ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 319

☆ ソウル・バスのロゴマーク☆

2010.09.01号  

 1873年、杉浦六三郎が東京・麹町の薬種問屋「小西六兵衛店」を手に入れ、写真及び石版材料取扱所の看板を掲げて、輸入写真材料の販売を始めた。当時は写真材料を扱うには薬種問屋の免許が必要で、免許は店の主人ではなく店に対して許可されていた。因って、六三郎は免許を取得するために店を買い取り、薬種問屋名にて商いを始めた。これが後の「小西六写真工業」である。1902年に写真用感光材製造部門として六桜社を設立。この場所は現在の新宿中央公園区民の森にあり、「写真工業発祥の地」の記念碑が建てられている。1903年には国産初の商品名を持つカメラ「チェリー手提暗箱」を発売し、カメラの製造販売にも力を注ぐようになる。また、この年には国産初の印画紙「さくら白金タイプ紙」を発売。「さくら」の名称を初めて使用した商品だった。1923年には小西写真専門学校(現・東京工芸大学)を設立。1940年に国産初のカラーフィルム「さくら天然色フヰルム」を発売し、日本の写真用フィルムのトップブランドの一つとして成長した。因みに、このフヰルムにつけた「さくら」のブランド名は、旧日野事業所の所在地が東京都日野市「さくら町」にあったことが由来となっている。1948年に発売したカメラに初めて「コニカ」のブランドを採用。小西六から「コニ」、カメラから「カ」つけた造語であった。1987年になってブランド名をコニカに統一。社名もコニカ株式会社となる。戦後の国内では「さくらカラー」(後にサクラカラーに表記変更)のシェアが圧倒的だった。しかし、1970年代になると富士写真フィルムが、フジカラーにテレビCMを始めとする莫大な広告宣伝費を投入して知名度を広げ、シェアも奪われてしまった。映画用フィルムでは記録面を3層にして、一本のフィルムを3工程で現像する「コニカラー・システム」を1942年に開発。当時としては画期的なシステムだったが、1951年に富士写真フィルムが1工程現像を開発すると、以後は世界を二分する富士写真フィルムとコダックの間に埋没してしまった。カメラではフラッシュを内蔵した「ピッカリコニカ」や、世界初のオートフォーカス機構を採用した「ジャスピンコニカ」がヒットし、日本中の家庭へコンパクトカメラを普及させる切掛けとなった。しかし、1990年代に入って、デジタルカメラが登場するようになり、フィルム事業の業績にも影響するのを懸念して積極的な開発投資を控えたため、カメラ市場のシェアも他社製品群に明け渡してしまった。

 1928年に田島一雄は「日独写真機商店」を創業。ドイツ人カメラ技師の技術協力により国産カメラの製造に着手し、翌年には一号機「ニフカレッテ」を発売する。1934年にボタンを押すとレンズとシャッターが出てくる速写タイプのカメラ「ミノルタ」を発売。これがミノルタという名称が初めて用いられたカメラで、後に「千代田光学精工」の名称を経て「ミノルタ」と変更されて社名となる。一時期は二眼レフカメラを得意としていたが、1947年に発売した「ミノルタ35」を発売してから、35丱メラに開発の比重を移す。1962年には「ハイマチック」が、グレン中佐が乗り込むフレンドシップ7号の宇宙飛行用カメラとして採用される。これにより製品名称に7を多用するようになる。ミノルタは技術的にも優秀であったが、CM戦略も功を奏し宮崎美子を起用した「X-7」が大ヒットして、ベストセラーモデルとなる。1985年に発売したオートフォーカス一眼レフカメラ「α-7000」は大ヒット商品となる。第一回ヨーロピアン・カメラ・オブ・ザ・イヤーを受賞し、その後αシリーズは国内だけでなく世界的ヒット商品となった。しかし、1987年に米ハネウェル社から、オートフォーカス技術の特許侵害で訴訟を起こされ、1億ドルの和解金を払うことになった。ミノルタという社名については、創業者・田島一雄の自伝に因ると、若い頃から母親に「実るほど頭を垂れる稲穂のように、常に謙虚でいなさい」と諭され、頭を垂れた稲穂がある田圃から「実る田=ミノルタ」になったという。母の教えを製品名に付けたのが切掛けだった。

 来週、日本女子プロゴルフ選手権大会・コニカミノルタ杯が、奈良県・吉野町にあるグランデージゴルフ倶楽部で開催される。主催は日本女子プロゴルフ協会、特別協賛はコニカミノルタ。1997年から2002年まではコニカの協賛によるものであったが、ミノルタと経営統合した後も引き継がれている。男子ゴルフの「日本プロゴルフ選手権大会」や「ダイヤモンドカップゴルフ」と同様、毎年開催するゴルフコースを各都道府県にあるコースに、変更して開催するサーキット方式である。第一回は1968年に静岡県・天城カントリークラブで開催され、今年で43回目となる伝統あるゴルフトーナメントである。第1回から第7回までは、現在協会の会長を務める樋口久子が優勝、樋口は第9回と10回にも優勝しており、最多の9勝を誇る。続いて大迫たつ子が4回の優勝、岡本綾子が3回、日吉久美子、高村亜紀、具玉姫(韓国)が2回優勝している。昨年は岐阜関カントリー倶楽部で開催され賞金総額1億4000万円、諸見里しのぶが大会初勝利で優勝賞金2520万円を獲得。予定では2013年の第46回大会を、北海道・恵庭カントリークラブで開催することが決まっている。大会の模様は朝日放送をキーステーションに、テレビ朝日系列で決勝ラウンドの2日間が放送される。

 コニカミノルタホールディングスは、2003年に写真関連商品及び複写機などのオフィス製品などを製造していたコニカと、カメラや複写機を主力とする精密機器メーカーのミノルタが、持ち株会社として経営統合した。両社は日本の光学機器メーカーとしては、第1位と第2位の歴史を持つ会社である。統合した新会社は複写機やプリンターなどのオフィス用品と、レンズ、ガラス基板、液晶用フィルム等の電子材料を製造販売している。企業ロゴマークは地球をイメージしてデザインされたもので、光学、化学、電気、機械、ソフトウェアの画像情報分野における技術力の総結集をイメージした5本のラインと、楕円形はユーザーに対する信頼と安心を提供し、技術力の結集と調和を表すシンボルとしている。シンボルカラーは独創的発想を促すイノベーションブルーを用いている。これは旧ミノルタ時代から引き継いでおり、ソウル・バスのデザインによるものである。ソウル・バスはニューヨーク出身のグラフィック・デザイナーで、映画界ではタイトル・デザインを確立したことで知られている。「七年目の浮気」「大いなる西部」「スパルタカス」「ウェストサイド・ストーリー」日本映画「敦煌」などの大作にデザインを提供。また、企業のロゴマークやコーポレート・アイデンティティ・プログラムも多数制作。コンチネンタル航空やユナイテッド航空、日本企業では味の素や紀文食品、コーセー化粧品なども制作。コニカミノルタは旧コニカ及び旧ミノルタからカメラやデジタルカメラ、フィルムなどの写真関連用品を引き継いでいたが、2006年に事業譲渡により撤退した。デジタル一眼レフカメラ事業はソニーに売却された。資本金375億19百万円、連結売上高9478億43百万円、純資産9180億58百万円の規模を誇る東証及び大証1部上場企業である。


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