ブランドに学ぶ 儲けを生みだすビジネス・コラム

桃太郎のビジネスコラム 200

☆ ブランドとデザイナー☆

2008.05.07号  

 一流レストランでは、一定の期間が過ぎると、シェフを交替させることがあると云う。食のテイストやデコレートがマンネリ化し、新鮮みが無くなると次第に客足が鈍くなるそうだ。モードの世界でも、ブランドとデザイナーの間に、同じような関係があるらしい。ファッション・ブランドの多くは、創業デザイナーが自らの名を冠したブランドを立ち上げ、デザインは晩年まで本人が携わっている例が多い。しかし、オーナーデザイナーが何らかの理由でリタイヤした場合、その職務は誰かに委ねなければならない。ブランドの経営母体としては、それまで蓄積した多くの記録や資料のコレクション(アーカイブ)を参考に、ブランド・イメージを大切にし、尚かつ新たな感性を持ち込んで、ブランドを活性化させてくれるデザイナーに、職務を委ねようとする。歴史のある大きなブランドになると、デザイナーの交替を何度も繰り返し、今日に至るケースが幾多もある。ブランドとデザンナーの関係は、一対一の関係でもなければ、固定している訳でもない。最近のブランド・オーナーは、数年程度でデザイナーを交替させ、新たなテイストを取り込もうとするブランドが多くなってきた。傾向としてはブランドとデザイナーの関係を希薄にして、旬を迎えているデザイナーを、素早く呼び込もうとする動きだ。一方では勢いのあるデザイナーが去ることで、パワーを失うブランドも多く見かける。現在のファッション・ブランドは、「ブランドを実質的に担っているのは誰か?」が重要なのだ。

 「クリスチャン・ディオール」(既号63.ディオールのシルエット)の場合、57年に52歳の若さで亡くなった後、21歳の若さでイヴ・サンローラン(既号176.C・ドヌーブをイメージ)が、メゾンのクチュリエに抜擢された。その後60年にマルク・ボアン、89年にジャン・フランコ・フェレ(既号156.伊ファッション界の重鎮逝く)に引き継がれ、現在は鬼才ジョン・ガリアーノが任されている。クリスチャン・ディオールは忙しい創作活動のなかにあっても、イヴ・サンローランやピエール・カルダン(既号187.ブランドの大衆化)、ギィ・ラロシュらを育てていた。07年よりクリスチャン・ディオールの男性向け「ディオール・オム」は、新鋭のクリス・ヴァン・アッシュが引き継いだ、前任者はイヴ・サンローランのメンズライン「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ・オム」のデザイナーだったエディ・スリマンが担当していた。エディ・スリマンがデザインした細身のスーツは、スーパーデザイナーのカール・ラガーフェルドまでも虜にしたと云われる。「ココ・シャネル」(既号136.試作品番号No5)の場合は、彼女が71年に他界した後も、シャネル・ブランドは健在である。現在のデザイナーはカール・ラガーフェルドである。彼はココ・シャネルが亡くなって12年後の83年から起用されている。65年に新進気鋭のラガーフェルドは、イタリアの有名ブランド「フェンディ」(既号163.3世代で育てた世界ブランド)のデザイナーに抜擢されており、自らの持つブランドと3ブランドを兼務している。一時は「クロエ」(既号164.ブランド名はバレエ組曲から)のデザインも手がけ、4つのブランドを掛け持ちしていた。異例のマルチブランド・デザイナーである。イタリアの有名ブランド「ヴァレンチノ」の場合、創業デザイナーのヴァレンチノ・ガラヴァーニは、今年の1月に引退した。後任の大役を任されたのが、「プラダ」や「グッチ」(既号127.ブランド商品の元祖)で活躍したアレッサンドラ・ファキネッティである。グッチを立て直した手腕で、高い評価を得ているトム・フォード(01年にグッチ傘下のイヴ・サンローランのプレタポルテを担当、05年に元グッチCEOドメニコ・デソーレと自らのブランドを設立)の下で、彼を支えたのが彼女である。発表時点の年齢だが、ヴァレンチノのレディース・ラインは、75歳の男性から35歳の女性に引き継がれた。今モード界では彼女が近々発表するであろう、最初のコレクションに注目を集めている。

