ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 30

☆ 去りゆく名車☆

2004.12.28号  

 戦後の復興が進む中、朝鮮動乱(1952年) の特需に沸き、ガソリン統制が解除(1952年)されたのを機に乗用車国産化の気運が盛り上がった。自動車産業育成のため、海外メーカーと国内メーカーの提携や技術導入が進められた。当時は欧米メーカーと国産メーカーとの技術格差は極めて大きく、一万田日本銀行総裁は「乗用車は輸入すべきだ」と国産車不要論を唱えて論議をよんだという。しかし国産メーカーは設計生産の技術を習得するために、日産自動車は英オースティン、いすず自動車は英ルーツグループのヒルマン、日野自動車は仏ルノー、三菱重工は米ウィリスのジープをノックダウン方式で生産を始めた。1954年には第一回東京モーターショーが日比谷公園の仮説会場で開かれた。無料公開という事もあり10日間で55万人が来場したという。会場にはトラック、バス、オート三輪などの実用車が多く、乗用車はわずかしか無かったそうだ。しかし、場外の駐車場には視察にやってきた大企業や官庁の幹部達が乗るアメリカの大型高級車がズラリと並び、展示車よりも観衆が多かったという笑い話が残っている。

 1955年の第二回東京モーターショーにトヨタは純国産で開発したという、4ドア観音開きの初代トヨペット・クラウンを発表した。この年、当時の通産省は「国民車構想」を発表し、翌年の経済白書には「もはや戦後ではない」と書かれた時期だった。国民車構想は結果的に立ち消えとなったが、これを契機に1958年発売のスバル360、1960年発売の三菱500、マツダ360が開発されたと云われている。1955年頃の神武景気、1959年頃の岩戸景気、1965年頃のいざなぎ景気と高度成長の景気の波が続き国民所得が一挙に増加した。一方1964年の東京オリンピックを目前に首都高速道路の一部が開通、幹線道路の舗装整備、1965年に名神高速道路の開通と続き、自動車走行のインフラも整備されていった。同年には「家族で乗るくるま」をコンセプトにマツダ・ファミリアが発表された。翌年には「カー、カラーテレピ、クーラー」の3Cが三種の神器と呼ばれた。この年、国民車構想を契機として発売された車を意識して「となりの車が小さく見えま〜す」とテレビCMを流した日産サニーが誕生した。トヨタはこれに対抗して「100ccの魅力」として、サニーより100cc大きい1100ccのカローラを発売した。これらの車は大衆の誰でも買える手頃な価格、景気の巡り合わせによる所得の増加、自動車ローンの普及、55年体制による政治の安定などにより「ファミリーカー」「マイカー」そして企業の手頃な「営業車」として爆発的に売れた。のちにこの年が「カイカー元年」と呼ばれるようになった。

 トヨタは11月9日に新型高級セダン「マークX」を発売した。人気小型車「コロナ」の第二世代の上級種種と位置づけて480万台も売ったロングセラー車「マーク供廚慮綏兌屬澄C腸瑤寮ぢ紊忙抻された事から「年輩者の車」という固定したイメージがあった「マーク供廚魄貎靴掘⊆嵬省儿垢砲茲蟾愬秡悗房磴だぢ紊鮗茲蟾もうとした。Xとは未知なる可能性の意味だと、社長自ら新車発表会の席上で語った。日本のモータリゼーションを築き、一世を風靡した去りゆく名車たちを挙げてみた。(以下、カッコ内は販売台数と後継車名)ベストセラー小型車コロナ(545万台 プレミオ)。カローラの派生車でハードトップ車に人気があったカリーナ(380万台 アリオン)マイカー時代を築いた大衆車サニー(639万台 ティーダラテイオ)旧プリンス自動車で誕生したグロリアとの混血車グロリア・セドリック(344万台 フーガ)マーク兇梁亶骸屮蹇璽譽襦196万台 ティアナ)コロナと競い合ったブルーバード(510万台 ブルーバードシルフィ)ファミリーカーの先駆けになったファミリア(292万台 アクセラ)弱小メーカーにあって健闘したカペラ(83万台 アテンザ)などがある。

 名車たちのリタイアの背景を検証してみた。第一に消費者の世代交代による自動車市場の変化である。名車たちはセダンタイプが殆どで、国内販売台数に占めるセダンの割合が1986年の34%から約三分の一になっている。代わりにミニバンタイプが3%から5倍以上も増加しており、売れ筋車種のタイプが大きく変化している。第二は生産方式の変化である。1908年にヘンリー・フォードか開発した「T型フォード」以来のベルト・コンベアー方式による大量生産は時代に合わなくなり、車も少量多品種生産の時代になってきた。新車開発にはCAD、CAMが導入されるようになり、それに伴って開発期間も大幅に短縮されるようになった。最近では1年強で開発出来るという。第三に開発、製造、販売などに関する各種データもオンライン上で共有出来るようになってきた。速やかに売れ筋の車種を特定し、いろいろな車種を同じ生産ラインで生産することが不可欠となった。このような自動車業界を取り巻く環境変化と、消費者の多様化が車種の少量多品種となり、今後はベストセラー車が生まれにくい要因となっている。


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