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桃太郎のビジネスコラム 237

☆ 海外旅行人気NO1の島 ☆

2009.01.28号  

インターネット上に“口コミランキング”なるサイトがある。そこにある“暮らし生活”のジャンルに“海外旅行”というカテゴリーがある。今年の1月1日に更新されたランキングでは、ハワイがベストワンに選ばれていた。日本人旅行者や日本人スタッフが多いので、日本語が通じるし、日本食レストランも数多い。それに治安も良く、海外旅行初心者でも安心して楽しめる。気候は温暖で湿気も少なく、旅行費用もリーズナブルで、日本人にとっては恰好のリゾート地である。一般的にハワイへ行くには、オアフ島にあるホノルル国際空港へ行き、隣島にはオプショナル・ツアーとしてローカル便を乗り継いで行く場合が多い。ハワイ島のコナ国際空港にも、米国本土と日本からの直行便があるが、人気スポットが多いホノルル便が断然人気である。ワイキキ・ビーチなどでのんびりと過ごすのも最高の命の洗濯だし、アクティブにマリンスポーツを楽しむのも良い。ダイヤモンド・ヘッドなどの観光スポットへ行き、ブランドショップで買い物をするのも楽しい。ホノルル・マラソンも日本からの参加者が多い。時間があればビショップ博物館やホノルル美術館に足を運んでチョットだけ教養を身につける。若い人達には海を見渡しながらの、チャペルウェディングも人気のツアーになっており、お楽しみスポット満載である。
しかし、日本軍によって奇襲攻撃を受けた真珠湾や、撃沈された戦艦アリゾナの博物館などは、中高齢者や戦争体験のある人にとって、素直に楽しめないスポットかも知れない。

 1941年12月8日(ハワイ時間7日)未明、海軍中将・南部忠一率いる日本海軍は休日である日曜日を狙って、オアフ島真珠湾にある米海軍の太平洋艦隊と基地に対して航空攻撃をおこなった。当時の日本側はハワイ海戦と呼び、大東亜戦争の南方作戦の緒戦として計画。作戦の目的はオランダ領東インドの、石油資源獲得の為の制海権確保にあった。
真珠湾の米海軍基地は1908年に設置されて以来、日本海軍にとっては脅威となっていた。
基地はオアフ島南部の内陸に、深く食い込んだ地形になっている。オアフ島要塞と呼ばれた要塞郡で守られており、なかには戦艦と撃ち合える40陀い鮴瀉屬靴討い詬弸匹發△辰拭
外敵からの死角もなく艦砲攻撃や、上陸作戦には万全と考えられていた。しかし、日本軍は工事労働者に変装したスパイを、多数送り込み要塞の状況を把握していたと云われる。
11月1日に東条内閣は12月8日の攻撃を決定し、5日の御前会議で承認を得ていた。そして、12月1日の御前会議では攻撃30分前の宣戦布告も決定された。12月2日には大本営より機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ一二O八」の暗号電文が送信された。新高山は当時の日本領である台湾の山(現・玉山)で、当時の日本最高峰であった。数字は12月8日を表していた。日本軍の奇襲作戦は成功し、米太平洋艦隊の戦艦8隻を撃沈又は損傷させるなど、大きく戦力を低下させた。これにより日本軍は西太平洋の制海権を握り、南方作戦を成功に導いた。だが、ルーズベルト大統領は攻撃の翌日、米議会に日本への宣戦布告決定を要請する。12月10日になり、ドイツのヒトラーは軍部の反対を振り切って米国へ宣戦布告した。これにより戦火はヨーロッパや北アフリカに留まらず、アジア・太平洋へと拡大、地球的規模の第二次世界大戦へと突き進んだ。当時の米国はモンロー主義の影響もあり、参戦には消極的であったと云われる。しかし、日本の米国に対する宣戦布告が遅れ、奇襲となった攻撃は、米国民の対日感情に火をつけてしまった。
現在でも謎として語られているのが、日本軍の宣戦布告の遅延問題である。大使館へ電文が送信された時間には、大使館員全員が同僚の送別会に参加するなどの諸事情で、攻撃開始時刻に間に合わなかったとしているが、関係者の処罰はなかった。一方、米軍は日本の暗号電文を事前に解読して事態を察知。日本軍の攻撃を待って、それを口実に参戦したとの陰謀説もある。何れにしても公式文書として残っているものでは、日米の記録が一致しておらず、例え宣戦布告が攻撃直前に行われた場合でも、国際条約違反になることである。
なお、当時の海戦では、航空機による戦艦の撃沈は不可能と考えられていたが、真珠湾攻撃の成功により、大艦巨砲時代は終焉し、空母艦載機による航空機主兵時代へと移った。

