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桃太郎のビジネスコラム 296

☆ 味噌造り300年☆

2010.03.24号  

 信州小諸(現・長野県小諸市)は300年の歴史と伝統を誇る天然味噌の宝庫である。浅間山麓の清澄な空気と、清純な水に育まれた自然環境のもとで造られている。信州における味噌造りは、鎌倉時代に信濃国筑摩郡(現・松本市)出身の臨済宗の高僧・覚心和尚が宋の国(現・中国)に渡り、修行の傍ら味噌の製法を習い、帰国後に布教の地で味噌の製法を広めたとされる。戦国時代になり信濃の国で味噌造りが普及したのは、武田信玄が行軍用の兵糧として「川中島溜まり」を造らせ、これを切っ掛けに味噌造りを広く奨励。後年、関東大震災で東京は壊滅的な打撃を受け、救援物資として「信州味噌」が送られて格別な好評を得た。昭和初期の経済恐慌では、諏訪地方の製糸業が次々と閉鎖された。経営者達は自家用味噌を造っていた技術をもとに、多くの従業員と共に製糸工場の建物を利用して味噌の生産を始める。これらの会社が成長したことで、味噌製造会社の本社・工場が長野県に集中することになった。第二次大戦の敗戦により廃墟と化した東京へ、戦災を受けなかった信州から、美味しい味噌が送り込まれたのも評判となり、信州味噌が飛躍的な売上を達成。その後、中小会社も多かったことから、業界団体として県下各地に協同組合が組織され、その上部組織として長野県味噌工業協同組合連合会を設立。1950年になり、長野県は味噌検査条例を公布。厳重な品質検査を定期的に実施し、品質管理に万全を期すと共に、連合会の方では原材料の共同購入や、商品の共同販売などで傘下企業を後押し。1955年になり、団体商標として「信州味噌」が登録許可となり、全国的に信州味噌の宣伝を展開。連合会に属する主な製造会社は、丸正醸造(松本市)、タケヤみそ(諏訪市)、ハナマルキ(守伊那郡辰野町)、ひかり味噌(諏訪郡下諏訪町)、マルコメみそ(長野市)、宮坂醸造(ブランド名・神州一味噌、諏訪市)など、テレビCMでも馴染みの会社が並ぶ。現在の信州味噌の出荷量は19万トンを超え、シェアは35%に達しており全国一である。

 団体商標と同じ名前の信州味噌株式会社は、ブランド名「山吹味噌」を販売している。1674年に小山久左衛門正顕が創業。久左衛門正顕は、小諸に近い松井という村に生まれ、農作業の傍らに酢や溜まりなどの醸造を手掛けていた。小諸藩御用達も兼ねて、信濃や越後一円で商いを行う。当時の小諸は山国のため山の峰を往来していたが、1600年に徳川家康が天下を取った後、江戸・日本橋を起点とする東海道、中山道、奥州街道、日光街道、甲州街道の五街道が造られる。その後に、中山道から続く北国街道が整備された。この街道は別名を善光寺街道とも呼ばれ、小諸や上田などの宿場町を通り、越後の高田宿に至る街道で、佐渡で採れた金の運搬にも使われた。この街道により信濃の経済が一大発展を遂げる。北国街道の整備にともない区割りが行われた際、久左衛門正顕は藩主から街道沿いに間口十六間の土地を貰い受ける。やがて商いは1783年になり、溜まり醸造を味噌醸造と醤油醸造に分けて、味噌の生産を開始。この土地は現在でも同社の工場となっている。その後の1900年の1月に、第十二代当主・小山久左衛門正友が組織を改め、合資会社酢久商店とした。酢造りで始まった家業に、久左衛門の久を冠して社名とした。1951年になって、系列を合併して現社名の信州味噌株式会社となる。味噌造りの難しさは現代科学でも全てを解明できない、熟成という神秘の力が隠されている。信州味噌(株)の味噌蔵には創業から代々続く微生物が住んでいる。この目に見えない微生物の働きによって、味噌独自の風味が醸しだされる。全く同じ原料、同じ製法、同じ熟成期間をもってしても、同じ味を出すことは不可能なのである。味噌は発酵という天然自然の力を、人間の知恵が引き出して造るモノである。山吹味噌は信州・小諸でも最も寒さの厳しい大寒の朝に仕込みを行う。この「大寒仕込み」は、大気中の雑菌が一番少ない時期に行うことにより、すっきりとした深い味わいの味噌が得られる。又、桶から桶へ熟成中の味噌を丹念に移し変える「天地返し」は発酵を促し、深い風味を引き出しながら、均一な味わいにするために欠かせない技となっている。桶ごとに異なる熟成の度合いを、伝統的な知恵と技で見守り、大自然の営みに委ねる天然醸造は、深いコクと旨味を醸しだし、機械ではなしえない技なのである。

