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桃太郎のビジネスコラム 313

☆ ワイン生産全国一☆

2010.07.21号  

 山梨県は鎌倉時代から葡萄の栽培が行われ、既に江戸時代には食用葡萄の産地として知られていた。山梨県には90ヶ所近いワイナリーがあり、生産量は全国一を誇っている。特に甲府盆地の東に位置する勝沼(現・甲州市の旧勝沼町地域)は一大産地として知られ、古くは松尾芭蕉の句に「勝沼や馬子もぶどうを食いながら」とあるように、甲州葡萄の古里となっている。この地域の土地は扇状に広がり、年間降雨量は1000伉度で水はけが良く、気候は寒暖の差が大きく、生育や葡萄が糖分を蓄えるには最適な環境となっている。明治維新後、政府は武士達が大量に失業したこともあり殖産政策に力を入れ、全国各地でさまざまな産業を奨励した。その中には葡萄栽培も含まれ、江戸時代から葡萄の名産地となっていた山梨には格別な後押しがあったと云われる。また、甲府地方は生糸貿易で開港地であった横浜とも関係が深く、早くから文明開化の刺激を受けていた。そうした中で、山田宥教と詫間憲久が1870年頃から甲州種やヤマブドウ、エビヅルを原料に葡萄酒の醸造を開始し、葡萄の果皮を蒸留してブランデーも醸造したと云われる。しかし、民間の力だけでは及ばず、1876年末には破産してしまった。この年には甲府の舞鶴城跡に山梨県立勧業試験所が建設され、翌年には併設して県立葡萄醸造所が完成した。この頃、県の意向により、葡萄の里である東八代郡祝村下岩崎(現・甲府市勝沼下岩崎)の内田作右衛門、雨宮彦兵衛、土屋勝右衛門、宮崎市左衛門らが発起人となって、法人組織の大日本山梨葡萄酒会社(通称・祝村葡萄酒会社)を設立。法人組織としたのは、志半ばで頓挫した山田宥教と詫間憲久の二の舞にならぬようにと配慮があったと云われる。

 1877年、祝村葡萄酒会社は高野正誠と土屋助二郎(後の龍憲)の二人をワイン醸造の技術習得のためフランスへ派遣。2年後に帰国した二人によって、甲州種を使った本格的なワイン生産が開始されたが、醸造用葡萄の改良や、醸造や貯蔵の設備が不十分だったこともあり、不良品が流通するようになってしまった。やむなく祝村葡萄酒会社は1886年には解散してしまう。しかし、宮崎光太郎と土屋勝右衛門らは甲斐産商店を設立して醸造を続け、その後の大黒葡萄酒やオーシャン〔現・メルシャン(既号115.ワインとノーマンさん)〕へと発展した。土屋勝右衛門は1891年に甲斐産商店を退き、マルキ葡萄酒(現・まるき葡萄酒)を設立。高野正誠は祝村葡萄酒会社が解散後、葡萄栽培や醸造技術の普及に努め、1890年には「葡萄三説」を著している。明治中期になり山梨県の官営ワインの生産は途絶えてしまったが、フランス農業経済の啓蒙や地方在来産業の振興策などにより、その後も民間ではワイン製造への取り組みが拡大していった。登美高原では1909年に小山新介が近代ワイナリーの先駆けである登美農場を開設。その後、ワインの品種改良に尽力してきた川上善兵衛と、寿屋〔現・サントリー(既号283.盗人青年が興した会社)〕創業者・鳥井信治郎の協力によって1936年に寿屋山梨農場として再出発し、現在の登美の丘ワイナリーへと発展。1896年から1903年にかけて中央本線八王子から甲府間が建設され、1913年には勝沼駅が開業。物流経路が大幅に改善されたことにより、ワイン製造業も併せて発展するようになる。さらに、山間に造られた煉瓦によるトンネル技術は、ワイン貯蔵庫の建設技術に応用され、龍憲セラーなどの煉瓦造ワイン貯蔵庫が建設される。また、政府の治山治水事業も進み、中央本線や甲州街道の寸断も無くなり、東京など遠隔地との物流も安定する。1920年には山梨田中銀行が設立され、地域の経済活動も支えられた。山梨県では明治中期以降も、政府による技術者派遣などの支援を受けながら、近代的なワイン製造に向けた取り組みが継続され、勝沼を中心として日本を代表するワイン産地としての礎が築かれた。

