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桃太郎のビジネスコラム 274

☆ 一等航海士のコーヒー☆

2009.10.14号  

 日本における喫茶店の店舗数のピークは1981年だった。その数、約15万5千店。その後は減少に転じ、平成になってからは激減。2006年には約8万1千店にまでなった。
しかし、その間も日本におけるコーヒー豆輸入量は増え続けていた。この不思議な逆転現象の裏には、新しい形態のコーヒーショップの爆発的な成長があった。その中でも多くの日本人に受け入れられ、急速に拡大したのが「スターバックスコーヒー」である。通称「スタバ」と呼ばれて注目度は群を抜いており、そのオシャレ度では他を圧倒している。
長野市ではスターバックスファンの女性市民達が、店舗誘致のために署名運動を3年がかりで繰りひろげ、2003年に出店を実現したという出来事まであった。
フレンドリーな接客。通りに面したオープンテラス。禁煙の店内(テラスは可、店舗によっては不可の場合あり)。落ち着いた照明やインテリア。それにハイセンスなソファ。寛ぎ易いソファは大人気で、何所なら買えるのか、問い合わせる顧客もいると云う。
このような営業方針は、欧米のコーヒーショップ、タリーズコーヒーやシアトルズベストコーヒーなどのシアトル系コーヒーショップでは比較的多く見られた。しかし、日本でスターバックスが開業した当時は、他の喫茶店と比べて目新しい形態であったため、国内ではスターバックスの特徴として挙げられることが多い。店内の全面禁煙やオシャレな雰囲気は、女性客層を中心に好評を呼び、国内のカフェブームが拡大するきっかけとなった。

 スターバックスコーヒーは1971年にシアトルで開業した。開業当初は何所にでもある普通のコーヒー焙煎の会社だった。1982年になってハワード・シュルツが入社。この頃のアメリカではイタリア風の、食事やファッションが流行するようになっていた。シュルツはコーヒー豆だけでなく、イタリア式のコーヒーであるエスプレッソを、メインとしたドリンク類の販売を会社に提案した。しかし、会社はこれを却下。やむなくシュルツは1985年にスターバックス社を退社。
翌年になって、シュルツは自らイル・ジョルナーレ社を設立。エスプレッソをメインとしたテイクアウトメニューを店頭販売し、ドリンクを飲み歩きできるスタイルを提案した。このメニューがシアトルの学生達やキャリアウーマンに受け入れられ、瞬く間にシアトルの街で大流行となった。シュルツはスターバックスを退社した2年後の、1987年にはスターバックス社の、店舗と商標を買収するまでに成長。自ら設立したイル・ジョルナーレ社を、スターバックス・コーポレーションに社名変更。スターバックスのブランドで、コーヒーショップのチェーン店を拡大していった。シアトルでは同業他社もこれに倣い、同様なスタイルのコーヒーショップが急増することになる。これらのエスプレッソをメイン商品とする「シアトル系コーヒーショップ」はブームとなり、やがて北米全土に広がり、日本など米国以外にも進出するようになった。
社名の由来は米文学界最高峰の一人、ハーマン・メルビルが1851年に書いた傑作「白鯨」に登場する、冷静沈着な一等航海士スターバックにあやかった。港町シアトルが面する太平洋へのロマンと、コーヒー貿易商人の船旅に思いを馳せて命名したと伝えられている。
ロゴマークはギリシャ神話に出てくる尾を2本持つ人魚サイレンが用いられている。この人魚の歌声が、船乗りを魅了して心を奪ったという伝説に基づいている。香り高いコーヒーで顧客の心を奪いたいとの願いが込められたと云う

