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伝説の靴職人サルヴァトーレ・フェラガモは、1898年にイタリア・カンパニア州アヴェッリーノ県ボニートに生まれた。生家は貧しい農家で、14人兄弟の11番目だった。9歳で伝統的なイタリア靴の製造技術を学び、11歳で靴屋を開業したとの伝説が残っている。15歳にしてアメリカに渡り、ハリウッドで靴屋をオープンさせた。映画で使用する靴を、一つ一つ役柄に応じて手作りで製造した。やがて、ハリウッド・スター達のプライベートな靴も請け負うようになったことから「スターの靴職人」として、フェラガモの名は世界のセレブ達の間で知れ渡るようになった。名声を得るようになってからも、顧客の足を痛めない靴造りを目指し、南カリフォルニア大学で解剖学を修めるほど勉強した。27年に28歳でイタリアに帰国したサルヴァトーレは、フィレンツェに工房を開くが、技術だけではなく、デザインとの両立という面でも、競合メーカーの追随を許さなかった。甲部を透明なナイロン糸で造った「見えない靴」、波状のウェッジ・ヒール、フラットフォーム・ソールなどを考案し、350もの特許を取得した。足にフィットした履き心地のよい靴造りを信条とし、顧客の足に触れただけで、その人の体調すら判ったと云われる。
顧客にはマリリン・モンロー(既号136.試作品番号No5)、オードリー・ヘップバーン(既号116.スクリーンの妖精と衣裳)、ソフィア・ローレン、マレーネ・デートリッヒ、ジュディー・ガーランド、カルメン・ミランダ、キャサリン・ヘップバーン(既号75.ドイツの伯爵夫人)など錚々たる女優達が名を連ねていた。47年にはファッション界のオスカーと云われるニーマン・マーカスを受賞している。60年にサルヴァトーレが没した後も、ブランドとなった「フェラガモ」は、妻ワンダや子供達に受け継がれ、トータル・ファッション・ブランドとして展開している。その物造りの精神は、全ての製品に生かされており、「メイド・イン・イタリー」に拘りを持ち続け、サングラス・香水・時計についてはライセンス生産を行っているが、これら以外の製品は全て自社で製造していることでも知られている。現在の経営は創始者であるサルヴァトーレとワンダ夫妻の長男で、18歳の時から家業に加わっていた、フェルッチオ・フェラガモがCEOに就いている。副社長に就いている次女のジョヴァンナ・フェラガモは、67年からファッション部門を統括しており、メンズ・レディスのプレタポルテを含め、トータルファッションを指揮している。今日では世界ブランドに成長したフェラガモには、各国の王室やセレブ達の多くが顧客となっている。
1954年、フランソワーズ・サガンの処女作「悲しみよこんにちは」は、題材が父親の情事に出会ってしまった少女を描いた小説で、センセーショナルな反響を呼び、出版と同時に世界的なベストセラーとなった。サガンが18歳の時だった。この小説はサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」にも、大きな影響を与えたと云われる。彼女はトルーマン・カポーティ(既号140.ホリーのお気に入り)とは恋仲だった時期もあり、ジャンポール・サルトルとも交流があったと云われる。彼女にとっては四作目だが、59年に23歳の女性が書いたとは思えない内容の、「ブラームスはお好き」(邦画名=さようならをもう一度)を発表した。題名の通り、随所にブラームスの交響曲第3番が流れる大人の恋愛映画であった。『トラック販売会社の重役ロジェ(イブ・モンタン)と、室内装飾家のポーラ(イングリッド・バーグマン)は5年来の恋仲であった。二人はすでに中年の域に達していたが、共に魅力は失せることなく大人の恋であった。ロジェは富豪バンデルベッシュ婦人から、室内装飾の依頼を受け、恋人のポーラを推薦した。ロジェは婦人の邸に同行したのだが仕事が忙しく、ポーラを置いて先に帰ってしまった。そこに婦人の25歳になる一人息子フィリップ(アンソニー・パーキンス)が現れた。フィリップは一目でポーラに夢中になり、「ブラームスはお好きですか」とコンサートに誘った。やがて、フィリップはロジェとポーラの仲が普通の恋愛関係であり、結婚していないことを探りだした。一方のロジェはポーラとの約束を反故にし、若い娘と遊び歩いていた。それを見てしまったフィリップは、ポーラのアパートへ押し掛け、熱い思いをポーラに伝え、彼女のアパートで暮らすようになった。有頂天になったフィリップは、ポーラが仕事を終えるまで、仕事もせずに夢見心地で、毎日のようにパリの街を小さな車で駆け回っていた。ロジェは二人の情事を知り、男の身勝手な論理でポーラを責めた。ロジェは彼女を愛しているのに、腹立たしさが先に立ち、彼女の年齢の事まで言ってしまった。傷ついたポーラはロジェとの関係に終止符を打ち、フィリップに癒されたいと思った。二人は2ヶ月後に再会し、ロジェはポーラに謝罪をし、改めて自分の愛を伝えた。冷静になった彼女はそれを受け入れ、夜になってフィリップに別れ話を持ち出した。離れたくないと言うフィリップに、彼の将来のこと、そして二人はあまりにも年齢が違いすぎる事を説得した。フィリップは泣いて彼女のアパートを飛び出し、その後ろでポーラは叫んだ。「私はもう~、おばあちゃんなのよ、わかって~」ポーラの頬にも泪が伝っていた。』大人の雰囲気をもったイブ・モンタン、未熟な青年役のアンソニー・パーキンス、熟年女性を演じたバーグマン(既号14.イメージ戦略)の演技に、胸に手を当てたファンも多かった事だろう。ポーラが撮されたシーンには、何時もその足下にさりげなく、フェラガモのシューズがあった。
フェラガモは00年A/Wコレクションより、プレタポルテの世界に積極的にストレッチ素材を導入したマーク・オディベがデザインを担当した。マークはチェルッティやエルメス、トラサルディなどで活躍した経歴を持つ。02年A/Wコレクションでは初のスニーカーライン「FREEDOM」が登場し、側面のガンチーニがフェラガモらしさを強調。03年S/Sからはアルマーニにいた、グレエム・グラックがデザイナーに就任した。03年5月7日には日本で展開する店舗としては最大規模の旗艦店を、銀座・中央通りにオープン。地下一階から地上二階までの700㎡にレディスからメンズ、それにフェラガモの歴史的作品を展示するギャラリーも併設した。04年10月5日には大阪ヒルトンプラザ・ウェストに梅田本店をオープン。レディスとメンズが揃う関西地区では最大のブティックである。レディスはシューズやバッグをメインに小物類も多数販売している。メンズもシューズが人気なのは勿論だが、ベルトやキーリングも人気が高いアイテムである。先般、TVの対談番組で第一次小泉内閣の、財務相を務めた塩爺こと塩川正十郎氏が、TBS女性アナウンサーから「今日はフェラガモの素敵なネクタイをお召しで・・」と紹介されて、我が意を得たとばかりに「一万八千円もしたんや」と喜色満面で語っていた。フェラガモのネクタイは男性ファンにとっても、羨望のアイテムである。国内ではアパレル輸入商社であるアオイ系列の、フェラガモ・ジャパンが展開している。銀座と梅田の旗艦店、大阪・心斎橋と神戸・旧居留地ブロックに直営店があり、全国有名百貨店にもブティックを展開している。
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