ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 310

☆ アパレル企業 二度目の挫折☆

2010.06.30号  

 5月31日、東京ブラウスは東京地裁に民事再生法の適用を申請した。1991年12月期には年商約296億円を上げていた。しかし、その後は長引く不況の影響で売り上げが減少するなか、積極的な設備投資に伴う金融債務が収益を圧迫。1998年12月決算では売上高が111億円で、9億8100万円の最終赤字となり債務超過に陥っていた。その後は外部から役員を起用すると共に、4億円を超える資金調達をはかり債務超過を解消。所有不動産の売却を進めるなどの経費削減にも努めていたが、主力ブランドである「クレイサス」の、販売不振が続き自主再建を断念。2003年6月に負債約75億円を抱えて、一度目の経営破綻となり、東京地裁に民事再生法の適用を申請。翌年1月には再生計画認可の決定を受け、2007年1月には再生手続き終結決定を受けていた。この間、ジャスダック上場のヤマノホールディングス傘下の堀田丸正の子会社となっていたが、2008年11月には大証ヘラクレス上場のトライアイズが株式の80%を取得し、連結子会社として再建を図ってきた。しかし、主要販売先である百貨店業界の低迷と、リーマンショック以降の景気悪化から、昨年12月期の売上高は約30億4200万円にまで低下。この間にもトライアイズから役員派遣や資金援助を受けるも、資金繰りの悪化に歯止めが掛からず、支払いにも支障を来たしていた。更に5月15日にはグループ会社である、かばんや袋物の松崎が破産申請し、東京ブラウスの動向が注目されていた。トライアイズとしても更なる資金支援は不可能と判断。力尽きた東京ブラウスは二度目の民事再生法の適用申請に至った。

 百貨店の凋落と共に、関連する業界の倒産や業績不振の報道が後を絶たない。ニュースにはならないが、消えていった問屋やメーカーも数多くあり、そのほとんどが百貨店と共に歩んできた企業である。レナウン(既号307.日本ブランド買収に走る中国)も一時はアパレル最大手として、百貨店にとっても最優先の取引先であった。他社に同じ商品群が有っても、上層部からは優先的に取引をするよう指示が出ていたとも云われるが、それは過去の話。最近では不振が続き、5月になって中国企業に陥落した。百貨店の衣料品部門が華やかだった頃は、東京スタイル、オンワード樫山(既号158.世界ブランドの構築)、イトキンなどが優先取引先だった。その中に企業規模では劣るが、現場のバイヤー達に絶大な信用を勝ち得ていたのが東京ブラウスだった。東京ブラウスは、もともと専門店対象のブラウスやドレスの専業メーカーで、企画力には定評があった。それまでの百貨店アパレルとはひと味違う商品群が新鮮で、専業メーカーだけに価格もリーズナブル、生地もデザインも優れていた。それに営業担当者や企画担当者も、個性的で商品知識も卓越していたと云われる。1980年代に入ってからは、次々と創刊されたファション雑誌に煽られるように、消費者の個性化や多様化が進み、庶民の消費は膨らんでいった。とくに1985年以降のバブル景気では、デパートやブテイックなどの小売業界も、売場の拡大を競うようになった。大手アパレルブランド(既号244.アパレルブランドの倒産)に在籍して少し腕に自信のあるデザイナーは、次々と独立してデザイナーズ・ブランドと称してブテイックをオープンさせた。バブル期には営業や企画の担当者、それにデザイナーまでが二流でも商品は売れ続けた。特に大手アパレルのテレビによる宣伝効果は、レナウンのイエイエ娘が象徴するように絶大なものがあった。この時期はインポート・ブランドなども飛ぶように売れ、アパレル業界のパイが膨らみ人材不足は著しいものがあった。東京ブラウスはこんな時代でも、規模的には中堅どこであったが、担当者達の質の高さは百貨店業界からも高く評価され、ファンとなったバイヤー達からも大きな信頼を得ていた。

