ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 40

☆ ダイエー再建☆

2005.03.08号  

 昨年の暮れに産業再生機構がダイエーの支援を正式決定し、ダイエー再建には丸紅グループ、イオングループ、キアコングループが候補に挙がっていた。 2月 4日産業再生機構は産業再生委員会を開き、ダイエー再建のスポンサー企業に独立系投資ファンドのアドバンティジパートナーズと組む丸紅連合に決定した。イオングループが提案した再建策では総合スーパーとしての店舗網を維持することに拘りがあったと云われる。一方のキアコンは新しい店舗形態の提案や、中小アパレル企業を再建し経営者としての評価が高い沢田社長の実績を主張したが、長期的な支援を必要とするダイエー再建では短期的な収益確保を強いられる投資ファンドを中心とした業態がマイナス要因となったようだ。
丸紅の提案するダイエー再建計画では、ダイエー本体が手がけるのは食品売場を中心に特化し、食に関する食器や調理器具等の売場構成にとどめていく。衣料品や住関連の売場は外部テナントとして専門店などを積極的に導入する意向だ。又、マルエツや東武ストアーなど丸紅が出資する食品スーパーとの商品開発、物流、商品仕入れの連携などでコスト削減のメリットも期待できる。不良債権処理問題の象徴であり、スーパーの代名詞でもあったダイエーは、支援企業に丸紅グループが内定したことで本格的な再建に動き始める。


 1984年春、銀座3丁目の旧読売新聞社跡地にフランスの香りがするデパートが誕生した。ダイエーは72年に三越を抜いて日本一の小売業になった。80年には小売業として初めて一兆円の売上高を達成した。しかしダイエーは量的な拡大はなしえても、質というブランド力ではどうしても大手デパートには勝つことができなかった。当時の創業社長である中内 功氏の悲願を具現化したのが「プランタン銀座」であった。
プランタン銀座はフランス・パリにある世界的に有名な伝統ある百貨店「オ・プランタン」との日本における唯一の提携店である。プランタン銀座ではフランスやイタリアからの直輸入品を中心とする、ヨーロッパや国内のファション、ファション雑貨、アクセサリー、リビング・インテリア雑貨小物、ワインや食品などお洒落で魅力的な商品を並べている。
有楽町駅よりほど近い銀座という立地もありオープン当初は多くの客で賑わった。
バブルが崩壊して親会社であるダイエーの苦悩が始まると共にプランタン銀座の業容も活力を失い始めた。02年ダイエーは99%の株式を読売新聞社に売却した。さらに読売新聞社はその30%を三越に売却した。新生プランタン銀座は若い女性にターゲットを絞り、洋服や靴、バックなど自分流のフッション感覚を持っている女性のライフ・スタイルに合わせたアイテムを揃えている。特に20才代のOLに絶大な支持を得ている人気のデパートである。売場で働く若いスタッフが、バイヤーとしてヨーロッパに直接買い付けに行っており、
商品のセレクトセンスの良さには定評がある。顧客の要望を取り入れたオリジナル商品も人気を集めている。
顧客層ターゲットを絞り込む事で、「百貨店から十貨店」とすることも厭わず、資金効率も向上している。プランタン銀座周辺には銀座、大手町、丸の内等のオフィス街があり、年齢の割には比較的高所得層のOL達が勤務している。商品アイテムも顧客層にあわせて絞り込むことで、店舗の特徴を最大限に引き出すことにも効果があがっている。

 古い話になるが60年代始め、戦後の傷が癒えだした頃。娯楽に飢えていた庶民にテレビが普及し始めた。東京のど真ん中でおこなわれていることが、北は北海道、南は九州沖縄まで同じ情報が同時に知る事が出来るようになった。NHKでは大河ドラマが制作される前の時代、日曜夜8時のゴールデンタイムに「若い季節」というバラエティ番組があった。淡路恵子が演じる女社長率いる「プランタン化粧品」という会社を舞台に繰り広げる歌と笑いの青春コメディ番組である。このように表現するとNHK的で聞こえは良いが、出演するタレントのキャラクターに負ぶさったゴッタ煮のドタバタドラマであった。
松村達雄、有島一郎、三木のり平、渥美清、ハナ肇とクレージーキャッツ、水谷良重、黒柳徹子、坂本九、ジェリー藤尾、岡田真澄、古今亭志ん朝、森光子、沢村貞子、ダニー飯田とパラダイスキング、小沢昭一、横山道代等々。要するに当時の売れっ子タレントを毎週とっかえひっかえ出演させただけだった。これだけのスターが出演すれば、番組の内容なんかどうでもよい。又、主役ばかりで芸達者な脇役がいなければ、シリアスなドラマなど作れるはずもない。それでもしばらくの間は視聴率を稼げたが、長続きするはずもなく視聴者に飽きられてしまった。二匹目の泥鰌をねらった映画が62年に東宝から公開された。これも平田昭彦、団玲子、ボンド・ガールにもなった浜美枝や若林映子といった東宝の若手スターの売り出し映画だった。三匹目も東宝から64年に封切られ、今度は当時隆盛を誇った渡辺・プロダクションが企画した作品だ。NHKにも出演していた中尾ミエ、園まり、伊東ゆかりの三人娘を売り出すための企画映画だった。
このような類のドラマや映画は出演者の賞味期限とともにファンが離れていってしまった。

 「若い季節」を引き合いに出したのも幾つかのイメージが重なって見えたからです。
プランタン化粧品という会社名もドラマで扱う商材もフランスの「オ・プランタン」をモデルにしたような節がある。主役の淡路恵子も当時フィリピン人のビンボー・ダナオと結婚していた。報道によると、この度ダイエーの経営権を握る丸紅陣営はBMW東京社長の林文子氏を新生ダイエーの社長に推薦しており、異国文化を熟知した女性社長という共通項もオーバーラップして見えてくる。そして内容は二の次でタレントを勢揃いさせたバナナの叩き売り的なドラマ作りはダイエーの安く量を捌く今までの古い商売のやり方と通じているような気がしてならない。
戦後の復興期から高度成長の時代までは、小売業はモノを並べておくだけで売れた。国民の購買力は旺盛だった。少しくらい価格が高くても、いずれその分以上に給料が上がったのだ。商品の品質に多少の難があっても庶民は買いまくり、商店は売りまくった。
やがてバブルが弾けた頃には国民は欲しいモノは全て手に入れていた。普通の家庭では流行さえ気にしなければ3年分の衣類はタンスに入っていると云われる。同時に資産デフレに陥った。年金問題などの将来不安、リストラによる生活不安などで国民の財布の紐は固く結ばれるようになり、一億総中流といわれた生活階級に異変が起きた。勝ち組と負け組である。パレートの法則によると8割が負け組になってしまう。勝ち組である2割の顧客相手のビジネスと残りの8割の顧客相手のビジネスは当然同じであってはならない。
新生ダイエーが食品を中心に「食に関する商材」、プランタン銀座が比較的所得の高いOL層を相手に「百貨店から十貨店」へとターゲートを絞り込んだことは、我々も大いに学ぶべき業態転換である。




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