ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 93

☆ 初恋の味☆

2006.03.28号  


 濃縮乳酸菌飲料のトップメーカー、カルピスの業績が好調に推移している。経常利益は2期連続して過去最高を更新し、06年12月期においても前期を上回る計画である。当期純益及び1株当たり純益も02年から連続して更新を続けている。
主力の「カルピスウォーター」は勿論のこと、「味わいカルピス」「フルーツカルピス」「カルピスソーダ」などに加え、血圧調整作用があるラクトトリペプチドを含む「アミールS」や乳酸菌を活用したアレルギー対応の「インターバランスL-92」などの健康機能性飲料の拡充、天然ミネラルウォーター人気もあり伊藤園や札幌ビール飲料と販売提携したフランスの名水「エビアン」や特定保健用食品「健茶王」などの販売も順調である。
販売チャンネルも一般小売店25%、量販店19%、コンビニ29%、自動販売機27%とバランスのよい構成となっている。
お中元の季節になると贈答用の「カルピス」が定番商品となっており、以前は類似商品として「森永コーラス」「不二家ハイカップ」「明治屋マイラック」など競合商品があった。
しかし、最近ではこれらの商品を見かけることが無くなってしまい、濃縮乳酸菌飲料のマーケットでシェア90%をもつカルピスが一人勝ちとなっている。

 カルピスはネーミングの良さ、水玉模様のハイカラなイメージ、原液の濃さから常温保存しても腐敗しにくい性質、水で割って飲むだけでなく、かき氷にシロップとしてかけたり、濃いめに作って普及しはじめた冷蔵庫でアイスにしたり、お父さん達はカルピスハイにして飲んだり、家庭では大人も子供も楽しむ事ができた。戦後の高度成長期には、このような庶民生活を背景にして、贈答品としても手頃なカルピスは爆発的に売れた。
しかし、カルピスが味や商品として魅力ある商品であっても、生活様式が変化してくると商品形態が時代に合わなくなってきた。バブル景気に突入する頃になると、消費に余裕のできた家庭では水で割って飲む煩わしさから、外出したときにもコンビニや自販機で手軽に買って飲める清涼飲料に消費者は流れていった。
単品経営だったこともあり苦境に陥ったカルピス食品工業は、1990年に味の素と業務提携することとなった。業務提携とはいえ実体は味の素によるカルピス食品の救済であった。
現在ではカルピスの 約25%の株式を持つ味の素が資本参加して、最初に売り出したのが
「カルピスウォーター」であった。消費者からするとあって当然の商品であり、発想を変えただけで自販機でもコンビニでも手軽に買えるようになった。
91年を代表する商品になるとともに、清涼飲料業界においても久々の大ヒットとなった。

 3月2日の新聞各紙に、財団法人「日本青少年研究所」が日本・米国・中国・韓国の高校生に対して行った意識比較調査が載っていた。「勉強や成績」に関心のある日本の生徒は23.4%で四ヶ国最低であり、意欲も乏しいことが判った。現在希望していることへの設問に「成績が良くなる」と答えたのが米中韓は70%台だが、日本は30%台だった。また現在の関心事の設問ではファションやショッピングなどの「流行」が40.2%、「携帯電話や携帯メール」が50.3%と日本の生徒は他の3ヶ国を上回っている。 自分はどのような生徒になりたいかの設問には「失敗を恐れず未知のモノに挑戦する」39.6%「正義感が強い」25.7%「決まりに従いルールをよく守る」15.4%で日本の生徒は他の3ヶ国を下回った。
同じ頃発売された雑誌記事のことである。長野県にある“藤村(とうそん)ゆかりの宿”
を訪れたブランド品を身にまとったツアー客が「藤村(ふじむら)ゆかりって演歌歌手ですか?」と番頭さんに聞いた。番頭さん曰わく「最近は知識も知性もないお客が多くて。訪ねる場所の知識を事前に得ると、旅もより楽しくなるのに・・」と嘆いていたと言う。
小諸市には島崎藤村が温泉削掘を手伝ったことで知られ、今も多くの文化人達に愛されている旅館がある。明治29年10月30日「文学界」46号「こひぐさ」に近代日本浪漫主義を代表する叙情詩が発表された。この「初恋」という詩はのちに詩集「若菜集」に収められた。藤村が20代の時に書いた詩に、甘酸っぱい思いを抱いて思春期を過ごした人達は、やがて10月30日を「初恋の日」と制定した。
“まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり”
“やさしく白き手をのべて 林檎を我にあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり”
“我が心なきためいきの その髪の毛にかかるとき たのしき恋の盃を 君が情けに酌みしかな”
“林檎畑の樹の下に 自ずからなる細道は 誰が踏み初めし固みぞと 問ひたまうこそ恋しけれ”
長野県山口村の馬籠宿にある藤村記念館の中庭には詩碑「初恋」が建てられている。

 「カルピスは甘くて酸っぱい初恋の味」大正9年(1920年)に創業者である三島海雲の後輩が提案して創られた広告用キャッチフレーズである。海雲も「初恋とは清純で美しいもの。それに、初恋という言葉には人々の夢と希望と憧れがある」と賛同した。
その前年の大正8年7月7日の七夕の日にカルピスは発売された。これに因んで銀河の星群、天の川をイメージした包装紙が作られた。最初は青地に白の水玉模様であったが、その後カルピスの爽やかさを伝えるものとして、白地に青の水玉模様に変更された。
カルピスの命名は海雲と音声学の権威で作曲家の山田耕筰と、サンスクリット語の権威である渡辺海旭が相談をして、歯切れが良く、言いやすい言葉として付けられた。
「カルピス」の“カル”は牛乳に含まれるカルシャウム、“ピス”はサンスクリット語で仏教での五味の次位を表す“サルピス”に由来する。本来は五味の最高位である“サンピルマンダ(醍醐味)”から“カルピル”としたかったが、山田や渡辺の提案に海雲も納得した。
海雲は 1902年に憧れの地であった中国大陸に、無限の可能性と夢を求めて渡った。モンゴル地方にも脚を延ばし、モンゴルの飲み物であった「馬乳」の味を知ることになった。
遊牧民達が飲む酸っぱい乳は、長旅で弱っていた胃腸の調子を整え、頭も躰も爽やかになった。これが乳酸菌を発酵させた「酸乳」であった。
海雲は「酸乳」をもとに長年に渡る試行錯誤と研究を続け「カルピス」を誕生させた。
カルピス社は04年12月に創業の地である東京・恵比寿に本社ビルを完成させ、発売以来87年の歴史で培った技術とノウハウをベースにして、最先端の乳酸菌技術と味の素の経営力を活用して「第二の創業期」と位置づけ「健康を軸」とした事業展開を試みている。




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