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桃太郎のビジネスコラム 257

☆ 紫蘇匂ひ情けのほどの追記かな☆

2009.06.17号  

「田むらの梅」は一関市にある「松栄堂」が、販売する東北を代表する銘菓である。
その昔、旧一関藩主・田村右京太夫建顕公は「今日こそは 春も立ち枝に さきそめて きえあえぬ雪に臭ふ 梅か香」と詠んだと記録にある。昭和の日本句界を代表する俳人・中村汀女は、東北の味覚を求めて旅した折にも、数ある銘菓のなかから「田むらの梅」を賞味し、その独特なる風雅な味わいを「紫蘇匂ひ 情けのほどの 追記かな」と詠んだ。
一関藩主の田村家は、征夷大将軍・坂上田村磨呂の末裔で、一族は現在の福島県・三春町に(既号246.樹齢1000年の巨木)住み、義顕、隆顕、清顕の三代80年は戦国武将として名を轟かせた。嫡子のいない清顕は娘・愛姫を伊達政宗に嫁がせ、その子供に田村家を嗣がせようとしたが、愛姫の子・忠宗は二代仙台藩主となった。愛姫の孫・宗良が田村家を嗣ぎ、岩沼三万石の主となり、二代建顕のときに一関に移り藩主となった。建顕は「忠臣蔵」にも登場し、殿中刃傷の咎めで預けられた浅野内匠頭を、田村藩江戸屋敷で丁重にもてなした逸話は有名な話である。
旧一関藩主・田村家は十四代丕顕(ひろあき)公が中興の祖である。銘菓「田むらの梅」は儒学や歌才に秀でた建顕公が、ことのほか梅花を愛された雅趣を偲び、これを梅菓子に託して後生に伝えるべく、松栄堂の初代当主・小野寺主馬蔵に命じて考案させた。丕顕公は、この菓子の風味や菓格をことのほか気に入り、田村の家名を冠することを許可した。昭和三年には宮内省への献上の栄を賜った。

 梅の実エキスを使用している「田むらの梅」は、酸味が格調の高い味わいを引き出している。梅の果肉と白餡、青紫蘇の香り高い調和と、風雅な味わいは時を超えて、みちのくの銘菓として広く親しまれている。主原料となる梅の実と青紫蘇は、岩手県南部から宮城県北部にかけた30軒あまりの農家と栽培契約している。紫蘇は栽培方法から研究を重ね、種の厳重な管理もおこなわれている。契約農家には紫蘇畑の巡回指導をおこない、梅の実も選別された良質のものだけを使用している。さらに求肥の材料となる餅粉も地場産を使用している。松栄堂では地元の素材にこだわり、21世紀から22世紀へと、後世に残る菓子造りを目指している。

 現在の一関市は昭和や平成の大合併により、三代目の一関市である。岩手県の南端に位置し、南は宮城県、西は秋田県と接する。東京からは約450劼砲△蝓東北地方のほぼ中央部で、盛岡市と仙台市の中間地点にあたる。東西63辧南北46劼旅がりを持つ。総面積の56.1%が山林で占められ、田畑は18.9%で、県内では比較的農地の割合が多い。地名の由来は平安時代後期まで、奥六郡を支配した安倍氏が、一の関・二の関・三の関と砦を築いたからとの説。平安時代末期に奥州一帯を支配した奥州藤原氏が、平泉の南側を守るために関所を置いたからとの説。江戸時代にこの地を治めた田村藩が置いた関所に由来しているなど諸説ある。歴史的には伊達政宗の影響が色濃く残っている。豊臣秀吉の死後、政宗は家康の政権奪取に協力するが、1600年の「関ヶ原の戦い」では家康を出し抜いて天下取りを試みた。しかし、政宗の天下取りはならず、家康は江戸幕府を開くことになる。1601年に政宗は仙台城を築城し、仙台藩が誕生した。それにより一関も仙台藩の一部となる。政宗の死後、幕府の大老・酒井忠清と結んだ政宗の十男・伊達宗勝は、仙台藩の内分家として領地を割き一関藩をつくったが、宗勝は伊達騒動により失脚。政宗の正室・愛姫の遺言により、一関藩は愛姫の実家である三春の田村家から藩主を迎え入れた。この後、一関藩の藩主は田村家が代々世襲し、田村家の支配が幕末まで続くことになる。
一関の観光では、岩手・秋田・宮城・山形の4県にまたがる栗駒国定公園がある。高山植物や原生林など、豊かな自然が保たれ、その主峰の栗駒山の中腹や山麓には多くの温泉が湧出している。栗駒山に源流をもつ磐井川が、巨岩を浸食した洞窟や滝、深淵などが2劼謀呂蠏銘美を見せる。磐井川河川公園では白鳥が飛来し、夏は花火大会、秋には名物の芋煮会などで市民を楽しませている。みちのく紫陽花園は、これからが見頃。街のシンボルとなっている花木鳥。一面黄色に群生する「なのはな」は、市民の連帯と協調を表している。栗駒山や室根山などに原生している「ぶな」は、豊かな自然環境の象徴であり、潤いのある健やかな市民生活を表している。昔から人々に愛され、春の訪れを感じさせる美しい鳴き声の「うぐいす」は、市民の高い精神性や文化性を象徴しており、明るく安らぎのある街造りを表す鳥としている。これらは平成18年8月1日に制定された。一関市は人口12万5千人で、岩手県では盛岡市に次ぐ街である。

 松栄堂は1903年(明治36年)創業で、100年以上の歴史を刻む、和菓子の老舗である。
地元農家と契約した梅の実・もち米・青紫蘇の葉など、地域の風土や文化を活かした菓子造りをしている。この地方に脈々と流れる餅文化から生まれた「ごま摺り団子」「ゆべし」など、こだわりの菓子造りを通じて地域の文化を育んでいる。
現当主の小野寺眞利は、「地産地消」を「地消地産」と読み替えると話す。地域で生産される食品を地域で消費する地産地消を、逆転の発想で考えるという。「近きもの喜びて、遠きもの来る」という言葉がある。近きもの、つまり地域の消費者が“美味しい”と喜んで食して貰ってこそ、その風評を聞いて遠くのお客が来てくれる。地元の消費者が欲しいと考えるものを、地元の生産者が提供することが基本だと考えている。
1968年には「田むらの梅」が、第17回全菓博名誉総裁高松宮賞受賞。1977年、食品衛生改善向上優良施設厚生大臣表彰受賞。1989年、「田むらの梅」第21回全菓博茶道家元賞受賞。2002年、「ごま摺り団子」が、第24回全菓博無鑑査賞総裁農林水産大臣表彰受賞。その他にも、商業統計調査通商産業大臣感謝賞など、多くの賞の栄を得る。


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