺し通し、針先の部分を両側から曲げて、紙を綴じる道具である。英語の一般的な名称はステープラーであり、日本JIS規格上の名称はステープラである。ホッチキスの呼び名は、明治時代中期に伊藤喜商店(現・イトーキ)が、アメリカのE.H.ホッチキス社の製品を、ホッチキス自動紙綴器と名付けて販売したことに
由来している。日本では明治時代からイトーキの登録商標であったが、文房具分野ではホッチキスという商標は失効している。現在の日本ではマックスの製品が、市場シェアの75%を占めており、マックスの登録商標と勘違いしている人も多いようだ。因みに、現在登録されているホッチキスの商標は、理化学分野限定でキャノン、医療器具限定でマックスが登録されている。
「バンドエイド」はアメリカのジョンソン・エンド・ジョンソン社が、製造販売しているガーゼ付き絆創膏の商品名である。1920年にジョンソン・エンド・ジョンソン社の社員であったアール・E・ディクソンが開発した。当時、彼は妻のジョセフィンと新婚生活を送っていた。台所仕事に不慣れであったジョセフィンが、再三にわたり手に火傷や切り傷を負って、そのたびに彼はジョセフィンに、ガーゼと粘着テープで手当をしてあげた。そこで、自分が留守の時にもジョセフィンが一人で、簡単に傷の手当てができる包帯を造ろうと考えた。適当な長さに切ったテープに、ガーゼを貼り綿布をあてた物を考案した。こうした彼の新妻を思う気持ちが、バンドエイドを誕生させたのだった。
「サランラップ」は食品用ラップフィルムの商品名である。アメリカ・ダウケミカル社のラドウィックとアイアンズという二人の技術者によって開発された。ピクニックに行ったときに、レタスをポリ塩化ビニリデン(PVDC)フィルムで、包んで行ったことが切掛けだった。商品名には二人の妻の名前、サラとアンに因んで付けられた。サランとサランラップの名称は、多くの国ではダウケミカル社の登録商標だが、日本では旭化成の登録商標となっている。1952年に旭化成工業(現・旭化成)とダウケミカル社の合弁企業である旭ダウが設立され、1960年にサランラップの名称を日本で商標登録され、販売開始された。
その後1982年に合弁が解消されて、事業は旭化成工業に吸収された。日本では旭化成のライバル企業・呉羽化学(現・クレハ)のクレラップが発売を先行していた。しかし、旭化成は冷蔵庫や電子レンジの、普及に合わせた販売戦略が功を奏し、シェアを拡大したため
一般消費者にはサランラップの名称の方が、食品用ラップフィルムの代名詞となった。

 国産化された接着剤の第一号商品「セメダインA」は、外国製品と比べて遜色のない性能を備えていた。しかし、これは外国製品を倣って国産化した物であった。当時の外国製品の欠点と指摘されていた、耐水性や耐熱性の改良が必要だった。外国製を凌駕するための改良を加え1938年に「セメダインC号」が発表された。これは個人営業の今村商店の時代から、1941年に有限会社となり、1948年に株式会社となった今村化学研究所。そして1956年にセメダイン株式会社となった歴史のなか、会社組織は変わっても、現在に至るまで80年以上に亘る超ロングセラー商品となった。
セメダインは販売促進活動と、公告宣伝活動を強力に推し進め、接着剤の代名詞的存在になるまで普及した。接着剤の効力をアピールするために、全国各地のデパートの店頭や、博覧会などでも積極的に実演販売を実施。新聞雑誌や街頭の広告などにも、多額の費用を投入した。1953年には300万円もの資金を掛けて、宣伝カーを造り全国を実演販売して回った。国家公務員の大卒初任給が7650円の時代のことである。街のゴミ箱から公園のベンチにまで広告を貼り、積極的な宣伝活動を徹底的にやった。さらには接着剤を使う機会を作るため、模型飛行機大会などのイベントも開催。全国の小学校を回る工作教室は、現在でも年間60校から70校ほど実施している。販売の主戦場はDIYショップへと場を移したが、実演販売は現在も続けられている。販売の基本である地道な普及活動は、脈々と受け継がれており、それによる圧倒的な知名度は、現在のように混迷を極める時代においても、強力な武器となっている。同社が製造する接着剤は、家庭用から建設業界、自動車業界、リニアモーターカー、それに人工衛星にまで広範囲に使用されており、製品数は3000種を超えている。


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