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桃太郎のビジネスコラム 211

☆ イタリアの跳ね馬☆

2008.07.23号  


フェラーリはカーレースの、最高峰フォーミュラー1(F1)の歴史と共に、名声を築いた高級スポーツカー・メーカーである。第二次世界大戦後の47年にアルファ・ロメオのレーシングドライバーの、エンツォ・フェラーリがアルファ・ロメオのレース運営会社として設立。やがて、レーシングカーを自社開発するようになり、アルファ・ロメオのレース撤退にともない資産を受け継いだ。設立当初はレース参戦費用を捻出するため、レーシングカーの古いモデルを、ロードカー(一般の市販車)に仕立て変えて、高級志向の上流社会の人達に販売するようになった。
フェラーリのシンボルカラーとして有名な「赤色(ロッソ)」は、20年代の国際レースでイタリアに割り当てられたナショナルカラーで、本来のコーポレートカラーは黄色である。
会社がモデナ県マラネッロにあり、モデナ県の県章が「黄色」を基調としていたことに由来する。サーキットなどで見かける赤色を基調としたフラッグは、基本的にアンオフィシャルなデザインである。現在では暗黙の内に、赤色もコーポレートカラーに含まれている。
イタリア語で「カバァッリーノ・ランパンテ」という、後ろ足で立ち上がった馬の紋章を使用しているため、「跳ね馬」の愛称を持つ。エンツォの兄アルフレードが、第一次世界大戦の時に、所属していたイタリア空軍第91飛行隊のエンブレムが、この「跳ね馬」であった。エンツォはこの部隊の撃墜王フランチェスコ・バラッカ少佐の母親から、使用許可を得てフェラーリの紋章にしたとされる。しかし、イタリア空軍英雄の母親と云えども、息子が所属していた部隊のエンブレムを、使用許可する権限などあるはずが無く、誰かのアイデアを採用したものと解釈されている。

フェラーリが世界的なブランドとなったのは、F1が本格化した50年代であった。サーキットで常に上位を占める実績と、美しい車体デザインにより、上流社会の人達が好む「高級車」としてのイメージが広がった。しかし、レース一筋のエンツォはロードカーの販売には興味を示さず、開発にも積極的ではなかった。そのため、フェラーリのロードカーは、価格が高い割に量産車としての品質はあまり良くなく、設計上の問題も多く含んでいたと云われる。高速領域での操作性は、デリケートで運転が難しく、跳ね馬を捩って「じゃじゃ馬」と呼ばれることもあった。
レース用車両をベースに開発されたロードカーは、素晴らしい性能を発揮していたが、ロードカーとして開発された車両は販売不振が続き、60年代には経営が悪化してしまった。
エンツォはロードカーにはスポーツカーという、言葉は用いなかったとされ、消費者の望む乗り心地や、快適性には関心を示さず、そのような購入者を蔑んでいたとさえ云われる。
レースカーに偏重し、収益の柱となるべくロードカーを蔑ろにする、バランスを欠いた経営は会社を窮地に陥れてしまった。63年に米フォードモータースから、買収を持ちかけられたが、買収金額が折り合わず、交渉は決裂したとされる。一説には、エンツォ自身がアプローチしたとも云われ、交渉態度が尊大だったため、フォード側が降りたとの説もある。
69年になってイタリア最大の自動車メーカーであるフィアットの傘下に入り、命脈をつないだ。エンツォは元々興味の薄かったロードカー部門には、その後一切関わることはなく、レースカーのみに専念することになる。一方、ロードカー部門はフィアットの意向が支配するようになり、フェラーリ史上最大のヒット作が生まれた。量産スポーツカーとしては、比較的安価なV8気筒エンジンを搭載した、スモール・フェラーリ「308シリーズ」を発表して息を吹き返した。