 味噌には病気予防や毎日の健康つくりに役立つ有効成分、栄養分が多く含まれている。現在では科学的な研究や、医学的な実験によって、さまざまな味噌の機能性が確認されている。味噌の主原料である大豆に含まれているタンパク質、食物繊維、レシニン、サポニンは、体内のコレステロールを低下させ、血管の弾力性を保持し、動脈硬化を防ぐ効果があり、脳梗塞や心筋梗塞、血栓症を予防する。味噌には放射線物質を除去する効果があることでも知られている。1986年のチェルノブイリ原発事故では、チェルノブイリやヨーロッパ諸国への輸出が急増して話題となった。味噌汁を食べる頻度が高い人ほど、胃ガンによる死亡率が低いというデータもある。1981年に当時の国立ガンセンター研究所の、平山雄博士がガンの学会で報告。大豆に含まれる有効成分は、肝臓ガンや大腸ガン、乳ガンなども予防する働きがある。味噌汁を毎日食べる人は、食べていない人に比べて、胃潰瘍の発生率が少ないという調査結果もある。味噌汁の麹や酵母、乳酸菌に含まれる酵素には、消化を助ける効果がある。味噌には肉や魚の臭みを消す働きがあり、サバの味噌煮のように、臭みを消すと同時に旨味のエッセンスを引き出す一石二鳥の効果がある。味噌に含まれるビタミンB12は、造血作用を促し、神経疲労を防止する。疲労回復やストレス解消には、味噌汁や味噌を使った料理がお役立ちである。味噌には抗酸化作用が認められ、大豆に含まれるサポニンと褐色色素は過酸化色素の生成を防止する効果がある。マウスによる医学的な実験では、肝臓内の過酸化脂質の増加抑制が確認されている。味噌を食べるとチョット気になるのが、塩分の摂りすぎであるが、意外と少ないことが判っている。気になる人はカリウムの多い素材を使うことによって、塩分を対外に排泄する働きが得られる。にんじん、ゴボウ、里芋、ほうれん草、小松菜、ワカメ、ヒジキなどの、野菜や海草を取り合わせると良い。最後に、女性にとってシミやソバカスの原因ともなる紫外線は大敵。味噌に含まれる遊離リノール酸には、シミやソバカスの原因であるメラニン合成を抑制する作用がある。以上、味噌に関する雑学でした。

 近年は米を除く多くの穀物を、海外産に依存せざるを得ない状況の中、日本の食の安全安心に対する信頼が大きく揺らいでいる。そうしたなかで信州味噌(株)では、山吹味噌の味噌蔵として、良質な味噌を造るために、良質な原料の調達は欠くことの出来ない重要な仕事となっている。信州味噌(株)では中国(黒竜江省)大豆にこだわる。美味しい味噌を造る白眉大豆は、栄養価の高いタンパク質を多く含んでおり、旨味や香りを引き出し、綺麗な黄色は食欲をそそり、照りのある味噌に仕上がる。皮が薄いことも特徴である。高級大豆と云われる豆は、煮豆用に造られているため、煮くずれがしないように皮が厚く、味噌の原料として潰して使うには不向きである。皮は食べても消化が悪く、栄養価が高くても消化されにくい大豆は、味噌造りには適さないのである。その昔、志のある味噌屋は中国東北地方や、朝鮮北部でしか採れない白眉大豆を、美味しい味噌を造るには最も適した大豆として、こぞって買い求めた。しかし、栽培に手間が掛かるため、栽培されなくなってしまった。信州味噌(株)では、十数年前に中国東北地方で、この白眉大豆の種子を発見。地元の役所や大学と共同研究のうえ、白眉大豆を復活させた。生産は現地農場との契約栽培であるが、輸入に際しては国内の検査機関による厳重なチェックを定期的に受け、品質には万全の注意を払っている。一方では、味噌の本質を高めるために、役立つ技術は果敢に取り入れる。酵母菌の研究開発には積極的に取り組み、優れた酵母菌の純粋培養により、健康志向が求める低塩分の味噌を開発。酵素分解などの安易な手法でなく、純粋な醸造として造ったのが山吹味噌である。ここで活躍したのがNASAの宇宙開発技術であった。宇宙飛行士の飲料水確保に開発された超精密濾過装置を導入。これを逆利用することで、大豆を処理した時の煮汁から水分だけを取り除き、残った養分を酵母菌培養の培地として活用。これにより、一般の味噌の500倍という酵母菌が雑菌を抑えることに成功。塩分8%以下の画期的な味噌を開発した。信州味噌(株)は今年で創業336年になる。現在の当主は第十六代・小山邦武が努める。


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