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東京には内外における最先端のファションブランドが終結している。日本橋三越本店の
5 階にある趣味雑貨倶楽部「ソメスコーナー」では、デスクまわりに役立つペンケースやブックカバーなどのステーショナリー雑貨から、コインケースやフォトフレーム、財布・名刺入れなどのファション雑貨までレザー小物が並べられている。又、本物の革の良さを引き立て「仕事のできる男」をアピールするレザーバッグも好評を得ている。
ソメスの良さはシンプルで飽きのこないデザインが重視されており、ソメスの象徴であるソメスグリーンは、深い落ち着きのあるカラーに仕上げられている。
一方、年間三千万人以上を集客すると言われる新宿伊勢丹本店には、03年に全面改装した紳士用品専門のメンズ館がある。入り口では丁寧に縫い上げられた、重量感のあるバッグや財布などが来店客を迎え入れている。ソメスには専任のデザイナーがいないため、ファショナブルなデザインではないが、品質の良さを見極める顧客の購入が多いという。
1800年代にフランスで馬具メーカーから、世界的ブランドに成長したエルメス(既号 イメージ戦略)になぞらえて、最近のソメスは「和製エルメス」との高い評価を得ている。
日本に唯一残った馬具メーカー「ソメスサドル」は、革という素材を知り尽くした技術者達の、こだわりが注ぎ込まれたバッグや財布などの革製品が大変な人気で、大手デパートからの出店要請が後を絶たない。しかし、「品質と信頼」を拠り所としている商品は、全ての工程が手作りのため、商品供給には限りがあり、マスコミなどで取り上げられても規模拡大には極めて慎重である。
天皇陛下が即位の大礼の際に、伊勢神宮で使用した馬車引導具は全てソメスで製作された。
馬車といっても車だけでは用をなさない。 調教された馬がいて、引き道具などがセットされ、優れた御者がいて初めて馬車として機能する。因って、調教された馬も一緒に納められるという。皇太子殿下と雅子妃殿下のご成婚のときにも、馬車のパレードが準備されたが警備の都合上オープンカーとなってしまった。
雅子妃殿下が体調を崩される前には、ソメスが開発した世界初の女性専用鞍で、時々乗馬を楽しまれていたという。人気ジョッキーの武 豊騎手もソメス製品の愛用者で、同社の競技用鞍でレースに臨んでいる。
札幌から北に道央自動車道を走り、奈井江砂川インターチェンジを降り、東へ 20 q走
ると、人口九千人余りの日本一小さな市である歌志内市にたどり着く。かっての歌志内市は人口五万人近い人達が、石炭景気に沸いた街であった。石油へのエネルギー革命が進行するなか、全国の炭産地と同じように、炭坑の合理化と人員削減で過疎の街となった。
1964年にソメスの前身であるオリエンタルレザーが設立された。その設立には「産炭地振興条例」が適用され、ポスト石炭を担う地場産業として、町勢復活の夢が託された。
この会社は明治以来北海道の開拓を支えてきた、農耕馬具造りの技術を受け継ぎ、世界のマーケットで通用する乗馬用の馬具を輸出しようという大きな夢も託された。
それと同時に、このことを聞きつけた北海道内各地の馬具製造技術者たちも集まり「馬具製造技術の伝承」と「産炭地の再生」という難しい問題も背負うことになった。
欧米やオーストラリアに向けた、馬具の製造販売は着実に業績を伸ばし、本社第二工場や隣接する芦別市、上砂川にも工場が設置され「輸出貢献企業」として通産省(現在の経済産業省)から表彰されるなど、設立後の10年間は順風満帆の勢いであった。
しかし、72年7月に「日本列島改造論」を引っ提げて田中政権が発足し、国内経済は過熱した状態にあった。翌73年になり、1月に金融の引き締め政策が発動され、その後に公定歩合は戦後最高の9%にまでなった。2 月になると円は変動相場制に移行し 1ドル 250円
となり、太陽銀行と神戸銀行が合併するなど国内景気に波乱が続いた。追い打ちをかけるように10月には中東戦争が勃発し、日本向け石油輸出削減の通告を受ける事となった。
風説が飛び交いトイレットペーパーが店頭に無くなるなど、狂乱物価が発生し異常なインフレ状態となった。翌 74 年には日本熱学が戦後最大の負債を背負って倒産した。円高に
よる輸出の減少で、紡績業界では創業短縮に追い込まれた。国内総生産は戦後初のマイナス成長となり、経済が大混乱していた時期であった。
このような経済の混乱は、製品全てを輸出することを目的に創られたオリエンタルレザーを直撃し、輸出企業としての基盤が大きく揺らぐことになった。不安定な国内景気にも脅かされて事業規模の縮小を迫られたが、国内市場への転換しか道が残されていなかった。
77年には東京営業所を開設し、国内ニーズに合わせた各種馬具を製造開発する事になったが、国内のマーケットはあまりにも小さかった。やむなくバッグ・ポシェット・ベルト・サイフなどの各種革製品を手がけることとなった。
これらの製品の製造においては、輸出専業メーカーとして世界の馬具メーカーと渡り合った技術が生かされた。製造技術者達の繊細な感性と、素材や工程に徹底的な吟味を加えたことで、デリケートな日本人顧客に浸透していくようになった。
85年にはソメスサドル(SOMES SADDLE)株式会社と社名変更して再生を期した。
「SOMES」は染谷純一社長のファミリーネームである「染谷」と、独創の頂点を極めたいとの心意気がフランス語の「SOMMET(頂点)」に通じることからこれを掛け合わせた造語がつけられた。英語の「SADDLE」には、それまで培った技術をベースに「馬具の文化」を熟成させたいとの願いが込められた。
本社は歌志内市であるが、製造販売の拠点は砂川ファクトリーと、隣接して設けられているショールームを兼ねたファクトリーショップである。砂川ファクトリーの社屋は 95 年
にオープンし、北海道赤レンガ建築奨励賞を受賞し、北海道グッドデザイン認定施設にも選ばれている。このソメスサドル砂川ファクトリーショップで、今月14日から18日まで「ソメスサマーフェアー‘06」が開かれ、工場直販のアウトレット商品やサマーフェアー限定品が発売された。
7月29日にはブランドショップのメッカである南青山に「ソメスサドル青山」がオープンする。当日はオープン記念の限定品も販売されるという。午前 11 時には日本唯一の馬具
メーカーである、ソメスサドルの世界が展開される。
ドイツからの移民であったティエリ・エルメスが、フランスに渡り世界的なブランドに成長したことと、北海道の片隅にあった農耕馬具メーカーが、幾多の苦難を乗り越えてブランド激戦区である南青山のステージに進出したことが重なって見えてきた。 |