 堀田丸正の前身である丸正は1861年創業の老舗である。1894年に日本橋大伝馬町にて呉服問屋を開業。1933年に株式会社丸正商店を設立。1974年には東証第二部に上場。2000年に第三者割当増資でヤマノグループ傘下となる。2007年4月に同グループの意匠撚糸製造販売の堀田産業と合併し、商号を堀田丸正と変更した。現在は繊維製品の他に、宝飾品の卸売りも展開。高島礼子、中村勘三郎、五木ひろし、井上順ら芸能人の名を冠した着物やジュエリーのブランドも展開している。トライアイズは1995年設立の新興企業で、現在は純粋持ち株会社としてグループ企業の経営を統括している。秋葉原のパソコンショップで成功を収めたソフマップの創業者・鈴木慶がソフマップ・エフ・デザインとして立ち上げた。当初はコンピュータのソフトウェアー及びハードウェアーの開発、設計、製造を目的として設立された。その後はソフマップ・フュチャー・デザイン、エスエフディ、ドリームテクノロジーズと社名変更し、2007年に5度目となる現社名へ変更。2001年4月には大阪証券取引所ナスダック・ジャパン(現・ヘラクレス)に上場。2007年に全ての事業を子会社で行う純粋持ち株会社に移行した。1998年にはゼンリンと地図ソフトウェアーにおける業務提携を発表するなど、前進的なIT企業を目指すものと思われたが、2005年に村上ファンドが大株主になった前後から、企業の合併、買収、売却などを展開するようになり、同年12月には元社長が詐欺容疑で逮捕されて破綻した平成電電の再建スポンサーになるなど、素人では内容の良く判らない会社となっていた時期もある。2007年に建設コンサルタントやITソリューション事業を展開するアイ・エヌ・エーを子会社化。2008年にはヤマノホールディングスより、ハンドバッグや革製品の企画、製造、販売会社の濱野皮革工芸、かばんの企画、製造、販売会社の松崎、それと東京ブラウスを譲り受け傘下に収める。今年になって、5月17日に松崎が破産手続きを開始。31日になって東京ブラウスが民事再生法の適用を申請した。

 東京ブラウスは1941年に創業して、1950年に東京・神田岩本町で旧・東京ブラウス(株)を設立して法人化。その後、不動産管理会社に移行することに伴い、営業権を継承する形で1971年に現・東京ブラウスを設立。現在の本社は東京中央区勝どきに置く。ブラウス・ドレス事業部と、婦人服ブランドCLATHASのクレイサス事業部の2事業部体制で、婦人衣料の製造販売を展開する。東京都内を始めとして、神戸、福岡、札幌、台北など直営24店舗を展開。主要取引先では三越、伊勢丹、高島屋を始めとした全国有名百貨店、ほかに専門直営店舗や台湾にも直営10店舗を展開している。5月に民事再生法適用を申請したが、2月時点での負債総額は16億2800万円。今後はクレイサス事業を中心に業務を継続し、新たなスポンサーを募集している。東京ブラウスの創業社長はシーズンごとに開催される展示会には、老体に鞭打って必ず顔を出していたという。若いバイヤーを見つけると傍に駆け寄り、本当に楽しそうに自社製品の話をするのが常だった。自社のブラウスを着て喜んでいる婦人を見ると、自分も一緒になって喜び、社内では常に喜んで着て貰える物を作ろうと、話していたという。しかし、創業社長が何時までも健常でいられる筈もなく、やがてソルボンヌ大卒の超エリート二代目が後継者になった。花のブラウスとして人気のあった吉村も、二代目社長だった。2000年7月12日に大手百貨店の一角、そごうグループが民事再生法を申請して事実上倒産。この煽りを受けて吉村も6日後に自己破産を申請。そごう各社の振り出した総額1億円あまりの手形を裏書きし、取引先への支払いに回していた。これが紙屑として化して万事休す。両社の二代目は共に優秀で人間性も大変良い人だったという。しかし、創業者との大きな違いは、仕事や商品を愛すると言うよりも、商品を数字で捉えてしまっていたようだ。つまり、ビジネスが優先してしまっていた。創業社長のように、喜んでいる人の姿を想像し、体に汗して頑張って仕事に精を出し、顧客と喜びを共にできることは尊い事である。結果から学ぶことは、商品に熱い愛情を持った人たちが、会社の前線に立たないと、机上の仕事だけでは顧客に心が伝わらないという、ビジネスでは当たり前の事であった。


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