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桃太郎のビジネスコラム 306

☆ 英国紳士のダンディズム☆

2010.06.02号  

 英国紳士をイメージすると、山高帽にコウモリ傘が思い浮かぶ。英国紳士は何時雨が降っても大丈夫なように、傘を持ち歩いている。しかし、英国の雨は日本の雨(水滴が大きい)と違って霧雨が多く、傘を差さなくても帽子とコートで凌げる事が多いので、傘はファッションとして持っていても、差さない紳士が多いという。1989年1月7日に昭和天皇が崩御され、内閣主催で2月24日に大喪の礼が行われたが、小雨の降る肌寒い日であった。参列されたエリザベス女王の夫君エディンバラ公フィリップ殿下は、雨の中でフロックコートにシルクハットの礼装で、左腕には傘を持って立っていた姿を見かけた人も多いという。傘を持っていても、あえて差さないのも英国流、これも英国紳士のダンディズムなのかも知れない。1868年、ロンドンの金融街シティにトーマス・フォックスにより「フォックス・アンブレラ社」が設立された。日本では慶応から明治に改元された年である。その頃は未だスチールのフレームは開発されておらず、鯨骨製が主流であった。1800年代の終わり頃になって、角断面のパイプを用いた初のスチールフレームを考案。その後に改良型として考案したU字断面のスチールフレームによって、傘は実用化され大量生産が可能となった。このフォックスが考案したU字断面のスチールフレームは、現在使われている傘の全てと云って良いくらい使われている。逆にこれを使用しない傘を見つける方が難しい位である。第二次世界大戦中には軍へ武器降下用小型パラシュートを納入していた実績から、1947年になってパラシュートの残材を利用したナイロン地の傘を開発。世界で初めて化学繊維の傘を発表した。当初から全ての工程を熟練職人の手で仕上げる高級傘にこだわり続け、オーナーや代替わりをしても、常に専門ブランドとして傘の歴史を塗り替えてきた。現在では最後の英国製ハンドメイドアンブレラとして、世界中に多くのファンを持っている。

 フォックス・アンブレラ社では創業以来の手作りの伝統が、現在でも引き継がれており、ロンドン郊外クロイドンにある本社工場では、木型による生地の裁断、ミシンでの縫製、フレームの組立、各種天然素材のハンドル加工など、全てが熟練職人の手で行っている。どんな高級傘よりも細く巻き込め、ステッキ職人が造る頑丈なシャフトで仕上げられたクラシカルタイプの傘。エレガントさでは他を圧倒する夫人傘など、英国傘の伝統が凝縮されている。昔、ロンドンにはアンブレラローラーという職業まであったという。自慢の傘をきりりと細く巻くには技術が必要で、チップを払ってまでローラーに細く巻いて貰う。その傘を振って辻馬車やタクシーを止める紳士の所作、ハンドルを腕に掛けて歩くオシャレ、パブなどで心持ち傘に寄りかかった姿勢で飲む姿の格好良さ、そしてステッキとして使うには、やはり細巻きの方が見栄えがいい。因って、英国紳士にとって雨を凌ぐための機能は、傘としての機能の何分の一しか無いのである。細巻き傘があってこそ確立した、英国固有の文化であろう。日本にフォックス・アンブレラ社が登場したのは、設立間もない頃であったが、明確な記録は残されていない。しかし、明治時代は欧米列強に、追いつき追い越せの時代で、服装も和装から洋装に変わりつつある時であった。当時の英国ファッションは世界でも最先端で、日本が紳士の洋装用小道具として輸入していたことも、自然な成り行きであった。フォックス・アンブレラ社は1917年に日本で商標登録をしており、それだけ日本のマーケットが大きかったことが覗える。

