ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 322

☆ 曲線美のシルエット☆

2010.09.22号  

 アントニオ・ベラルディは1968年に、英国リンカーン州グランサムで生まれた。両親はイタリアのシチリア出身の移民だった。ファッションの世界に入ってからは、8歳年上のジョン・ガリアーノ(既号200.ブランドとデザイナー)や、ポール・コステロ、ジャスパー・コンランなどの下でアシスタントとして修行を重ねる。ガリアーノの母校であるロンドンのファッション名門校セントラル・セント・マーティンズ校に入学。1994年の卒業製作が評価され、ロンドンのリバティーやア・ラ・モードにバイイングされる。翌年には自らの名前を冠したブランド「アントニオ・ベラルディ」を創設し、ロンドン・コレクションに初参加。ベラルディは経歴から見ても、ガリアーノの影響を強く受けていた。ガリアーノは1960年にジブラルタルで生まれ、1984年セントマーチンズのテキスタイル科、モード科を主席で卒業し、85年にロンドンでデビューした。パリ・オートクチュール協会の招待で 89-90年の 秋/冬コレクションで作品を発表し、91年にパリ・コレクションの正式メンバーになる。95年にはジバンシー(既号116.スクリーンの妖精と衣裳)のデザイナーに抜擢され、3度目のブリティッシュ・デザイナー・オブ・ジ・イアーを受賞。クリスチャン・ディオール(既号63.ディオールのシルエット)創立50周にあたる96年からクリスチャン・ディオールのデザイナーに就任し、97年にオートクチュール・コレクションにデビュー。ガリアーノは過激で先鋭的なデザインで話題を集め、翳りぎみだったディオールの人気を一気に甦らせて、ブランドイメージの若返りを成功させた。ガリアーノの活躍に刺激を受けたベラルディの作品は、ウェストを絞った曲線美のシルエットが美しく、ボディコンシャスな作風で知られる。ベラルディの「女性に胸がなければデザインしない」とのコメントは有名で、胸と腰を強調するエロティックな作風が好評を得ている。

 ベラルディが世界のマーケットで評価を高めたのは、2005年A/Wミラノ・コレクションだった。全体に黒やグレーを基調にしてテーラーリングや刺繍の巧みさを、細部にまで施し上質のフェミニティを臭い立たせていた。メンズライクのパンツスーツで女性らしさを強調する手法も好評だった。黒のジャケットに合わせた黒のスリムパンツは、極端なハイウェストにデザインし、女性の足を長く魅せるテクニックもファンを唸らせた。ジャケットはタイトなスリムラインで、絞るところは絞り女性のボディラインの、メリハリを強調していた。黒のミニスカートには、やはり黒のスリムジャケットを合わせ、腰から帯状のストリングスを膝近くまで垂らし、躍動感をアピールするデザインもあった。グレーのショートジャケットには、ティアード仕立のミニスカートを合わせ、スカートには全面に細かい刺繍を施し、裾はブルマーっぽいコケティッシュなテイストに仕上げていた。ベージュのミニドレスには、刺繍やレースをふんだんに使い、ラグジュワリー感を強調。袖先からは細いストリングスを垂らし、肩には同色のケープをあしらい、襟は全体にスタッドを配し、スカートには全体に刺繍を施したデザインだった。マニッシュなラインのチェック柄ロングコートとパンツの組み合わせも提案。英国紳士のワードロープを上下揃いで、借りてきたような違和感が、逆に新鮮な組み合わせに見えるのが不思議だった。ベラルディは刺繍やベルト飾りなどの、ディテールに凝ったクチュールテクニックを駆使した構成を得意としている。服を着た瞬間に、着た人を変身させるような、一見して違和感を覚えるが、見慣れると新鮮な輝きを放つ服作りが持ち味でもある。

 日本経済新聞の16日付け電子版によると、タキヒヨー(既号215.ダナ・キャランと日本資本)がイギリスの高級アパレルブランド「アントニオ・ベラルディ」の世界販売に乗り出すとの記事があった。50%を出資して米国とアジアでの販売権を取得する予定だ。2012年には米国と日本のデパートに、ブランド名を冠した店舗を出店する。将来的には廉価なセカンドラインを立ち上げて、タキヒヨーがライセンス生産することも検討中とのことである。アントニオ・ベラルディは、現在同社の株式を50%所有する投資ファンドから株式を買い戻し、それをタキヒヨーに譲渡する方針で最終調整している。タキヒヨーは販売権の取得を前提として、ニューヨークにある高級デパート2社と同ブランドの店舗を出店する交渉を進めている。来春から販売予定で、来期は両店舗で3億円程度の売り上げを計画している。日本でも来秋の出店を目指してデパートなどと交渉を始める。同ブランドはヨーロッパでは高級ブランドとして評価が高く、富裕層が身に付けるセレブブランドとしての知名度もある。タキヒヨーはデザイナーとしてのベラルディの才能を高く評価しており、米国や日本でも販売が見込めると判断し、出資を含めた協力を決めた。同ブランドの日本出店は初めてとなる。タキヒヨーでは自社でデザイナーを抱え、衣料品の企画販売をしているが、これまでは一部のライセンス商品を除き、量販店向けの商品が中心だった。今回の出資でタキヒヨーは高級ブランド市場へ参入することになる。将来的にはセカンドラインを作り、タキヒヨーで企画販売するなど、商品のラインアップを拡大していく方針である。現在はアパレル商社のフルーベル・ジャパンが取り扱っている。

 ベラルディのデビュー当初はアレキサンダー・マックイーン(既号302.天才デザイナーの死を悼む)や、フセイン・チャラヤンらと共にロンドンの華となっていたが、現在ではアレッサンドロ・デラクア、ステェファノ・グエリエロ、アントニオ・マラスらと並んで、ミラノ・コレクションの中核的存在となっている。1997年からはイタリアの革製品メーカー「ルッフォ・リサーチ」のデザインを担当。1999年からはイッティエーレ社のスポーツラインであるエクステの、主任デザイナーを務める。2000年にはミラノ・プレタポルテコレクションに参加。2002年にはジボ・コー社とライセンス契約を締結。2006年からは発表の場を、パリ・プレタポルテコレクションに移す。セカンドライン「ベラルディ」を日本生産でスタートさせる。2007年よりストッキングブランドとして有名な、ウォルフォードのクリエイティブ・ディレクターを務める。2008年にはスワロフスキー(既号196.クリスタルの森)とのコラボで、同社の企業向けブランド「クリスタライズド・スワロフスキー・エレメント」を発表。これはパリ・オートクチュールコレクション開催に合わせて企画された。最近のベラルディの活躍は目を見張るものがあり、各方面から引っ張りだこの状態である。因みに、ジバンシーの新デザイナーに抜擢されたリカルド・ティッシは、ベラルディのアシスタントを務めていたことがある。


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