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桃太郎のビジネスコラム 294

☆ 世界最古の旅館☆

2010.03.10号  

 法師は石川県小松市粟津温泉にある有限会社善吾楼が運営する旅館である。718年(養老2年)の創業で、約1300年の歴史を誇り、ギネスブックには「世界で最も歴史のある旅館」として登録されている。粟津温泉は、東に日本三大霊山の一つである白山が優美にして神々しい稜線を描き、西には四季それぞれに豊かな幸を恵む日本海が広がる山紫水明の地であり、文字通り天寵の里とも言える場所である。538年に仏教が伝来する。やがて710年に平城京(奈良)に遷都され、752年には東大寺大仏開眼供養が行われ、仏教国家が興隆した。奈良の都を中心に仏教が盛んになる一方、多くの名僧達が人跡未踏の高い山へ登り、厳しい修行を積んで仙人の術を会得し、いわゆる山岳仏教を興した。その中の一人に有名な泰澄大師がいた。泰澄大師は越前国・麻生津(現・福井県東部)に生まれ、717年に五智の樵夫(きこり)・笹切源五郎の道案内により、初めて白山の山頂を極めた。ここで何年間も厳しい修行を続けた後、山頂に寺を開いた。いつも籐の皮を編んだ粗末な衣を身につけ、松葉を常食とし、苦しい修行により悟りを開いた。泰澄大師は、その神通力を遠い奈良の朝廷にまで鳴り響かせ、「越の大得」として崇め立てられたという。泰澄大師が白山山頂で荒行を始めてから一年後のある日、白山大権現が夢枕に立ち、「この白山の麓から山川を超えて五、六里行ったところに粟津という村があり、そこには薬師如来の慈悲により霊験あらたかな温泉がある。しかしながら、まだ誰一人として地中深くに隠れたその霊泉のことを知らぬ。お前は、ご苦労ではあるが山を下りて粟津村へ行き、村人と力を合わせて温泉を掘り出し、末永く人々の為に役立てると良い」と告げた。

 白山大権現のお告げに従って粟津に赴いた泰澄大師は、すぐさま村人の協力によって霊泉を掘り当てた。試しに病人を入浴させたところ、忽ちのうちに長患いが治った。その頃、泰澄大師が初めて白山の山頂を極めた時に、道案内をした樵夫・笹切源五郎の次男が雅亮法師として、泰澄大師の身近に仕えて修行をしていた。泰澄大師は雅亮法師に命じて、一軒の湯宿を建てさせ、その湯守りを雅亮法師に任せた。雅亮法師は善五郎と名乗り、泰澄大師の命に従い、万人の難病治癒のための湯治宿を切り盛りすることになる。雅亮法師が取り仕切っていたことから、「法師」と呼ばれる旅館の始まりとなった。法師旅館では二代目から現在に至るまで、代々の当主は「法師善五郎」を襲名。これに因んで旅館の正式名称は「善吾楼」としている。家紋は丸の中に三つの黒丸。三つの黒丸は誠実・奉仕・協力を意味し、これを丸で囲っている。丸が輪に転じて和を意味し、和の心を持って束ねることを表しているという。この家紋が何時頃できたものかは、度重なる大火で資料が残っていないため定かではないが、藩政の時代(1600年頃)になるもっと前の時代であると伝えられている。

 現在の四十六代目当主・善五郎は、エノキアン協会に加盟して、国際的な活動も展開している。この協会は1981年にフランスで設立され、本部もパリにある。リキュールメーカーであるマリー・ブリザール社が、何世紀にも亘って存続してきた伝統企業で、現在でも創業者の子孫が経営する企業を集めて団体を創設しようと提唱したのが発端。1981年に拳銃で有名なイタリアのベレッタ社が、一年掛けて164の商工会議所、25ヶ国の大使館の協力を得て、174の会社とコンタクトをとって加入を募った。入会資格は、創業以来200年以上の社史を持っていること。創業者の子孫が現在でも経営者か役員であること。家族が会社のオーナーか筆頭株主であること。現在でも健全な経営をしていることの4点である。174社の内この条件を満たしたのは15社であり、当初はその中の10社で協会を設立した。エノキアンとは、エノクに住む人々という意味である。エノクは旧約聖書に記された人物の名であり、世界初とされる都市の名でもある。人物としてのエノクは、アダムの孫にあたり、365歳まで生き、ノアの大洪水の前の家長であった。多くの子孫を残し、神と共に栄えて、史上初の都市の名に彼の名が与えられたとされる。また、エノクには始まりという意味もあり、協会名エノキアンは、このような歴史と伝統、繁栄に因んで付けられた。現在はイタリア16社、フランス12社、ドイツ4社、スイス2社、オランダ1社、北アイルランド1社、ベルギー1社、そして日本4社で構成されている。このうち最も創業が古いのが法師旅館である。日本企業の他の3社は月桂冠(1637年創業、酒造業)、岡谷鋼機(1669年創業、商社)、赤福(1707年創業、和菓子製造販売)である。1987年には月桂冠がホスト役となり、日本で総会が開かれている。因みに、日本では200年以上の歴史を持つ企業が3000社を数え、ヨーロッパのドイツ800社、オランダ200社と比べても突出しており、近隣のアジアでは中国9社、インド3社、韓国に至っては1社もなく比較にならない。日本は世界の中でも老舗大国となっている。

 法師旅館の長い歴史には「歴代善五郎・心おぼえ」として、さまざまな云い伝えが残されている。十代目当主の頃、花山法皇が自生山岩屋寺に参詣した折、那谷寺と改め、その後はしばしば粟津温泉・法師にて入浴していたと伝わっている。二十七代当主の頃、一向一揆が起こり、蓮如上人が捜査の目を逃れて、法師の飯炊きに身をやつしたと云われる。三十三代目当主の頃には、三代将軍・徳川家光の茶道師範を務めた小堀遠州公が粟津へ湯治の際、法師に滞在して庭園造りを指南した。寛永17年(1640年)には黄門前田利常公の来訪を記念して、法師門前に「黄門杉」が植えられ、現在でも手入れが加えられている。三十五代当主の頃には、松尾芭蕉が北陸各地を行脚し、「石山の石より白し秋の風」の句を残している。四十三代当主の頃に、日露戦争で勝利に導いた宰相・桂太郎が投宿し、延命閣にて「善吾郎」を揮毫する。法師旅館の見事に苔むした庭園は、遠州流庭園の祖として名高い小堀遠州が指南した名残が、現在も受け継がれており、高さ25m樹齢400年を経た栂、厳しい風雪に耐えてきた椎の巨木、古武士の如き風格の赤松、天に向かってそびえる杉などの古木が、うっそうと生い茂る様は1300年の歴史に相応しい趣を醸し出している。現在、粟津温泉の旅館は19軒あり、各旅館が源泉を持つ。泉質はナトリウム硫黄塩泉で、温度は60℃、消化器系疾患、婦人科系疾患、皮膚病、神経痛やリウマチに効果がある。法師旅館は54の和室が用意され、食事は季節の和食膳、料理に合う銘酒も各種揃っている。老舗旅館として名高いだけに、お値段も気になるところだが、一泊2食で13000円から58000円となっている。人気となっているのか2名一室で、一人3万円前後のコースだという。何時の時代にも、時の流れに即したもてなしが、老舗たる所以なのだろう。


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