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桃太郎のビジネスコラム 27

☆ 日本の紋処☆

2004.12.07号  

 テレビドラマ「水戸黄門」1月からの放送予定である 第34部の撮影が 11月8日に京都で再開された。昨年の12月15日の放送で1000回を数えた長寿番組である。夜8時から始まる番組は35分頃になると、悪代官や悪徳御用商人達と黄門さま達との大殺陣回りが始まり、格さんが「この紋処が目に入らぬか」と「葵の御紋」のついた印籠を差し出して一件落着へと進む。ストーリーはいつも同じパターンでドラマの展開は視聴者でも読める。痛快時代劇であり、人情劇でもあり、その勧善懲悪は安心して見ていられる番組である。水戸藩第2代藩主徳川光圀公は名君として知られてはいたが、江戸幕府には副将軍という役職は無かったし、諸国漫遊などはしていなかったそうである。明治時代の講釈師玉田玉知が庶民の味方として助さん、格さんを連れて諸国を漫遊する水戸黄門の話に仕立て上げたのが、創作ドラマの原型と云われている。

 「葵の御紋」のような家紋は江戸時代になると、権威の象徴としてもちいられるようになり、各地の大名達も家紋を礼服等に付けるようになった。家紋の文様は飛鳥時代には原型が有ったらしく、大陸文化の影響が強くあったようだ。室町時代には個人を表す紋章となり、平安時代には家紋として定着していった。戦国時代には敵味方を識別する意味もあり単純な文様が多く使われた。代表的な例が豊臣秀吉の「瓢箪」の家紋である。群雄割拠の下克上時代には戦意高揚のシンボルとして全国の大名達が用いるようになり、家紋の数も急速に増えていった。江戸時代で天下太平の元禄の頃になると、庶民階級にも普及し、ファション感覚で旅芸人や遊女までが家紋を付けるようになった。

 カタバミ科カタバミ属の方喰(酢漿草)という花がある。日当たりのいい山地や荒地などに一年中見られる多年性の雑草である。葉はハート形の3枚葉で黄色い花を咲かせる。睡眠運動を行い夜や雨の日などは葉を閉じる。閉じた時に葉の一部が喰われて欠けたように見える事から、方喰(かたばみ)と云われるようになった。世界中の温帯から熱帯地方に生育し、日本では5月から10月頃に花を持つ。方喰は酸性が極度に強い植物で江戸時代には真鍮製の仏具や鉄鏡を磨いていたそうで、葉汁は寄生性の皮膚病にも薬効が有るといわれる。生命力と繁殖力が強く薬効があることから、子孫繁栄を意味するとも云われ、家紋に多く使われるようになった。可憐な花とハート形の葉は癒しのイメージとして多くの武家にも愛用された。武士の強さを強調するために剣を付けた「剣方喰」紋もある。一般庶民も武家家紋を真似て家紋をつけるようになると、丸で囲む事が流行し、「丸に剣方喰」も多く使われるようになった。方喰を模した家紋は百種以上あるという。「桐」に次いで人気の高い家紋である。

 家紋は冠婚葬祭に使用する紋付き袴、喪服、提灯やお墓などの紋章として広く使われており、その家の家系や家柄を表すブランドとなっている。現在は全国で2万種類以上の家紋があると云われている。日本の家紋は桐や方喰のような花鳥風月や身の回り品を模した紋様が多い。方喰は西洋の花言葉で「賢い婦人」とも云われており、日本では優しさや優雅さを基調とする紋様が好まれているようである。ヨーロッパでは日本の家紋にあたるエンブレムがあり、ジャケットの左胸に付けているのを見かけることがある。鷲や鷹、虎やライオン、竜や蛇などを模したものがあり、権力や戦いの強さを強調しているエンブレムが多い。日本国歌 君が代 は古今集にある読み人知らずの古歌であり「〜こけのむすまで」と何とも平和な歌である。対照的にフランス国歌のラ・マルセイエーズは「〜進め進め 仇なす敵をほふらん」と何とも勇ましい歌である。家紋やエンブレム、そして国歌も農耕民族と狩猟民族の違いが強く感じられる。


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