ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 57

☆ コシノものがたり☆

2005.07.05号  

 今年の1月に明治座で新春・初春公演として「コシノものがたり」の舞台があった。
原作の小篠綾子著「やんちゃくれ」を元生茂樹が脚本・演出した。出演は赤木春恵、池端慎之介、萬田久子、牧瀬里穂、高知東生らの面々である。世界で活躍するデザイナーのコシノヒロコ、ジュンコ、ミチコの三姉妹と、その母アヤコのコシノ・ファミリーを描いた舞台である。昭和の初めにいち早く海外のファションを取り入れ、20才の若さで洋装店を開業したアヤコと、母の意志に傾倒していずれも世界的なファション・デザイナーとして飛躍した三姉妹の半生が演じられた。
クライマックスは母娘の名を冠したブランド・ファションが繰り広げられ、史上初の劇場ファションショーが開催された。明治座の花道がコレクションに変わり、プロのモデルによる華麗なショーに続いてヒロコ役の池端慎之介、ジュンコ役の萬田久子、ミチコ役の牧瀬里穂、アヤコ役の赤木春恵が総額 1億円の衣装を身にまとって豪華ショーのラストが締めくくられる。


 今年91才になる小篠綾子は、1913年大阪・岸和田の呉服商の長女として生まれた。
生涯食べ物に不自由しないで、糸偏で暮らしていけるようにと「糸」と「麦」から綾子と名付けられたと云う。幼い頃からお転婆ぶりを発揮していた綾子は16才の時に、近所のパッチ屋にあるミシンに惹かれ、パッチ屋に弟子入りしてミシンを踏み始めた。
呉服屋の娘がパッチ屋でミシン踏むかと、父は大激怒したが綾子は退くことはなかった。
そして34年、20才の時にミシン1台を購入して「コシノ洋装店」を開業した。
昼間は仕事を探して町中をご用聞きに歩き廻り、縫うモノがあれば何でも引き受け、夜を徹してミシンを踏んで縫い上げた。やがて綾子は父の勧める男性を婿養子に迎え、37年長女ヒロコが、39年には次女ジュンコが誕生した。二度の出産ともお産の日まで仕事を続けていたと云う。子供が産まれてもミシンの音が止まることは無かったが、三女のミチコを身ごもっているとき、父が亡くなり夫も戦死して小篠家は女家族だけになってしまった。
戦後、3人の幼い娘を抱えて店を再開。昼間は営業と接客、夜は仕立てと休む間もなく女手一つで切り盛りした。朝から晩まで仕事ばかりで寝る間もない仕事ぶりを見ながら子供達は成長していった。
3人の娘達がデザイナーを目指すようになってからも「あんたらは、お母ちゃんのお腹に
いる時から一緒に服作りをしてきたんや。感性では誰にも負けん筈や。堂々と胸を張ってお歩き」と娘達に言って聞かせた。娘達が日本を代表する世界的なデザイナーになっても「世界だか何だか知らないけど、娘は娘、私も負けてはいられまへん」と 70才を過ぎて
から自らのデザイナー・ブランドを立ち上げている。

 第二次オイルショック後の1979年に大平正芳内閣が、「省エネルック」と称して半袖スーツなど夏の軽装を提唱した。その後、羽田孜元首相が着用して一時的に話題になった事があるが、ほとんど普及することもなく忘れられたファションだった。
今年になり地球温暖化などの環境問題への関心が高まり、環境省では夏のオフィスの冷房設定温度を28度くらいにすることを広く呼びかけ、効率的に働く事ができるような「夏の軽装」の普及を推進している。同省では「夏の新しいビジネススタイル」の愛称を募集し、3000件の応募の中から立川市のビル管理会社の31才の営業マンが名付けた「COOL BIZ クールビズ」が選ばれた。
国連世界環境の日である6月5日には愛・地球博(愛知万博)において、「クールビズ ファションショー」が開催された。モデルは奥田トヨタ自動車会長や星野仙一前阪神監督らの著名人が協力した。テレビ放映された星野仙一前阪神監督は、真っ白な上着姿で登場して、着心地の良さを「着ているか、どうかも判らない」と表現した。
素材は夏でも涼しく過ごせるように、麻や竹の繊維などの軽いモノを使用し、シャツの襟を高くするなどネクタイなしでも見栄えの良さも工夫されている。
デザインは小池環境大臣がコシノヒロコ、菊池武夫の両氏に依頼した。
コシノ三姉妹の長姉であるヒロコは依頼された時に「男性のファションに対する意識改革を促し」「女の力で日本の夏を変えよう」と快諾した。デザインは「ビジネスの世界で戦う男の強さ、ダンディズムを保ちながら、涼しさを追求」をコンセプトにしたと云う。
クールビズはノーネクタイ、ノー上着が基本だが「仕事には緊張感も必要。はじめから大きく変えようとする事に無理がある」として、あえて上着にこだわり背中をメッシュにして風通しをよくした機能性や、素材とデザインにも工夫を凝らした。
また、ヒロコは「人間の身体に一番近い環境である洋服を創るのがデザイナーの仕事」であると云い、「時代によって移り変わる精神やライフスタイルに、どのように提案していくか」が環境問題に関わる変わらないテーマでもあるとも語っている。
因みに、クールビズのビズとは、ビジネスからもじった造語であるとか。

 三姉妹は揃ってファション界に身をおき、それぞれが自らのブランドを持ち、三者三様の個性で独自の地位を築き、世界的なファション・デザイナーとして脚光を浴びている。
長女ヒロコは東京の文化服装学園を出て、長女として母の店を継ぐべく戻って来たが、やがて自分の店を大阪・心斎橋に持ち独立した。高級感溢れる優雅なデザインは、プレタポルテ全盛の波に乗り注目を集めていった。リッチでエレガントな高級夫人服のトップ・ブランドとして、国内250店舗、海外にも数多くの支店を持つ一大ブランドを築き上げた。
パリ、ローマなど世界の舞台で活躍する日本人デザイナーの草分け的存在である。
次女ジュンコは持ち前の競争心を発揮して、姉と同じ文化服装学園を卒業後、東京・青山に店を構え華々しくデビューした。時代の波に乗った奇抜で大胆なデザインで、トップデザイナーに登りつめる。78年にパリコレに初参加して以来、東京、パリにて年2回のコレクションを発表している。沖縄サミットでは各国首脳のオリジナル・ウェアーのデザインを手がけている。巨人軍のブルゾンや全日本男子バレーボール、読売ベルディなどのスポーツ・ユニホームからオペラ「魔笛」のコスチュームまでデザインしている。
末妹ミチコはテニスで日本一になったこともあるが、姉たちの後を追いデザイナーを目指してロンドンに発った。感性に優れた血筋は間もなく花開き、ミチコの発表したカジュアルでポップなストリート・ファションは若者達の人気を博していく。今ではロンドンを拠点にして若者達のファション・トレンドの発信源となっている。
洋裁を天職として必死で働いてきた綾子だが、娘達に手伝いをさせて同じ仕事をするように強制もしなければ、仕事を教えることもなかった。三人の娘達はそれぞれが自分の意志で同じ道を歩み、それぞれが自分の力で世界に誇るブランドを創っていった。
「子は親の後ろ姿を見て育つ」コシノ・ファミリーに学ぶところ大である。




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