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桃太郎のビジネスコラム 300

☆ ラスクで建てた幸福の館☆

2010.04.21号  

 群馬県高崎市新町。国道17号線沿いに4000坪の広大な敷地に、ギリシャ神殿を模した白い洋館がそびえ立つ。16本の列柱が並ぶエレクティウス神殿の様式を取り入れた建物は株式会社・原田の新本館シャトー・デュ・ボヌールである。「幸福の館」と名付けられた白い洋館は、原田の店舗と工場を併設している。まさに「お菓子の城」と云った様である。原田は1901年創業の老舗洋風和菓子店である。当初は和菓子店として創業。二代目が会社組織にして、三代目が経営する1946年になって製パン業に着手する。現在は直系の四代目である専務取締役・原田節子と、社長を務める夫の原田義人が経営する。1989年11月、海の向こうではベルリンの壁が崩壊し、これを契機に世界経済は、グローバリゼーションの進展で激変する。一方の日本では、1991年2月に51ヶ月続いた、いわゆるバブル景気が弾け国内経済も激変。世界中で経済の仕組みが、大きく変わろうとしていた時期であった。そして、多くの小売業は資本力に優る大型スーパーや、コンビニの出現で窮地に立たされる。それまでは家業を真面目にやっていれば生き残れたが、時代の流れに押し流される企業が続出。全国各地では古くから続く地元商店街が、衰退する現象が起きた。群馬県内でも、そして和菓子やパンを商う原田でも例外ではなかった。節子は三人姉妹の長女として生まれ、立教大学経済学部を卒業すると、父が経営する原田本店に入社。節子は家業である和洋菓子・製パン業が、業績低迷から脱する思案を重ね続けていた。和菓子は夏に弱い商品で、通年売れる商品が必要だった。製パン業の方では売れ残ったフランスパンを、袋に詰めて販売するなどしていた。節子はこれにヒントを得て究極のラスク造りを思い立つ。ラスクとはパンやカステラなどを薄く切り、卵白と練り混ぜた粉砂糖を塗って焼いた洋菓子である。売れ残りパンの再利用ではなく、ラスクにするためのパンを造ることに発想を転換。その後は、ラスクにしたら美味しいフランスパン造りの、試行錯誤が始まり日夜没頭する。地元の製粉会社とオリジナル粉を開発し、幻のバターと呼ばれるバターも取り寄せた。もちろん塩や水などの材料の研究も重ねた。それまでの経験で、売れるお菓子は美味しさが50%で、ネーミングやパッケージ、それに菓子作りのコンセプトが50%との持論があった。試作を繰り返し、ようやく出来上がったラスクに、「グーテ・デ・ロワ」(王様のおやつ)と名付けた。

 2000年に新商品・ラスクを販売するにあたり、企業イメージを明確にするため、洋菓子部門を「ガトーフェスタハラダ」として新設。ブランド名の向上を図った。満を持して売り出したグーテ・デ・ロワは、自社店舗だけでなくインターネットによる販売や、百貨店の催し会場にも積極的に出店。ほどなく全国から注文が殺到し、思いがけない嬉しい悲鳴をあげることになり、開発の苦労が報われたことを実感した。グーテ・デ・ロワは2年後には新工場を建設するほど、爆発的人気商品となった。この時、社長の原田義人が機械に精通していたこともあり、オリジナルの製造装置を開発。自動化ラインの成功を機に、生産性も大幅に向上。生産体制が整ったことで販売は、口コミは勿論のこと、群馬県内の姉妹店4店舗、ハガキや電話、FAX、インターネットなど、販売方法やエリア制限をしなくても注文に応えられるようになった。急拡大のなかで社員教育にも気配りを怠らない。接客担当者には挨拶と笑顔が自然に出てくるように促し、製造担当者には真心の意識を徹底させる。社員一人一人に商品を造り上げるという高い意識を持たせ、心を込めて生産し、心を込めて販売する企業風土の構築を目指した。

