ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 266

☆ 急成長後は急降下☆

2009.08.19号  

 「エスカーダ」(ESCADA)はドイツ・ミュンヘンに、本社を置く女性向けファッション・ブランドである。ウォルフガング・ライとパリ・コレクションのモデルだったマルガレータはスイス・サンモリッツのスキー場で出会った。恋に落ちた二人はポルトガルを旅行することになり、上流階級が集まる競馬場へ行き、エスカーダという馬に賭けた。エスカーダとは「階段」を意味する言葉で、後のブランド名に由来する。1976年に夫婦で小さなニットウェアーの製造業を開始。ウォルフガングがマネジメントを担当し、マルガレータがデザインを担当してエスカーダがスタート。“スポーツ・アンド・エレガンス”をコンセプトに、スポーティーなレディース・ウェアーを、競馬観賞に相応しいプレタポルテ・コレクションとして発表。多くのカラーを使用し、フェミニンでエレガントなデザインが特徴だった。わずか数年の内に人気ブランドに成長し、5年後にはヨーロッパにおける、一大レディース・ファッション・グループを築く急成長を遂げた。82年にはアメリカで最初の店を、ニューヨーク五番街にオープン。翌年には香港で最初の店をオープンした。90年春に最初の香水「マルガレータ・ライ」を発表して注目を浴びたが、順風満帆に成長してきたエスカーダに悲劇が訪れた。92年に創業者であり、ヘッドデザイナーだったマルガレータが、52歳の若さで死去する。しかし、94年には86年からマルガレータの片腕として支えてきたブライアン・レニーが、デザイン・ディレクターに就任し、創業の地ミュンヘンに旗艦店をオープンさせ、エスカーダの快進撃を止めることはなかった。98年にはサングラスなどのアイウェアー・コレクションをスタートさせる。この年のアカデミー賞授賞式では、助演女優賞を受賞したキム・ベイシンガーがエスカーダを着用し、その存在を世界に知らしめる。00年にバッグやシューズなどのアクセサリー・コレクションを開始。新しいコンセプトによる香水「センティメント」を発売。01年にはランジェリー・コレクションがスタート。ニューヨーク五番街にもブティックをオープンした。

 日本では81年には丸紅とサン・フレールの共同出資で、エスカーダ・ジャパンを設立。85年に大阪に日本初のブティックをオープンさせる。そしてこの年、エスカーダAGが経営参加し、94年にエスカーダAGと丸紅が、それぞれ50%を持ち合う新会社を設立。00年にはエスカーダAGが100%の出資をして完全子会社とする。03年4月、六本木ヒルズに日本初の旗艦店をオープンさせる。現在の日本における直営店は、ホテル・ニューオータニ・ガーデンコート2F(東京千代田区・紀尾井町)、帝国ホテル・インペリアプラザ3F(東京千代田区・内幸町)、ホテル南海・サウスタワー1F(大阪府中央区・難波)の3店舗を展開。インショップは北海道・札幌から九州・福岡までの全国主要都市にある有名百貨店に24店舗を展開している。日本ではウェアーよりも香水のブランドとして注目を集め、イビザヒッピー、サンセットヒート、トロピカルパンチ、サニーフルッティなどの人気が高い。

 エスカーダは創業時から、すべての女性の、あらゆるニーズを追求した歴史だった。エスカーダは細部に至るまでの完璧な拘りを持ち、常に最高の品質基準を満たす幅広いアイテムを、明確なコンセプトの下にコレクションを発表してきた。しかし、マルガレータ・ライを発表して以来、香水ブランドとしての方が有名になっている。香水においてはオリジナリティあふれる調香と、色とりどりのボトルやパッケージなど、ファッション以上に世界の女性を魅了してきた。そのきっかけとなったのが「センティメント」だった。当時の人気ある調香をしっかりと取り入れられており、ハート型の斬新なボトル、ホログラミックなパッケージ、スイートなピンクカラーなど、検討され尽くしたプロモーションにより、エスカーダは香水ブランドとして認知されてきた。定番商品とは別に、「季節の香り」として93年以来、毎年新作が発表されてきた。1993シフォン・シャーベット、1994プロヴァンス、1995オーシャン・ブルー、1996ジャルダンデソレイユ、1997ケヴィバ、1998サニーフルッティ、1999ラヴィングブーケ、2000リリーシック、2001トロピカルパンチ、2002セクシーグラフティ、2003イビザヒッピー、2004アイランドキッス、2005ロッキンリオ、2006パシフィック・パラダイス、2007サンセットヒート、2008ムーンスパークル、2009オーシャン・ラウンジ。

 エスカーダでは2006年に、ヴァレンティノでデザイン・ディレクターを務めていたイタリア人の、ダミアーノ・ビエラがデザイナーに就任。翌年にはLVMH(既号203.熟成を待つ一億本)傘下のルイ・ヴィトンやセリーヌ(既号114.B.C.B.Gの代名詞)などでマネジメントの経験のあるジーンマルク・ラビエルがCEOに就任して、快進撃が続くかに見られていた。しかし、08年9月15日にアメリカ大手証券投資銀行のリーマン・ブラザーズが、64兆円の負債を抱えて破綻。財務長官ヘンリーメリット・ポールソンは「リーマンに公的資金の投入を一度も考えたことがなかった」と発言。これに端を発した世界同時不況による金融危機は、エスカーダも直撃。DPA通信によると「高級ブランド・エスカーダが景気悪化で破綻」「ドイツの高級婦人服ブランド・エスカーダは13日、本社のあるミュンヘンの裁判所に破綻申請」と報じた。この報道によると、ドイツの高級紳士服ブランド、ヒューゴ・ボス(既号148.紳士服のトップブランド)の元幹部を起用して、経営のテコ入れを図ったが、経営改善には至らなかった。投資家との債務減免交渉が不調に終わり、資金繰りに行き詰まったという。日本繊維新聞によると、エスカーダ・ジャパンは裁判所で法的手続きを開始したことを認め、裁判所の管理下で再建に取り組むことを発表。日本におけるビジネスはドイツ本社の状況に左右されず、今後も従来通り既存店・新規店ともに展開する予定で、商品供給の変更もないとしている。76年に創業して10年後の86年には株式公開するなど、短期間で人気ブランドとして急成長。日本やアメリカを含む世界約60ヶ国で事業を手掛け、直営店やフランチャイズなど約400の店舗網を展開していた。しかし、急成長したが故に財務体質と、経営体質の強化が追いつかず、今般の不況で急降下してしまった。


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