ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 192

☆ 復活なるか!イエイエ娘☆

2008.03.11号  

 レナウンは東京・品川区西五反田に、本社を置くアパレル企業である。レナウン発展の歴史は、日本のファッション業界発展の歴史と、重なると云っても過言ではない。創業以来106年も経つ老舗企業であり、アパレル業界のリーダーとしてビジネスを展開する。1902年に佐々木八十八が大阪で衣料品の、卸売りを手がける「佐々木商会」を創業。その後はメリヤスを中心とした繊維製品の製造も手がけるようになった。昭和天皇が皇太子時代、英国訪問した答礼として、22年にイギリス皇太子エドワード(後のウィンザー公)が来日した。その時に乗艦した巡洋艦は、当時の世界の耳目を驚かせた超弩級戦艦RENAWN号であった。船の名前は元々縁起がよいとされている上に、当時のイギリスは繊維産業でも先進国であったため、御召艦レナウン号にあやかり、翌23年に商標として「レナウン」を登録した。31年に東京・日本橋に「株式会社 佐々木営業部」を設立し、55年に「レナウン商事株式会社」に社名変更。62年に「レナウンルック」(現・ルック)を設立。67年にレナウン商事を「レナウン」に社名変更。68年には「レリアン」を設立。70年には「レナウンニシキ」を設立し、72年にレナウンニシキを「ダーバン」に社名変更した。04年にはレナウンとダーバンが経営統合し、持ち株会社「レナウンダーバン・ホールディングス」を設立。06年等にレナウンダーバン・ホールディングスを存続会社として、レナウンとダーバンを吸収合併し。存続会社の社名を「レナウン」と社名変更した。

 69年に「アーノルド・パーマー」(既号29.甦ったワンポイント)ブランドを国内に投入し、ワンポイント・ファッションの先駆けとなった。ヤング・レディース、続いてファミリー向けの商品展開を進め、特にゴルフ好きのオジサン達からは圧倒的な支持を得た。80年代まではレナウンの基幹ブランドとなり、経営の支柱となった。バブルが崩壊した90年代に入り、バブル期の大規模投資の償却負担が重く、ユニクロ(既号161.世界ブランド「ユニクロ」)やワールド(既号76.業態転換)などの、SPA勢力の台頭もあり業績低迷を招いてしまった。又、百貨店自体の長期低迷もあり、百貨店の平場売りを主体としていた販売方法は、ブランド力の低下に追い打ちをかけた。かつてのような若い女性向けのブランドが育たず、消費者からはアーノルド・パーマー・ブラントも飽きられ、大きく業績を下げ苦況に陥ることになった。90年に買収したイギリスの名門ブランド・アクアスキュータム(既号35.トレンチコートとボギー)や、00年から展開しているレベッカ・テイラー(既号178.エビちゃんのお気に入り)なども、なかなか起爆剤とはならず離陸できずにいる。このためバブル後の業績不調から、回復したダーバン(既号81.フランス語のCM効果)との連携など、グループ内企業の再編、取扱ブランドの見直しやテコ入れ、生産の海外移転や流通部門の改善を迫られ、TVCMの縮小や打ち切りにまで追い込まれてしまった。

 ♪ドライブウェイに春がくりゃ イェイェイェ イェイ イェイ イェイェイェ イェ!
 ♪プールサイドに夏がくりゃ イェイェイェ イェイ イェイ イェイェイェ イェ!
 ♪レーナウーン レナウン レナウン オシャレでシックなレナウン娘が
 ♪わんさか わんさか わんさか わんさか イェーイ イェーイ イェイ イェーイ!・・

