ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 331

☆ 創業400年の老舗☆

2010.11.24号  

 松坂屋はJ.フロントリテイリング傘下の大丸松坂屋が運営する百貨店である。東海地方に拠点を置き、とくに名古屋地方では圧倒的なブランド力を誇る。イメージフラワーとしてカトレアを採用しており、高島屋のバラとともに有名である。業界他社に先駆けてエレベーターガールの採用や、制服の完全洋装化を取り入れるなど、先進的な経営感覚を持つことでも知られる。過去には三越や高島屋を凌いで売上高日本一を誇示した時期もあった。名古屋店の売場面積は日本一(86.758)の広さを誇っている。他にも愛知県豊田市、東京都には台東区と中央区、静岡市の葵区、大阪市高槻区に店舗がある。かつては横浜市、札幌市、山形市、千葉県市川市、名古屋市中村区、愛知県岡崎市、三重県四日市市、大阪市中央区、大阪府枚方市、それにパリや香港にも店舗を展開していた。しかし、1990年代後半からの百貨店不況の波に呑まれ、縮小合理化の展開を余儀なくされている。松坂屋の歴史は1611年、元織田家の小姓の子孫であった伊藤蘭丸祐道が、名古屋本町で呉服小間物商いの、いとう呉服店を開業したのに始まる。祐道は後の大阪夏の陣で豊臣方について戦死し、やむなく呉服店は一時閉店となる。その後、祐道の遺児・祐記が名古屋茶屋町に呉服小間物問屋を再興。1736年になり呉服太物小売商に転業した。商いは順調に拡大するようになり、1768年に江戸へ進出して上野にある松坂屋を買収し、同店をいとう松坂屋とする。その後も大阪のゑびす屋呉服店を買収。1910年には株式会社に組織変更し、名古屋栄町に名古屋初の百貨店いとう呉服店をオープン。さらに1924年に東京・銀座店をオープンし、当時としては画期的な全館土足入場可能な百貨店として話題となる。翌年には全店を松坂屋に統一する。その後、1980年代までは順調な拡大を続けることになる。

 1985年にお家騒動が勃発。1月に第16代伊藤次郎左衛門会長の死去により、鈴木正雄が副社長から会長に就任。4月になって名古屋の松坂屋本店で行われた臨時取締役会で、わずか3ヶ月前に会長に就任したばかりの鈴木正雄が社長に就任という人事が発表される。創業家の伊藤洋太郎(第17代伊藤次郎左衛門)社長が代表権のない会長に祭り上げられ、松坂屋創業以来370年余りの歴史の中で起こる筈のない人事であった。鈴木正雄新社長は否定したが、腹心の役員らと連携して自らが実権を握るクーデターであった。これは松坂屋のお家騒動として、マスコミを始めとして全国的に注目を浴びる。鈴木正雄は1991年に会長となり、2年後には相談役となっても実権は握り続けたが、1997年に総会屋へ利益供与したとされる事件で、辞任することとなった。この事件に前後して、2000年代半ばまで経営的にはダッチロール状態となり、店舗のリストラも断行。1991年に名古屋店南館オープン。その後は市川店、山形松坂屋、四日市店の閉鎖。愛知県豊田店(豊田そごう店跡)オープン、名古屋店南館を拡張し。東武百貨店の東京池袋店を抜いて日本最大の百貨店となる。しかし、2004年には枚方市のくずは店、天満橋店の大阪2店舗を閉鎖し、翌年にはパリ松坂屋も閉店した。

 家電量販店のラオックス(既号307.日本ブランド買収に走る中国)が20日、松坂屋銀座店6階にラオックス銀座松坂屋店をオープンした。銀座(既号130.世界最高級の街)では初の家電量販店の進出で、百貨店に多い女性客に加え、増加する中国人を始めとする外国人観光客を、松坂屋に呼び込む起爆剤として期待されている。ラオックスは昨年、中国の大手家電販売店チェーン蘇寧電器の傘下になり新宿、お台場、大阪に新店舗を続けてオープン。今回の出店は第4弾となる。新生ラオックスの成功が銀座松坂屋店にかかっている。開店初日のオープン前に約600人が行列をつくり、開店時間を10分ほど早めたという。国内家電全般に7300点を揃え、ほかに時計や雑貨なども取り揃えた。女性向けの理美容電化製品に加え、海外用家電、外国人観光客向けの日本みやげ等も置き、年間で30億円の売上を目指すという。店内ではテーマごとに規格展示出来るブースや、理美容品の体験コーナーも設置している。ラオックスでは昨年の11月、3カ年の中期経営計画において、出店策の強化を明らかにしている。松坂屋銀座店は平成25年以降に改築を予定しており、ラオックスとの契約も改築前までだが、ラオックス側は銀座に長期的に出店したいとしている。スタッフの35人のうち半数は、英語や中国語など海外の消費者に対応可能で、コンシェルジュサービス(要予約)も用意したという。銀座の百貨店各店は、外国人観光客対策を強化しており、近隣にある三越銀座店も店内に外国人観光客案内所を設置している。松坂屋銀座店では今年4月に、ファストファッションのフォーエバー21(既号251.激戦区に殴り込み)を出店させ、従来少なかった若年層を取り込むことに成功している。

 2000年代に入ると百貨店も冬の時代と云われるようになり、株価も右下がりの状況にあった。しかし、松坂屋は400年に及ぶ歴史を刻んだ企業として、優良な含み資産は膨大なものであった。2005年から2006年にかけて、これに目を付けた村上ファンドが株を買い占め、松坂屋の大株主に躍り出るや、経営は大きく揺さぶられることとなった。そのために迅速かつ柔軟な経営判断が可能となる組織体制を構築すると共に、グループ各社の事業責任の明確化と採算性を重視する体制を目指した。株式移転により松坂屋ホールディングスを設立し、純粋持株会社体制へと移行。しかし、設立から1年も経たないうちに大丸との経営統合を発表。共同持ち株会社J.フロントリテイリングを設立。松坂屋ホールディングスは株式移転により、J.フロントリテイリングに吸収合併されることになった。この間にも店舗のリストラは続けられ、2008年には横浜松坂屋を閉店し、翌年には松坂屋が横浜松坂屋を吸収合併。今年になってからも1月に岡崎店を閉店。3月には大丸と合併し、大丸松坂屋百貨店に社名変更し、8月には名古屋駅店を閉店した。来年で創業400年を迎える老舗百貨店も苦難の道が続くが、フォーエバー21やラオックスのテナント出店で、若年層や外国人観光客の誘致で起死回生を図る。


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