フェラーリのF1部門は、通算200勝以上の金字塔を打ち立ててはいるが、80年代になって不振に陥り、その後20年間F1優勝から遠ざかった時期があった。F1は単なるスポーツではないし、ブランドイメージを宣伝するだけの場でもない。レースで試される新技術は、いずれロードカーにも活用される。フェラーリにおける一例としても、89年にクラッチの無いF1ギアボックスを開発し、他社に先駆けてロードカーに応用している。
フェラーリ買収に失敗したフォードも、その後は資本力に物を云わせ、独自のスポーツカー・フォードGT40を開発。ル・マン24時間レースでは、宿敵フェラーリを打ち破り溜飲を下げたこともあった。当時のフォードはロードカーにおいては、消費者から圧倒的な支持を受け、ビッグ3の一角を占めるメーカーとして君臨していた。
F1に参戦しているホンダ(既号32.ホンダを支えた男)も、80年代から90年代に掛けては目覚ましい活躍をした。そのエンジン性能は、のちにロードカーで世界を股に掛けた快進撃が証明している。トヨタにおいても、この数年はF1における成績は、あまり良くはないが、品質や信頼性向上での成果は著しく、世界NO1メーカーに成長している。
F1レースに参戦するには莫大な費用が必要となるが、そこから生み出される技術や、ブランドイメージは、計り知れない大きなものがある。

エンツォ没後の91年、フェラーリは事業再建のため、創業者一族につながり、かつてF1チームの監督としてレース部門を立て直した、ルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼモロが会長に起用された。モンテゼモロの指揮下で、劇的な品質改善に成功し、「456GT」「F355」を開発して業績を立て直した。ドイツの天才ドライバーと云われたミヒャエル・シューマッハー(06年に引退)を96年に招聘し、以降は製造者部門最多の7回優勝の快挙を成し遂げ、名実共にF1最強の座を獲得した。
モンテゼモロ会長は、その傘下にマセラテイを加えて復活させた。さらには手腕を買われ、苦境に陥っていた親会社フィアットに請われ会長に就任。経営の立て直しに成功した。
フィアットはイタリア最大の企業グループで、自動車製造やエンジンの製造を始めとする製造業、農業、金融業と多岐に渡った事業を展開している。「フィアット、陸に、海に、空に」のスローガンの下、自動車だけでなく鉄道車両や船舶、航空機などの産業分野全般を手掛け、出版や金融にも進出している巨大グループである。かつては「フランスはルノーを持っているが、フィアットはイタリアを持っている」とまで評された。
モンテゼモロ会長の企業再建哲学は、チームスピリットを大事にし、目標に向かって進むことが重要だと説いている。会長になってから、スタッフを入替てチームスピリットを徹底させることで、会社を大きく変革することに成功。それにより、97年以降はF1でも、ロードカーの販売でも、大きな成果を上げている。
イタリア文化は4Fから成るとまで云われている。つまりフード(料理)、ファッション、フットボール(サッカー)、それにフェラーリである。フェラーリの車は、イタリアは勿論、ハリウッドの映画にも頻繁に登場する。モンテゼモロ会長が語るフェラーリの魅力とは、「フェラーリの車は、見ただけでドキッとするような、ステキな女性のように、エンジンをかける前から人を振り向かせる魅力が、なければならない」と、インタビューに答えている。デザインも重要であるが、工場で車造りに取り組むエンジニアの情熱と、車が最高のパフォーマンスを発揮できる最先端の、技術があってこそのフェラーリである。
近年は中国やインド、東欧の新興市場が拡大し、生産台数が拡大基調にある。フェラーリは00年以降売上高が倍増しているが、希少性だけは堅持している。顧客の99%は内外装共に、自分だけのフェラーリを望んでいる。特別注文に応えるには、一台一台をじっくり造る時間も必要である。因って限定生産に拘りを持っている。顧客が待ちきれない場合には、他メーカーの車を買っても、止むを得ないという姿勢を明確に打ち出している。
主要市場は米欧日で、07年の売上は過去最高の2600億円。総販売台数は6465台で、日本での販売は376台となっている。過去30年間は輸入代理店を通して、東京、京都、大阪で販売してきたが、日本の市場を重視しており、今春に日本法人を設立し、直販体制を構築した。ちなみにF1で開発されたテクノロジーの、粋を集めたとされる2人乗りロードカー「F430」(総排気量4300CC)の、日本での本体価格は約2200万円で、昨年は183台販売されたという。




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