 1953年に真珠湾攻撃直前のホノルル軍事基地を舞台に、軍隊生活の過酷な現実や人間模様を描いた映画が公開された。第二次世界大戦前の米軍を批判したジェームズ・ジョーンズが書いた、ベストセラー小説「地上より永遠に」の映画化だった。小説が出版されるとセンセーションを巻き起こし、二つのスタジオが映画化しようとしたが、様々な問題に阻まれて実現できなかった。しかし、コロンビア社の社長は小説に惚れ込み、軍の撮影協力も確認せずに、多額の契約金を払って映画化権を取得。国防省は軍の為にならないと協力を拒否したが、関係者の説得により、脚本の一部を変更することで許諾した。
『1941年、第二次大戦直前の夏、ホノルルのスコーフィールド兵舎に、上官に反抗して一兵卒に落とされたラッパ手プルウィット(モンゴメリー・クリフト)が転属された。今度の部隊の中隊長はボクシングに夢中で、以前プルウィットが隊のミドル級チャンピオンだったことを知り、昇進を条件にチーム入りを勧める。しかし、かつて彼は戦友を失明させて以来、ボクシングをやらないと誓っていた。自分の意に沿わない中隊長はプルウィットを虐待し、これにプルウィットも反発。実質上の中隊の支配者であるウォーデン軍曹(バート・ランカスター)が反抗を止めるよう警告したが、強情なプルウィットは聞き入れなかった。孤立したプルウィットに、只一人見方になったのが一等兵マギオ(フランク・シナトラ)だった。中隊長の妻カレン(デボラ・カー)は、不妊と夫の浮気で自暴自棄となり、ウォーデンと密通し愛欲の虜になっていた。プルウィットは週末にマギオに誘われて慰安所に行き、アルマ(ドナ・リード)という女と知り合い恋に落ちた。真珠湾攻撃直前のある日、マギオは無断外出して酒に酔いMPに逮捕される。マギオは営倉に入れられ、営倉係から体罰を受けた。マギオは脱走してプルウィットのもとに逃げ込んだが、極度の内出血のため絶命。ある夜プルウィットはマギオの仇である営倉係と出会い決闘する。相手を倒したが自分も重傷を負いアルマの家に身を隠した。その頃、カレンは夫に見切りをつけ、ウォーデンとの仲も清算して、本土へ引き上げようとしていた。12月7日の朝、日本軍は真珠湾を攻撃。これを知ったプルウィットは帰隊すると言い出し、アルマの制止を振り切り、よろめく足で兵営に向かったが、途中で警備兵に見つかり射殺されてしまう。
数日後、本土へ向かう船でカレンはアルマと知り合った。アルマは戦闘機のパイロットだった許婚者が、真珠湾が攻撃された日に戦死したと話すのだった。』映画は国防省の協力を得て撮影されたが、マギオに対する過酷な虐待部分や、軍に批判的な部分は削除された。
日本軍によって爆撃されたスコーフィールド兵舎など、当時の基地の模様も再現された。
マギオ役のシナトラ(既号212.アメリカン・トラディショナル)は、当時歌手としても俳優としてもスランプに陥っていた。シナトラは脚本を読み自分を売り込んで出演を懇願。
この熱意が通じて役を手にするが、僅か8000ドルのギャラだったという。この映画でシナトラの人気は復活するが、彼には常にマフィアとの噂がつきまとい、マフィアがコロンビア社に圧力を掛けたと噂された。この噂をマリオ・プーゾが1969年に出版した「ゴッドファーザー」で、シナトラをモデルにした俳優を登場させ、シナトラを激怒させた。
一方、上流階級イメージがあるカー(既号219.20世紀最高の高層ビル)が水着姿で、ランカスター(既号96.生き残るためには**)と浜辺でラブシーンを撮る時「ティアラなしでは、裸のような気がするワ」と言って臨んだという。濃厚な演技は問題となりブーリン・オフィスから、このシーンの4秒分削除と、公告やポスター写真への使用が禁止となった。
この映画は公開されるや絶大な反響を呼び、第26回アカデミー賞では13部門にノミネートされ、作品・監督・助演男優(シナトラ)・助演女優(リード)・脚色・撮影・録音・編集の8部門でオスカーを受賞。カンヌ映画祭では特別グランプリを獲得した。

 オアフ島はハワイ州(ハワイ諸島)で3番目に大きい島である。オアフ島には州全体の人口の80%が住む。州都のホノルル(既号214.ホノルルを愛したエルビス)が政治・経済・観光の中心地である。コオラウ山脈の南端にある火山ダイヤモンド・ヘッドは、火山活動で噴出した火山屑が堆積した丘で、ハワイ原住民はマグロの額という意味で「レアヒ」と呼んでいる。19世紀にイギリスの水夫達が火口付近にある方解石の結晶をダイヤモンドと間違えて、ダイヤモンド・ヘッドと名付けたと云われる。この丘の近くの浜辺で撮影された問題のラブシーン現場は、映画公開後に多くの観光客が訪れるスポットとなった。


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