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桃太郎のビジネスコラム 99

☆ 世界が認めた女社長☆

2006.05.09号  

051116日に米カリフォルニア州パサディナにある、リッツカールトンホテル&スパに、世界の著名な女性リーダー達が集まった。全世界で 500万人の読者を持つビジネス誌フォーチュンが主催し、企業規模、ビジネスの重要性、影響力、経歴、文化的、そして社会的影響力の有無などを基準に選考された女性実業家達 50人を招待して「世界で最もパワフルな女性実業家サミット」が開かれた。
昨年今年と連続ナンバーワンに選ばれたイーベイ社のCEO メグ・ホイットマン氏、ABCの有名なジャーナリスト ダイアン・ソーヤ氏、食品会社大手のサラ・リー社のCEO ブレンダ・バーンズ氏、映画配給会社ユニバーサルピクチャーズ社会長 ステイシー・シュナイダー氏のほか世界最強の女性達が集まり、企業の危機管理策、ブランド強化策、企業発展のための難しい課題などに関して議論を交わした。
日本からは人材派遣会社大手テンプスタッフの篠原欣子社長が、38位にランクインしてこのサミットに出席していた。5年連続ランクインしている世界が認めた女性経営者である。
篠原氏が掲げる企業理念「雇用の創造・人々の成長・社会貢献」はエクゼクティブサーチや人材の派遣・紹介サービスなど、ビジネスを通じて実践している事が評価された。
激しい変化を続ける国際社会において、テンプスタッフと米国子会社などのグループ企業活動が、日系企業と現地社員との文化的か架け橋の第一人者として、97年に米国女性創業者団体から「Leading Women Entrepreneurs of the World」00年に「The world’s women in business」を受賞し、01年にはハーバード大学から「Harvard business school’s Business States Woman of the Year」など海外から高い評価を受けている。

篠原欣子氏は神奈川県出身で、高木商業高校卒業後に三菱重工業で4年間の勤務を経て、
66年に語学や秘書学を修得するためにスイスやイギリスに留学した。その後オーストラリアに渡り、現地の市場調査会社に社長秘書として勤務。その時に見たテンポラリースタッフ(派遣社員)を参考にして73年に帰国して起業する。資本金100万円で1DKアパートの一室でテンプスタッフを設立した。38才女性社長の誕生であった。
その頃は人材派遣という業態システムが整備されていない時代で、昼間は人材派遣業の営業に走り廻るが顧客には相手にされず、経営としては成り立つ筈もなかった。夜になると英会話教室を開き、英会話教師としての僅かな収入を支えとして生活していた。アパートのドアに掛けたネームボードを裏返すと教室になるような忍耐の時期でもあった。
こうした経験が篠原流の経営姿勢にあらわれている。新しいオフィスを開設するときには、二人か三人の規模からスタートし、売上が伸びれば少しだけ広いスペースに引っ越し、伸びなければ即時撤退するという堅実な経営であった。
テンプスタッフはこのように慎重な身の丈経営が実を結び、今年の317日には東京証券取引所第一部に上場した。063月期決算では連結売上高2183億円を予定している。
篠原氏はグループ30社の取締役を兼任するとともに、業界の発展向上を目指して業界団体「人材派遣協会」の理事長を86年より勤めており、起業家として、総合人材サービス業界のリーダーとして多岐にわたって活躍している。

人材派遣のマーケット規模は04年で22000億円(日経 市場占有率06年版調)という。これまでの人材派遣業界は、常に時代の変化によって生まれるニーズに対応してマーケットを拡大してきた。
日本の人材派遣業は 66年に米マンパワー社の出資により、マンパワー・ジャパンが設立
されて、企業の事務処理を行ったのが最初だと云われている。その後は同様な会社が増えて、76年には南部靖之氏が学生ながら代表としてテンポラリーセンター(現在のパソナグループ)を起業した。南部氏が学習塾を経営していたところ、子供の母親達の多くが豊かなキヤリアを持ちながら活かせる場がなく、一方の企業は必要な時だけ即戦力を活用したいニーズがあり、この両者を結びつける仕組みをつくって創業した。
当時は人材派遣に関する法律もなかったので、請負事業の形態をとっていたが、86年に派遣法が施行され、人材派遣事業は正規の事業として確立し、現在では2万社を超えている。
大手企業が事業の選択と集中を進めるなかで、労働者の流動化が発生し、経済のグローバル化にともない海外にもマーケットが拡大している。
少し前までは派遣と云えば事務職のイメージがあったが、最近は企業の海外展開により現地語を話せる人材のニーズや、企業のIT化による情報系技術者のニーズなど、専門職の派遣労働者不足が言われている。00年には派遣法の改正で紹介予定派遣が解禁され、04年の改正では製造業への派遣も解禁されている。
このような急激な普及の背景には、国際的なコスト競争だけでなく、請負に名を借りた偽装派遣の横行を労働局が監督強化していることと、大手企業の意識も法令遵守の動きがみられ、請負から派遣へのシフトが確実に増加していることもあげられている。

今では人材サービス業界のリーダーとなったテンプスタッフにも苦難の時期があった。
創業当時は社長を始めとする社員はすべて女性であり、女性陣が仕事に慣れてくるとともに業績が伸び悩むようになった。篠原氏は男性社員を入社させて、男女共存による組織の活性化をはかったか、初めのうちは男女間の軋轢が激しく会社運営にも難題が山積した。
篠原氏は一計を案じ、血気盛んな若手男性社員は営業の最前線を担当させ、古参の女性社員は経理・総務などの後陣を守る組織に変更した。これには創業以来会社の最前線で経営を支えてきた女性社員からの反発も多かったが、会社経営が軌道に乗ってくると古参女性社員を幹部ポストに抜擢して報いるとともに奮起を促した。この企業内改革により90年には年商200億円を突破し、その後の急成長に弾みがつくようになっていった。
現在の男女比は46で女性が多いが、女性社員が若干多い方が良いとのこと。その理由として、女性は身の回りの事から仕事を始め、男性は計画を立ててから仕事を始める傾向にあるという。篠原流によるバランス感覚である。
前述のように時代の変化にともない、専門特化した人材に関する様々なニーズが発生しており、テンプスタッフにおいても、これに対応したグループ各社を設立している。
医療関連向けのデンプスタッフ・ゼムス、医師の人材紹介のテンプスタッフ・メディカライズ、フードビジネス系のテンプスタッフ・フードスター、営業職・販売職専門のテンプスタッフ・マーケティング、夜間・土日労働者のテンプスタッフ・プラス、生命保険の販売スタッフ専門のテンプスタッフ・ライフアドバイザリー、米派遣大手のケリーサービスとソニーの出資で設立したタンプスタッフ・ケリー等々の子会社を設立している。
国内215ヶ所、海外7ヶ所のグループネットワークを構築している。
次世代に向けて少子化対策に関連した事業として保育事業も展開しており、女性経営者ならではの感性と、きめ細やかなサービス体制が成長を支えている。




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