 女優・タレントの川島なお美はワイン好きが昂じて、ワインブームの時はワインタレントとして活躍していた。1998年には手に持っていたワインを庇い、エスカレーターで転倒して足を縫うほどの怪我をしたという逸話まである。その翌年には日本ソムリエ協会ワインエキスパート資格を取得。2001年には日本ソムリエ協会名誉ソムリエワイン騎士の称号を与えられた。彼女は1960年生まれで、青山学院大学文学部第二部英米文学部を卒業。在学中から芸能界にデビュー。テレビやラジオのバラエティなどに出演していたが、キャンパス・クィーンのイメージが抜けず、不遇な時期が続いていた。1993年にヘアヌード写真集WOMANを出版。裸体も辞さないセクシー女優として注目を得る。そして、女優として大ブレイクしたのが、1997年7月7日から9月22日まで日本テレビ系列で、毎週月曜の夜10:00から10:54まで全12回放送された失楽園であった。『出版社の敏腕編集者だった久木祥一郎(古谷一行)は、ある日突然に編集の第一線から閑職に移動を命じられた。そんな久木の前に、松原凛子(川島なお美)という人妻が現れた。凜子は久木の友人が勤めるカルチャーセンターで、書道の講師をしていた。凜子は折り目正しい淑やかな女性であったが、久木に強引に口説き落とされ、受け入れることになる。逢瀬を重ねるうち、凜子は底知れない性の歓びに捕らわれ、養父の通夜の晩にも喪服姿のまま、ホテルで密会する。やがて、久木は二人の愛の巣となるマンションを借りるが、二人の大胆な行動は双方の相手に隠し通せるものでは無かった。久木の妻は離婚を要求し、凜子の夫は離婚しないことで、凜子を苦しめようとした。二人は家庭や社会から孤立するようになり、やがて久木は退職して妻とも離婚する。凜子もまた夫や実母との縁を切って久木の元に走った。凜子の願いである「至高の愛の瞬間のまま死にたい」という言葉に共感するようになった久木は、二人きりでこの世を去る決意をする。雪深い温泉宿へ向かった二人は、生命を絞るように激しく求め合ったまま、互いに毒入りのワインを口にした。後日、発見された二人の遺体は、局部が結合したままの愛の絶頂の姿であった。』原作は渡辺淳一で、1995年から翌年にかけて日本経済新聞に連載。経済紙が掲載したことでセンセーショナルな話題となり、不倫することを「失楽園する」という流行語にまでなった。1997年には講談社から単行本が出され、その年の上下巻の発行部数は267万部の大ベストセラーとなる。有島武郎が婦人公論記者で人妻であった波多野秋子と、心中した事件をモチーフにしたと云われている。1997年5月には役所広司と黒木瞳で映画化されていた。川島なお美は11月3日号の週刊ポストのインタビューに答えて「局部が呼吸できないような気がする」との理由で、撮影中に前張りを取ったことを告白。性的場面が極めて多かったことも話題となり、地上波の再放送は行われていない。平均視聴率は20%を超え、最終回は読売テレビのプライムタイム連続ドラマで、1992年から2004年までの12年間で最高の視聴率27.3%を上げた。

 北海道・池田町(既号68.故郷を再生した「十勝ワイン」)はワインによる町おこしで有名だが、規模的には山梨県・甲州市勝沼町の方が遙かに上回る。最近ではワインによる観光スポットとしても多くの集客力を誇る。中央自動車道で勝沼ICを下りて間もなくの所に、多くのワイナリーがあり、東京からでも日帰りで楽しむことができる。シャトー勝沼は創業130年の老舗。土造りから拘った葡萄栽培から醸造・販売まで一貫して取り組み、レストラン併設で一日を通して楽しめる。お薦めは赤・白の鳥居平100%。メルシャン勝沼ワイナリーは1877年創業の県内ワイナリーで最古の歴史を刻む。数多い受賞歴のなかでも、今年は歴史あるスロベニアのリュブリアーナ国際ワインコンクールで長野メルロー2004が金賞を受賞。甲州種から柑橘系の香りを引き出す技術は逸品である。サッポロワイン勝沼ワイナリーは国産ワインコンクールで5年連続の金賞受賞に輝く。今年受賞したプティングランポレール山梨甲州フリーランは、優しい放香と柔らかな甘さで女性に大人気。大規模だが葡萄の個性を重視した醸造を心掛ける。無料で工場見学も可能。マンズワイン勝沼ワイナリーは県内最大級の規模と生産量を誇る。マンズワインブランドの99%が勝沼生まれ。無料の工場見学や試飲、資料展示室やバーベーキューハウス、ショップもあり、充実した施設は年間9万人もの見学者を呼ぶ。お薦めは甲州シュール・リー。まるき葡萄酒は1891年に土屋龍憲が創業。日本食に合うワイン造りに拘っている。甲州種100%で仕上げた勝沼新鮮組と、果汁濃縮して醸造した甲州リッチネスがお薦め。地下の貯蔵庫で長期熟成した約10万本の古酒・甲州古酒は、手間暇掛けた貴重な逸品である。現在、勝沼ではワイン醸造用に生産される葡萄の新種が次々と導入され、多数の品種が栽培されている。また、30社以上の醸造会社が全国生産量の25%に相当するワインを生産している。旧勝沼町の成功で山梨県各地に、多数のワイナリーが操業するようになった。


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