ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 190

☆ ブランドのリファイン☆

2008.02.26号  

 モーリス・レノマは1940年にフランス・パリで生まれた。生家は洋服の仕立屋で、モーリスは12歳の頃から、見よう見まねの独学で服創りを覚えた。15歳を過ぎる頃からは「服創りで新しいことをやりたい」という、欲求を脹らませていった。22歳の時にパリ・16区のルーデラ・ポンプ通りに、本格的プレタポルテ・ブティック「ホワイトハウス」をオープンさせ、自らの名を冠した「レノマ」ブランドを立ち上げた。当時のルーデラ・ポンプ地区には、お坊ちゃま学校がありブティックには相応しくない土地柄であった。しかし、モーリスは「ここから若者達が変わっていくんだ」という野望を秘めていた。独自のファッション哲学と独創的なデザインは注目を集め、皇室関係者、大統領、ミュージシャン、有名俳優などの顧客を持つようになり、一躍トップブランドとなった。細身のスーツをユニセックスで着るケネディ・ルック、本場のマドラスチェックを使ったジャケット、ベルベット地を使ったモッズ・スーツなどは、60年代にモーリス・レノマが世界に発信したファッション・モードである。スタートはメンズ・ラインであったが、68年にレディース・ラインに進出し、「レディース・メゾン」と呼ばれる独特のラインを創作した。80年代になるとモーリスはアート活動にも興味を示し、自ら写真家としても活動している。モーリスの「時代に左右されたくない」という写真には、モデルの殆どが素人であり、動物なども扱うことが多い。04年には日本をテーマにした写真展を開催。ロリータやコギャル、サラリーマンやコスプレが、モーリスの目を通して自然な姿で写されていた。

 60年代は自由主義体制をとる世界の何処の国でも、戦後の復興と自由な社会の実現に安堵し、若者達も青春を謳歌するようになった。そして、誰もが「自由の国アメリカ」に憧れを持つようになった。イギリスではジョン・レノンやポール・マッカートニーが、アメリカン・ドリームの象徴であるエルビス・プレスリー(既号167.60万人の「聖地」巡礼)に憧れてビートルズを結成。日本でも若者達は日劇のウェスタン・カーニバルで、アメリカ渡来のロックンロールに狂喜し、日本人歌手は挙って、アメリカン・ポピュラーのカバーを歌い、若者達の社会は急速にアメリカナイズされていった。当時のフランス社会においては、学生達は親から与えられたものを身につけ、親の思うような生き方を、躾られるような保守的な風潮が根強かった。それ故、自由の国アメリカに憧れを持つ若者も多かった。モーリス・レノマもフランスの普通の家庭で、普通に育てられていたが、他の多くの若者達と同じように、アメリカに憧れを持つようになった。ブティックを白いペンキで塗りホワイトハウスと名付けたのも、尊敬するジョン・F・ケネディに因んだものであった。さらにロゴには自由の女神のイラストと、ホワイトハウスの文字まで入れていたという。世界の若者達の文化が変わろうとしている時期に、「若者の力で社会を変えていきたい」と望んだモーリスに、出来ることと云えば服を創って若者の意識を表現することだった。ジャケットにスラックスという常識に、ジャケットにジーンズを提唱して自ら実践。その頃のフランスのファッション界は、仕立てはイギリス、スタイルはアメリカを意識していた。若者達の意識の変化と、変革期にあったフランスのファッション界のなかで、何者にも縛られないモーリスのデザインは、派手なイラストが入ったライダース・ジャケットや、凝ったカッティングのロングコートなど斬新なものが多く、センセーショナルなファッションとして、大きな話題を呼ぶことになった。それを聞きつけたセレブ達が殺到し、レノマ・ブランドは世界のトップブランドへ昇り詰めるようになった。

 伊藤忠商事は97年よりレノマ・ブランドの、日本及び中国でのマスター・ライセンス権を有し、日本市場でサブライセンシー27社、アパレル・雑貨等34アイテムの展開によって、小売上代で100億円を優に超すマーケットを築いている。レノマは日本のマーケットには73年に進出し、大きなブームを巻き起こした。その後も国内市場において大きな成功を収め、抜群の知名度を持つようになった。01年から成長著しい中国市場に乗り出している。中国の有力アパレルメーカー寧波杉杉集団有限公司と、イタリアのメンズ・アパレルメーカーとの3社合弁で、紳士衣料の製造販売会社ジック・ガーメント(ニンポウ)を設立していた。04年には寧波杉杉集団有限公司と「レノマ(ニンポウ)アパレル」を設立し、「レノマ・パリス」ブランドの中国展開を本格的に乗り出した。資本金はUS$150万で、販路は上海・北京・成都などの百貨店インショップ。売り場面積は60〜100屬如30〜40歳代の高級紳士服に対する購買力の高い層をターゲットに、スーツ・ジャケット・パンツ・コート・シャツ・カシミヤセーター・ネクタイ・シューズ・バッグなど幅広い展開をしている。日本及び中国でのマスター・ライセンス権を保有する伊藤忠商事が、レノマ(ニンポウ)アパレルに、中国での独占輸入・製造販売権を供与し、伊藤忠商事のブランド・マネージメントと、マーケティング・コントロールのもとに、「レノマ・パリス」ブランドの中国展開にアクセルを踏んでいる。

 レノマではイタリアのデザイナー、グィード・ディ・リッチョを招聘し、これまでの重厚なイメージを覆すような、明るい雰囲気のシリーズを打ち出し、ブランド・イメージをリファインし始めた。パリにあるレノマの倉庫には、ブランド立ち上げ当初から使用してきた生地や商品サンプルが大量にアーカイブされている。現在のデザイナーにとっては宝の山である。クリスチャン・ディオール(既号63.ディオールのシルエット)やイヴ・サンローラン(既号176.C・ドヌーブをイメージ)にしても、アーカイブがあることが現在の強みとなっており、これを現代にどのように置き換えるかが、ブランドの盛衰を決める。最近のレノマの消費者イメージは、ファンが高齢化したことと、ライセンスで作られたものが多いことで、ブランド・バリューの低下であったが、今回のリファインで甦った。昨年9月に銀座・マロニエゲート内にオープンした、ユナイテッドアローズ銀座店では、同店にとっては初のレノマ商品が並んだ。取扱のきっかけは、今回のリファインがライセンスではなく、ブランド本体が直接やったことと、イタリア人デザイナーが入って、少しポップになったことに興味を持ったという。多くのブランドの中で、真面目な中にチョイ悪的な遊び心を入れているのが、フェンディ(既号163.3世代で育てた世界ブランド)とレノマだという。両社のうちで色や柄で、現在のトレンドであるエイティーズを表現し、形やスペックで時代にあった表現をしているのがレノマだった。これを裏付けるように、メンズ・ネクタイのネット通販では、常に売れ筋ランキングの上位にランクされている。リファインされたレノマが再びブレークするのも近いようだ。


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