 1956年、ハーマン・メルビルの名作「白鯨」(原題 Moby Dick)が映画化された。主演は「ローマの休日」(既号177.王女のスカーフ)のグレゴリー・ペック。一等航海士スターバック役は「チャタレー夫人の恋人」などに出演したレオ・ゲン。モビー・ディックと呼ばれる白鯨と、老朽捕鯨船の船長ハイエブとの激闘を描いた海洋スペクタクル映画。
『1814年、北米捕鯨業の中心地マサチューセッツ州ニュー・ベドフォード。海に憧れてやってきたイシュールは捕鯨館に宿を求めた。同室となった銛打ちのクィークェグと無二の親友となり、二人は老朽捕鯨船ピークォド号の乗組員として雇われることになった。
船長ハイエブは、以前モビー・ディックと呼ぶ白鯨に、片足をもぎ取られたことがあった。鯨骨の義足をつけたハイエブは、復讐の一念に凝り固まっていた。ハイエブはモビー・ディックに対する怨念をはらすため出港する。何も知らない荒くれ船員達は白鯨追跡に驚くが、ハイエブの執念よりも多額の賞金であるスペイン金貨欲しさに夢中になった。ただ一人理性を失わない一等航海士スターバックは、この神を恐れぬ行為に反対したが一蹴されてしまう。ピークォド号が鯨群を追う途中で、ロンドン船籍を持つサミュエル・エンダビイ号に出会う。船長のブーマーが白鯨を獲り逃がしたと云うと、ハイエブは怒ってブーマーを追い返してしまう。その後も同じ捕鯨仲間のレイチェル号に遭遇したが、船長のガーデナーは息子を海で見失い、血眼になって探し回っていた。ガーデナーはハイエブに捜索の協力を懇願するが、ハイエブにとっては時間の浪費でしかなく、にべもなく断ってしまう。その数時間後、嵐が捕鯨船を襲ったが、ハイエブは帆を下ろすことを許さなかった。怒ったスターバックは豪雨と強風の中、ハイエブと対立することになる。
しかし、ハイエブの形相とモビー・ディックに対する凄まじい執念に、スターバックもたじろぐしかなかった。やがて嵐は去り天候も回復。そして遂に、宿敵モビー・ディックを発見。4隻のボートが降ろされ、巨鯨との挌闘が開始された。ハイエブはモビー・ディックの背中へよじ上り、憎悪の銛をぶち込んだが、ハイエブは銛綱に巻き込まれ、怒り狂ったモビー・ディックともども海中に沈んでしまう。ボートはモビー・ディックの巨大な尾の一振りで砕け散り、スターバックが指揮するピークォド号も沈没。ただ一人イシュメールだけは、クィークェグが船大工に作らせてあった棺桶の背で一昼夜を漂流した後、レイチェル号に救い上げられるのだった。』

 現在はシアトル系と呼ばれるコーヒーショップが主流となっており、シアトルは「世界一のコーヒー激戦地」と云われている。スターバックスに次いで全米第二位のタリーズコーヒーやブレンズコーヒーなども凌ぎを削っており、ライバル関係にあった第三位のシアトルズベストコーヒーがスターバックス傘下となり、ますます競争は激化している。
スターバックスでは激戦を制する新しい戦略も練られている。米国ではアップル社と提携して音楽配信サービスを展開。店舗にiphoneやipod touch を持ち込むと、自動的にWi-Fiに接続され、itune Wi-Fi Music Store を無料で利用できる。店内で流れている楽曲のチェックや購入もできるNow Playing サービスも展開している。
日本ではインターネット配信番組のイグザンプラーの、日本地域査定のコーナーでは、都会度を測る基準として、その地域にスターバックスコーヒーの店舗数が何店あるかを示す「スタバ指数」なるものが用いられている。
国内では、青森・山形・鳥取・島根・徳島の各県以外の42都道府県に出店。デパートや大型商業ビルへの出店が多いが、慶應義塾大学病院や岡山大学病院など、大学病院を含めた医療施設内への出店も多く見られる。これらは患者や見舞客だけでなく、一般客も集客できる立地にある場合が多い。沖縄県北谷町には米軍関係施設や、アメリカンビレッジがあるため4店舗出店しており、市部以外での複数出店の珍しい例である。2003年には茨城県守谷市けやき台のショッピングセンター西友楽市に、ドライブスルーを併設した国内初の店舗を開設。2008年には茨城県つくば市にある筑波大学中央図書館エントランスホールに出店。日本の大学付属図書館に専門店が設置されたのは初めてであった。
店舗運営するスターバックスコーヒー・ジャパンは、日本企業のササビーリーグとエスビーアイ・ネバダ・インク(米国本社の子会社)の合弁事業として、1995年10月26日に設立された。資本金83億5600万円。売上高907億4100万円。従業員1754名。パート・アルバイト従業員12274名で、本社を東京・渋谷区神宮前に置く、急成長企業である。


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