 パンは古代エジプトで焼かれ、クッキーは古代ギリシャで作られた。古代ローマ帝国時代の料理本には、甘いパンの作り方が書いてあったと云われる。この甘いパンがパイやタルトの原型で、ケーキの始まりとされている。この時代には小麦粉が精製され、オーブンも進歩し、職業としてのパン屋もあった。チーズケーキが作られ、デザートの習慣も始まっていたとされる。しかし、諸説ともに曖昧な部分が多く、様々な食べ方が影響しあって、今日に至っていると考えられる。現在、私たちが食しているようなケーキが作られるようになったのは、ヨーロッパ中世の頃、さらに13世紀のフランスではアーモンドを詰めて焼いたタルトが生まれ、ここからお菓子屋をパティスリーと呼ぶようになった。今に伝わる焼き方をするようになったのは、17世紀のフランス料理が最初であったと云われる。日本でケーキというと、一般的にはスポンジケーキにクリームを塗り、果物を載せたものを指す。しかし広義では、チーズケーキやホットケーキのように、クリームも果物も載せないものや、クッキーを砕いた上にクリームチーズの生地を敷き、冷やして固めたレアチーズケーキなど、様々な種類を指すこともある。ケーキの多くは何らかの穀物の粉末(小麦粉など)と、結着剤(鶏卵や小麦粉に含まれるグルテンなど)、膨張剤(酵母、重曹、ベーキングパウダーなど)、それに水分(水、牛乳、バターミルク、果物のピュレーなど)を配合して作られる。欧米では焼き菓子のことを、ケーキ類を指す言葉で示すことがある。英語の用法では密度の高い食感の固形の食べ物や、石けんなどの食品以外の固形物をCakeと呼ぶことがある。蒲鉾のことをFish Cake 、お餅のことをrice Cakeと云うことがある。英語での呼称Cake(ケーキ/ケイク)は1200年頃から見られ、古ノルド語(古い北欧語)のKaka(カーッカ)が転じたとされている。イタリア語では大きなケーキをtorta(トルテ)、 広義で英語のsweet に相当するのがdolce(ドルチェ)、麺類や小さなケーキを pasta(パスタ)と呼ぶ。そして、フランス語ではgateau(ガトー)と呼んでいる。日本への伝来は1543年のポルトガル人上陸時だったとの説があるが、当時は普及しなかったとされる。庶民に広まるようになったのは、明治時代になってからであった。米津風月堂を起こした米津正造の息子、恒次郎が1884年に18歳でアメリカ、イギリス、フランスに渡り食文化を学ぶ。帰国した恒次郎はアップルパイやワッフル、サブレなどの洋菓子を普及させ、日本洋菓子の開祖と云っても良い存在となる。その後、1922年に不二家がクリスマスケーキを考案して大ヒット商品となり、庶民も気軽に楽しめる洋菓子となった。

 ガトーフェスタハラダが販売するラスクは、パン作りの研究と経験から生み出され、究極のフランスパンを使用して作られた逸品である。現在はグーテ・デ・ロワとともに、フランスの美食遺産とも云われる「グーテ・デ・プリンセス」(王女様のおやつ)が、全国各地から注目を集めている。ほかにも、ヨーロッパで生まれたクグロフの名品「グーテ・デ・マリー・アントワネット」、ヨーロッパ伝統の大人のケーキ「グリーン・スリーブス」、幸福を招くマドレーヌ「ポルト・ドヌール」、愛のメッセージ・クッキー「アムール・ポエジー」などが人気を集めている。期間限定品(10月下旬から5月下旬)であるが、「グーテ・デ・ロワ/ホワイトチョコレート」や、ホワイトチョコやミルクチョコをコーティングした「グーテ・デ・ロワ/プレミアム」など、様々な種類の銘菓を誕生させている。好調な業績で2003年には株式会社に改組。2004年には幸福の館・シャトー・デュ・ボヌールを建設。「愛と幸福」をコンセプトに「郷土に愛され、郷土を代表する、本当に美味しいお菓子を作りたい」一念が、今では郷土の群馬県から羽ばたき、全国区に飛翔する銘菓を生んだ。ガトーフェスタハラダでは、次なる構想「お菓子の殿堂」も夢見ている。


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