 レナウンが破竹の快進撃を続けていた60年代。61年にTVCMを開始し、企業CMソング「レナウンわんさか娘」が登場。その後「わんさか娘‘64」を経て、67年に組み合わせニット「イエイエ」の発売に合わせた「レナウン イエイエ わんさか娘のテーマ」が発表された。小林亜星の作曲で弘田三枝子が唄ったCMソングは大変なインパクトであった。フランスのトップアイドルであったシルヴィ・バルタンまで引っ張り出して、拙い日本語でノリノリに、歌わせたカバー曲も大きな反響を呼んだ。映像はレナウンとしては、初めてのカラー撮影だった。斬新なカメラワークは、上からの撮影や、遠くから歩いて来るショットなど、見ているだけでオシャレな気分になる演出。イラストと組み合わせたカットも、見ている側に分かり易く伝えている。ニットのトップとボトムを様々な組み合わせで、何通りにも着回しができる事も訴えている。CM曲の歌詞が四季の進行となっており、季節に合わせたシーンの設定も楽しさが溢れていた。CMソングを外国人歌手にカバーさせるなどとは前代未聞であったし、CMそのものも、日本で初めて国外のCM作品賞を受賞し、日本のCM製作レベルを国際級に押し上げた作品として評価されている。このCMを淀川長治の解説で人気のあった「日曜洋画劇場」(NETテレビ=現・テレビ朝日)で放送。卸し売り問屋からのスタートで、一般消費者への知名度が不足していたレナウンも、一躍全国区の知名度を得ることとなった。バブル崩壊以降、長期低迷を続けているレナウンだが、メンズ・ラインは堅調なダーバンなど、比較的好調に推移している。アクアスキュータムも欧米のメディアで「もっとも成功した英ビジネスウーマン」と評される社長を招聘し、強力なテコ入れを行っている。待たれるのは60年代の「イエイエ」のような、レディース・ラインの復活が、レナウン再生のポイントになりそうである。

 レナウンの動きが今年に入って慌ただしくなってきた。1月末には中国の合弁会社ダーバンチャイナ・ディストリビューションズ(香港)の、全持ち株を合弁相手の香港トリニティ・グループに売却。中国で扱う主力の紳士服である英ケント・アンド・カーウェンの商標権も一部譲渡した。2月になってからは、岡康久社長と渡辺省三会長のトップ二人が、3月1日付けで顧問に退く異例の人事を発表。背景には業績回復の遅れとともに、年明け以降ほぼ半値に急落した株価がある。岡社長は筆頭株主である投資ファンドの、カレイド・ホールディングスなど、出資者からの退陣勧告は否定したものの、株価急落でマーケットから経営陣に退陣勧告を突きつけられてしまった。3月1日付けで新社長に就任する予定となった中村実取締役は「赤字ブランドの廃止など、構造改革を断行する」と、記者会見で強調した。3月に入り中村新社長が日本経済新聞社の、記者に明らかにしたところによると、現在は百貨店や総合スーパー(GMS)等向けに62ブランドを販売している。08年度中に4分の1にあたる不採算のブランドを廃止する。東京・品川の本社ビルも含めて保有する不動産の売却も検討。10年2月期を最終年度とする経営計画を抜本的に見直し、一連のリストラ策で、同期のレナウン単体売上高を、四百億円下方修正し約七百億円とする。今後2年間の新規ブランドの投入は凍結。ブランドの大幅縮小に伴い、関連店舗や正社員、販売契約社員の削減など、人的リストラも避けられない見通しという。一方で、「ダーバン」や「エンスィート」などの、主力ブランドに経営資源を集中させる。従来の拡大経営から、収益重視の経営に転換して再建を急ぐこととなった。中村社長は内外に向けて、「今、全ての社員が危機感を共有するとき」「キャッシュフローを重視した効率的経営を目指す」「マーケティングを強化し、時代と市場に即応する」「魅力あるブランドがある。選択と集中が必要」「情報の共有化、透明性の高いシンプルな組織を構築する」「優れた品質と安全・安心を提供する」「楽しさの経営。ファッション=楽しさを提供するためには、自分たちも楽しく無くてはならない」と、7つのテーマを掲げた。


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