ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 134

☆ 連続殺人魔とベルサーチ ☆

アンドルー・フィリップ・クナナンは美貌のゲイだった。誰からも愛されたいという強い願望をもったゲイだった。それ故、初めの頃は相手を選ばないゲイだったという。
92年頃からクナナンはサンフランシスコで、交際相手を次々と乗り換え、次第に金持ちを選ぶようになった。男たちはクナナンが好きなだけ使える、クレジットカードも与えた。
95年、クナナンはラホーヤの大富豪の家で、住み込みの秘書になった。リッチな日々が毎日続き、パリへの豪華な旅行にも連れて行ってもらった。この頃になるとクナナンは高級社会の人達と、異常性欲者達が近い距離にいることを嗅ぎつけていた。
97年、クナナンはエイズを心配するようになったが、相変わらず異常な性欲だけは変わることがなかった。さらに男とベッドを共にして行為に耽りながら、相手の喉元を絞めつける刺激を欲するようになった。そして、その性癖は日常と化していった。
4月に最初の犠牲者がでた。5月に2人目が、さらに3人目も殺害された。高級社会での出来事に、FBIや警察が動き出した。4人目の犠牲者が出たのは、それからわずか1ヶ月も経たない頃であった。
715日、その世界では誰もが知っている富める男が、サウスビーチにあるオーシャン・ドライブで、ニュース・カフェまでの散歩を楽しんでいた。それをクナナンが物陰からじっと見張っていた。そしてその男が豪邸の門に戻って来たとき、クナナンが声を掛けて言い争いがおきた。クナナンは磨き終えたばかりの、銃を取り出して男の頭部に向けて定めた。発射された2発の弾丸は、男の頭蓋骨を散らすには充分であった。この衝撃的な殺し方は、処刑を意味するらしく、51年に渡る男のサクセス・ストーリーは終わりを告げた。
クナナンがいたホテルには、ファッション雑誌が山のように残されており、クナナンは逃避行の末に自らの命を絶った。それ故、この男を殺した真の理由は謎のままであるが、ベッドを共にすることを、拒否された腹いせに殺したと噂されている。
クナナンと殺された5人のすべてが、ゲイ社会と深く関わっていた事だけは判明している。

ジャンニ・ベルサーチはダイアナ妃やエルトン・ジョン、スティング達と、別な集まりもつくっていた中心人物で、世界を股にかけた超社交人であり、超有名人でもあった。
ベルサーチは90年にオペラ「カプリッチョ」終演後に、スターズ・レストランでクナナンに逢っている。ベルサーチは、こうしたレセプションには必ず、ベルサーチ・ブランドのなかでも最高級の洋服を着て、美男を連れてあらわれていた。それがベルサーチのスタイルだった。二人は数日後にも、ゲイが集まるナイトクラブで再会している。サンフランシスコはゲイ達のメッカでもあるのだ。
ベルサーチは南イタリアのレッジョ・ディ・カラブリアという、マフィアに牛耳られていた町で、少年期からホモセクシャルな快感に目覚めて育った。やがて、ファッション界に君臨するようになると、彼のデザインしたドレスは、女性を性的玩具にするものとの非難がわきおこった。これはベルサーチが少年期に、売春宿の近くで育ったことと関係があったとされる。ベルサーチ・ブランドは高級売春婦の代名詞とされていたのである。ベルサーチ自身は一度も、そんな批判を気にすることも、臆することもなかった。
マドンナ、ティナ・タナー、シルベスタ・スターローン、マイク・タイソン、フェイ・ダナウェイ達が、彼のデザインした衣裳で着飾った。これでは非難する方が負けである。
ライバルのジョルジオ・アルマーニ(既号131.モードの帝王)とは異なる路線で、アメリカに受け入れられたのだ。しかし、ベルサーチにはマフイアに支えられているとの噂が、常につきまとっていた。一説にはマフィアに怯えて暮らしていたとの話もあり、何れにしても実際にマフィアとの交流があったのは事実ようだ。
9775日、ベルサーチはパリのリッツホテルで秋冬コレクションを発表した。その数日後にマイアミに飛び、オーシャン・ドライブの大邸宅に滞在した。このあたりはハリウッド・スターと、ベルベット・マフィア(両性愛者達のこと)がたむろするところで、この大邸宅はベルサーチが、贅の限りを尽くした王宮であった。
そのころ、警察の目を逃れたクナナンは、すでにオーシャン・ドライブに潜入していた。
FBIはクナナンを指名手配しており、その筋のナイトクラブも捜査していた。
715日、クナナンはホテルで髭の手入れをし、40口径のピストルを磨き、それまでに調べ上げたベルサーチの行動に従い、意を決してホテルを出て行った。
この話は、「ベルサーチを撃った男」を要約したものである。98年に、ウェンズレー・クラークソンが、実話にもとづいて書いたベストセラー小説で、副題は「売春夫の連続殺人魔VSファッション界の帝王」となっている。同作品は総製作費約500万ドルをかけて映画化され、ベルサーチ役にはマカロニ・ウェスタンで、日本にもファンの多いフランコ・ネロが演じた。洋版であるがDVDも発売されている。