 アンブレラ(傘)はラテン語のアンブラ(影)を語源としていることは広く知られている。すなわち傘の起源は日傘であった。傘が使われ出したのは約4000年前と云われ、エジプトやペルシャの彫刻画や壁画に残っている。ギリシャでは祭礼の時、神の威光を示す印として神像の上にかざした。インドでは貴族や高僧の日除けに使われていた。やがて、権力者達が日傘を従者に差し掛けさせ、自身の威光を大衆に示し、富の象徴としても使われるようになった。東洋では魔除けなどの目的で、貴人に差し掛ける天蓋として古代中国で発明された。その後、日本には古墳時代の欽明天皇の頃(仏教が伝来した552年頃)に、朝鮮の百済王から、仏教の儀式用道具として献上され、「きぬがさ」(絹笠・衣笠)と呼ばれた。笠は柄が無く頭に被る物で、それに対し傘には柄があり「からかさ」とも読む。唐傘は当て字とも、一説によると中国が唐の時代(618年〜907年)になって、柄が付いた傘が入ってきたことから唐傘と読んだとも云われる。何れにしても、当初は洋の東西を問わず天蓋(開閉できない傘)であった。その後、今日使われているような開閉式の傘は13世紀にイタリアで、鯨の骨や木で造られた。日本では平安時代(794年〜1191年)に和紙技術の進歩や竹細工の技術を取り込んで改良され、室町時代(1336年〜1573年)には和紙の油紙が使用され、現在と同じように雨傘として使われるようになり、傘を専門に製作する傘張り職人が登場するようになる。ヨーロッパとは気候の違いもあり、和傘は専ら雨傘として普及し、雨傘は欧米よりも日本の方が進んでいた。明治時代以降になって使い易い洋傘が普及すると、和傘は急速に利用されなくなった。現在は観光旅館での貸し出し、和菓子屋等の店先の日除けや、野点用など僅かな用途に残されている程度である。現在の構造の傘は、18世紀になって英国で開発された。英国では雨の日でも傘を差す習慣がなく、開発当初は日傘として開発された。高貴な天蓋(傘)を現在のような雨具へと進化させたのは、英国の哲学者で旅行家でもあったジョナス・ハンウェイであった。1700年代中頃、彼は油を染み込ませた雨用の傘を考案。これを差してロンドンの街を数十年間も歩いたが、世間からは変人扱いされ、彼の存命中に雨傘は普及しなかった。傘は日傘として女性の持ち物であって、男性は雨の日には帽子で雨を避けるのが常識で、雨傘を持つのは奇人とされた。1700年代後半になって、現在でも活動している傘の名店が創業するようになる。しかし、傘は依然としてステイタスシンボルであった。小説家で旅行家のジョージ・ボローは著書「傘の歴史」の中で「傘を携えていること自体が、尊敬する人物であることの証拠になる。泥棒は決して傘を持ったりしない。人格の保証人になってくれるのが傘である。最良の友人の中に傘を加えなければならない」と書いている。

 フォックス・アンブレラ社では、化学繊維を傘地に最初に採用した会社であるとの自負から、コットンやポリエステル素材を使用する場合もあるが、基本的には殆どの製品にオリジナルのナイロン素材を採用している。シルク素材にも幾つかの良い特徴はあるが、多様な素材がある現代では不十分な素材である。防水加工技術が未熟な時代には、シルクは最高級素材として珍重された。その理由は繊維の細かさから最も目が詰んだ素材であったからだ。しかし、現代ではシルク地であっても防水加工を施し、消費者から多様な色や柄を要求される。摩擦性にも難があり、傘地として価格が高いシルクは敬遠されてしまった。傘は一般的に開いたときのフォルムの美しさを謳い文句にする。しかし、英国に関する限りは、閉じている時のフォルムが問題なのである。英国では雨を凌ぐだけでは、傘の機能の何分の一しか無いからである。オシャレの小道具としては閉じているときの、細く巻いた美しさこそ重要なのである。日本では老舗商社が長らく輸入業務を行ってきたが、同社の解散により代理店不在のまま各小売店が直接買い付けて販売していた。因って、販売価格やサービスが甚だしく統一を欠く事態が約5年間も続き、フォックス・アンブレラ社のイメージも急落してしまった。2003年にフォックス・アンブレラズ・ジャパンを設立し、ブランドイメージの再構築と、日本のマーケット向けの新商品開発に乗り出した。同時に販売した会社が何処であろうと、これまで販売されたフォックス・アンブレラ社の、全ての商品のアフターサービスも実施することとなった。同社の傘は有名百貨店や、インターネットでも買うことができる。昨年11月には南青山・骨董通りに、英国ブランドの輸入販売を手掛けるブリティッシュ・ラグジュワリーブランド・グループが、英国流アーケードショップ・ヴァルカナイズ・ロンドンをオープンした。1階ショールームではフォックス・アンブレラ社の傘が、お客を出迎えている。


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