 ピエール・カルダンは22年生まれで、今年86歳になるが、現役デザイナーとして、衰えを知らない活動を続けている。アバンギャルドなデザインで、60年代から70年代にかけて一世を風靡した。プレタポルテを百貨店にて販売する手法を初めて確立。ライセンス・ビジネスの先駆者としても活躍し、ブランドの大衆化を図ったが、それ故にブランド・バリューの低下を招いてしまった。近年はプランド・バリュー復権の活動を活発化し、巨大マーケットの中国で、コレクションを発表したりしているが、何れにしても高齢である。巨大ビジネスの後継者が、なかなか見つからないというのが実情であろう。現在のファッション界におけるブランド・バリューのトップは、「アルマーニ」(既号131.モードの帝王)であろう。ジョルジオ・アルマーニは、ガラヴァーニより少し年下で今年74歳になる。昨年11月に東京・銀座に旗艦店「アルマーニ/銀座タワー」のオープンに来日した際、引退する意志がないことを表明していた。しかし、同世代の現役デザイナーが少数になったのも事実。モードの帝王も永遠に現役でいることはできない。この巨大なアルマーニ帝国を、任せられる人材が限られているのも現実である。後継者について帝王が、どのような選択をするのか、世界のモード界が関心を持って見守っている。自らの名を冠した「レノマ」(既号190.ブランドのリファイン)を、立ち上げたモーリス・レノマは、今年68歳になる。フランス発のアメリカナイズされたファッションで、多くの著名人達をファンに持ち、世界のトップ・ブランドにまで昇り詰めた。しかし、ファンの高齢化とともに、自らのフットワークも落ちてしまった。モーリスは写真家としても活動しており、余力のあるうちに後継デザイナーを招聘した。イタリア出身のグィード・ディ・リッチョは、これまでの重厚なイメージを覆すような、明るい雰囲気のラインを発表し、ブランド・イメージのリファインに成功した。これを裏付けるように、メンズ・ネクタイのネット通販では、売れ筋ランキングの上位に、ランクされるようになった。

 現在のモード界牽引者の一人に、ステラ・マッカートニーがいる。97年にフランスの老舗ブランドであるクロエのデザイナーに就任。元ビートルズのポール・マッカートニーの愛娘であることから、就任した当初は親の七光り的なイメージで話題先行の面があった。しかし、見事にクロエを再生して手腕を証明して見せた。現在、自らのブランド「ステラ・マッカートニー」は、カラフルでキュートな感性を活かした作風で人気急上昇中である。彼女がスポーツ・ブランド「アディダス」(既号138.ダスラー兄弟)と、コラボレートした「アディダス・バイ・ステラ・マッカートニー」は、スポーツとファッションを融合させた成功例として話題となった。ステラは71年生まれの36歳である。02年に「バーバリー」(既号197.英国イメージのブランド)に迎えられたクリストファー・ベイリーも71年生まれである。新ブランド「バーバリー・ブローサム」を始めとするクリエーションで、英国ブランドに新鮮な息吹をもたらした。ベイリーはロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業した後、「ダナ・キャラン」でキャリアを積み、96年からはグッチでシニア・デザイナーを努めていた。スペインのファッション・ブランド「バレンシアガ」は創業デザイナーのクリストバル・バレンシアガが、72年に77歳で亡くなった後、後継デザイナーに恵まれず低迷していたが、98年に弱冠27歳のニコラ・ゲスキエールをチーフ・デザイナーに迎えた。この年齢差では、バレンシアガの服を実際に見ることは無かったが、モダンでシャープな伝統を継承するという、ゲスキエール流の解釈で見事に甦らせた。現在「ジパンシー」(既号116.スクリーンの妖精と衣裳)のアーティステック・ディレクターを努めるリカルド・ティッシは、75年にイタリアで生まれた33歳。99年から自身のコレクションを開始し、同時に「コカパーニ」等幾つかのメゾンのディレクターを努めた。その実績が認められ、ビッグ・ブランドに大抜擢された。「ランバン」(既号87.母と娘のブランド)の、アーティステック・ディレクターを努める46歳のアルベール・エスバスは、創業デザイナーのアーカイブに、インスパイアされつつ、新たなクリエーションで圧倒的な人気を得ている。ジャンヌ・ランバンの引退後は、数々の敏腕デザイナーが引き継いだが、02年からレディースを任されたエスバスの作風は、大当たりし、ランバンの歴史を次のステージに押し上げたと評価されている。華やかなファッション・ブランドの盛衰は、デザインのテイストやデコレートの、マンネリ化を防ぐデザイナーの腕次第。それにはタイムリーなリストラも必要のようである。
(引用コラム http://www.echirashi.com/column/backnumber.htm)


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