ジャンニ・ベルサーチは1946122日に生まれた。母親がモード関係の仕事をしていたことで、子供のころからファッションに興味を持っていた。
72年に「ラガシン」や「ジェニー」のデザイナーに抜擢される。75年に「コンプリーチェ」レザーウェアーのデザインを手がける。78年に独立して自らのコレクションを発表。
ミラノのスピーガ通りにショップもオープンさせ、シンプルだが個性の強い美しさを哲学にして、ミラノの最高峰に君臨するようになった。90年代にはミラノの3Gとしてジョルジオ・アルマーニやジャンフランコ・フェレと共に、ミラノのファッション界を牽引した。
82年にはイタリアの「ゴールデン・アイ賞」の第一回受賞者となる。83年、アメリカの「カティ・サーク賞」を受賞。88年、「スタンレー・マーカス・アワード」を受賞。90年にはパリのホテル・リッツで、初のオートクチュール・コレクション「アトリエ・ベルサーチ」を発表。95年には映画「ジャッジ・ドレッド」の衣裳を手がけた。
華やかで芸術的なデザインは数々の美術館で、現在も回顧展が開かれ多くのファンがいる。
 
 ジャンニ・ベルサーチの死後は、3兄妹の末っ子であるドナテラ・ベルサーチが継承している。ドナテラはフィレンツェ大学の学生の頃から、ベルサーチ社でデザイン活動をしており、卒業後はベルサーチ社の公告キャンペーンの仕事からスタートした。
88年の春夏コレクションから、プレタポルテ、オートクチュールともに引き継いでいる。
93年にはヘッドデザイナーに就任し、「ベルサーチ・ヤング」として子供服ラインを発表した。現在はすべてのブランドを統括するチーフデザイナー兼副社長となっている。
59年生まれのドナテラは色黒・長髪で、バイタリティに溢れ、尖った色気を発散する、今年48才になるイケイケのプリティ・ウーマンである。
ジャンニがオペラに情熱を傾けたように、ドナテラは現代音楽をショーに取り入れている。
コレクションではボーイ・ジョージがDJを担当し、ナオミ・キャンベルらのスーパー・スターがモンロー・ウォークで登場する。その内容は派手でセクシーで、華麗な色彩に彩られ、見ていて楽しくなるコレクションを展開している。
05年にはテーマを「オフィスの女性 Women in the Office」として、マドンナをキャンペーンフォトに起用した。撮影は故ダイアナ妃の生き生きとした素顔を撮り続けた、ベテラン写真家のマリオ・ティスティーノが担当。そして「彼女は全ての世代の女性の憧れであり、独特のスタイルを持ち、このブランドと私の永年の友人でした」と語っている。
余談になるが、マドンナにはモデル料として1050万ドル、2年間はベルサーチのウェアーを無償提供される大特典がついていたそうである。昨年の広告塔はデミ・ムーア、そして今年はハル・ベリーが選ばれた。撮影は同じくマリオ・ティスティーノが担当した。
ファッション・ブランドのモデルはギャラが良いことと、お気に入りのファッションが無償提供されることが多く、ハリウッド・スターには超人気だとか・・。
ジャンニが他界した後、ドナテラの才能を不安視する声もあったが、最近は杞憂に過ぎなかったことが、彼女自身の活躍が証明している。出身地であるイタリアでは、ホテル経営も順調であり、デビューから30年経たずして、これだけ拡大したブランドも稀である。
国内では三井物産、サンフレール系列のベルサーチ・ジャパンによって展開されている。

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